110.ローマ6:4b 御父の栄光によって
4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
しきたりや戒めに従う教育に慣れてしまっている私たちは、新しいいのちに歩む教えを聞くと、「よし、頑張ろう」と、まるで戒めを守る生き方の延長で考えがちです。
ここでパウロは、再び恵みによる新しいいのちの生き方へと目を向けさせてくれていることに注意しましょう。
キリストが死者の中からよみがえられた、とありますが、キリストがご自分の力でよみがえったのではなく、父なる神の栄光によってよみがえらされたのでした。
キリストですらそうなのですから、私たちはなおさら、自分の力で新しいいのちに歩むことを思い描こうとしてはなりません。
パウロも、自分のうちになにか事をなす力があるのだ、能力があるのだ、事がなったのは自分の力の成果だ、とは決して思いませんでした。
自分を誇らないのは、共におられる神がいっさいを導いておられる中で自分の分を果たしているに過ぎないことをよくわかっていたからです(ピリピ2:13)。
キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえらされた、その栄光によって私たちも、新しいいのちに歩むことができるようにしていただいているのです。
誇る者は主を誇れ、を実感できる一日でありますように。
考えてみましょう:無意識に自分と他人を比べて一喜一憂していないでしょうか。人間関係の中に神が関わっているとしたら、自分を誇るための材料を探す必要はありますか。
