124.どっちに向いている? 6:16b
16,あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。
私たちは普段、自分が何に支配されているのか、あまり意識していないのではないでしょうか。自分は自分、誰の奴隷でもない。ただそれだけのように毎日を過ごしていませんか。
この手紙の冒頭のパウロの自己紹介を思い出しましょう。彼は「キリスト・イエスの奴隷」という奇妙な自己紹介をしていました。
彼が奴隷として身を献げるべき相手は、キリスト・イエスだったのです。
キリスト・イエスに接して初めて、パウロは宗教的な熱狂の中で、自分が神の心から遠く離れていることに気づいたのです。
宗教家でありながら、死へとしかつながらない罪の奴隷であった彼が、キリストに接したとき、神の愛を認識し、自発的な服従の人となったのです。
パウロは私たちに叫んでいます。"あなたがたは、自分を奴隷として、何に服従させたのですか?"
私たちが義とされたことを再確認し、神の愛の下に生きることができることを感謝しましょう。
考えてみましょう:あなたにとって、自発的な従順のうちにだれかの奴隷として生きることができるような、そんな人がいるでしょうか。
