189.ローマ9:4 「子とされること」の歴史
4,彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。
パウロは8章で神の子どもと呼ばれる聖徒の特権について熱く語ったばかりでした。
でも、パウロの時代より1500年も前に、すでに神が「わたしの子」と呼んでいる人々がいたのです。
それが、イスラエルでした(出エジプト4:22)。
聖書の言葉の重みは、歴史性にも現れているように感じます。
昨日今日、ポッと出の神などではなく、数千年の歴史の中で人類にかかわり続けてきている御自身の記録を残す人々、預言者を送り出してきた神なのです。
そして、イエス・キリストも歴史の只中に現れて、十字架で死なれ、復活したのでした。
パウロは、復活のキリストの声を天から聞いた唯一の使徒だったのです(使徒9:1−6)。
なぜイスラエルが神の子とされたのか。なぜインドネシアとか日本じゃなかったのか。
数千年前に、インドネシア人や日本人が神の子とされていたら、いったい今の自分はどうなっていたのだろう、と想像してしまいます。
確実なことは、イスラエルが歴史の中で繰り返し受けてきた苦難を、インドネシア人、あるいは日本人が受けなければならなかっただろう、ということです。
苦難の歴史を経てきた「神の子」、しかも「長子」と呼ばれるイスラエルが、イエス・キリストに対してまったく受け入れようとしない態度を取っていることが、パウロの悲しみであり、大きな心の痛みだったのです。
考えてみましょう:今あなたを導いてくれている神が、すでに数千年の歴史の中で限りない数の人々に愛を示し続けてきたことを思う時、どんな感じを受けますか。
