160.ローマ8:12-13 御霊によって生きる
12,ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13,もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。
パウロは繰り返し、肉に従って歩みがちな人間−−もちろんそこにはクリスチャンも含まれています−−に警告をしています。
肉に従って生きなければならないという義務はないのです。
もし、肉に従って生きるなら、神の御旨に従うことはできなくなり、死ぬことになる、と。
この「死」は、ローマ人への手紙の5章12節以降教えられている通り、神のいのちに生きていない、御霊の実を結ぶ事が決してできないことを指しています。
天にあげられず地獄に落ちるのだ、という脅かしとは全く違うものです。
パウロが、手紙だけではなく、実際に会って、直接話をすることを切に望んでいるのは、御霊の賜物を与えて「あなたがたを強くしたいから」でした(ローマ1:11)。
まだパウロに会ったことのない多くのローマの人々にとっては、ただ手紙の言葉を読むだけでは得られない、人格的な交流が必要だったのです。
聖霊の働きも、愛を示すことのできる、そのような人格的な交流なのです。
御霊に従うことは義務として位置づけられているのですが、私たちは否が応でも従うように仕向けられているわけではありません。
愛が芽生えることによって自発的に真理を認め、従うものとされていくのです。
それが神に生きるということなのです。
御霊によって、死ぬべきからだが生かされたのですから、生かされている喜びを表して生きたいものです。
考えてみましょう:肉に従う義務としてあなたを取り囲んでいるものにはどんなものがありますか。
