123.ローマ6:16 惰性で服従を続けてない?
16,あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。
教会の特別集会で恵まれて、新たに歩みを踏み出そうとする決心はついたものの、日常の生活に戻れば元の木阿弥になりがち。
日常という習慣性に満ちた世界は、私たちを捕らえて離そうとしない、と思えてしまいます。
でも実は話は逆で、私たちがその中にとどまってしまっていることが問題。
新しい習慣を作るまでは、私たちは無意識のうちに古い習慣を踏襲してしまうものなのです。
神を無視して生きてきていた時の習慣がそのままカラダに残っているわけです。
幼子が親に手を引かれて初めて立って歩き始めた、そんなイメージです。
立って歩ける嬉しさを味わって、何度転んでもまた立ってみる。その繰り返しで、歩き続けることができるように筋肉が発達して変わっていくのが、生きているということなのだろうと思います。
パウロはそのようにして歩き始めようとしている人に、力強いエールを送りつつ、後ろを向いてそこに戻るな、と押し出してくれているのです。
考えてみましょう:「あなたがたは知らないのですか」と尋ねられています。古い習慣に流され続けることをあなたは選びますか?
