129.ローマ6:23 死と永遠のいのち
23,罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
行き着くところは、天国か地獄か、というイメージみたいですね。
実際、聖書が預言している未来の行き着くところは、永遠に神が共におられるところか、永遠に神と断絶したところ、を描いているように考えられます。
でもそれは将来だけの話ではなく、今、歩んでいるこの道そのものでもあるのです。
今、自分は神と共に歩んでいるのか、それとも習慣となっているままに神と無関係に歩んでいるのか。それが永遠にも直結している、ということなのです。
2つの言葉の対比があります。
罪と神、そして報酬と賜物。
「罪」には「報酬」という言葉が結びついていて、「神」には「賜物」。
ここの「罪」が、人間が行っている、神に背く行為を意味しているのですから、それら罪の行為に対する「報酬」が何か、ということをパウロは言っています。
それが「死」だ、と。
全くの不毛に終わる、いのちを失った状態。
それが永遠に続くとはどんなことなのか、想像もつきません。
そんな行き着く先を知らずに歩み続けている私たちに、神は、永遠のいのちを「賜物」として下さっている、というのがパウロの伝えている福音でした。
自分で神の教えを完全に実行した「報酬」としてではなく、無代価で与えられる賜物として、です。
その「いのち」は、キリストを信じてキリストと一つにされている人には今すでに与えられていて、神が共におられることを自覚しながら生きていくものです。
因果応報の世の考え方で勤勉であることを徳として躾けられている人はなおさら、恵みによって賜物がすでに与えられている事実を意識して、この賜物の理解を身につけるべく、日々福音を再確認しつつ、神に感謝をささげつつ、救いの証しをしましょう。
考えてみましょう:賜物として永遠の命を得ている、と証しすることは、あなたには傲慢なことだ、と思いますか。あるいは、賜物として永遠の命を得るという考え方は傲慢だ、と人から思われたら、あなたは証しをしにくいでしょうか。
