107.ローマ6:3 バプテスマを受けた
3,それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
「バプテスマ」という特殊用語が突然出てきます。
原語は「バプティゾー」というギリシャ語の動詞です。キリスト教会の歴史の中では「洗礼」という儀式を言い表す言葉になっていました。
バプティゾーのもともとの意味は「沈める」。
だから、パウロの手紙のこの箇所をその意味に当てはめて読むと、「キリスト・イエスの中に沈められた私たちはみな、その死の中に沈められたのではありませんか」となります。
手紙のはじめの部分で、ローマの聖徒たちを指して、「あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりました」(1:6)と言っていましたが、ここではさらに、キリストが私たちを抱きかかえてくれているように、キリストと一つとなっていることを言い表しています。
パウロはさらに、十字架にかかって死んでくださったキリストと「私」が一つになるという事は、「私」もキリストと共に死んだのだ、と言うのです。
いつそんなことが起きたのでしょうか?「私」がイエス・キリストの贖いを自分のためだったと信じたその時です。
「私」が神に愛されていることを悟って信じた、その時、古い私は死んだのです。
考えてみましょう:バプテスマという儀式は、キリストの贖いを個人的に信じた人が、自分の決心で受けるものではありませんか。あなたはバプテ、スマを受けますか。
