136.ローマ7:9-10 戒めが死に導くパウロの経験
9,私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たとき、罪は生き、
10,私は死にました。それで、いのちに導くはずの戒めが、死に導くものであると分かりました。
パウロ自身のこの経験はいつのことだったのでしょう?いろいろな説がありますが、「生きる」ことについてパウロが書いている文脈での自分の経験だとしたら、イエス・キリストに出会って新しく生まれ変わってからのことでしょう。
そしたら、この手紙を書いている時からおそらく20年ほど前の出来事だったのだろうと想像されます。
パウロがイエス・キリストの福音を受け入れて、律法の時代は終わったのだ、と悟るまでは良かったのですが、戒めから完全に解かれたわけではありませんでした。
当然、今生きている間、善悪の戒めに従うべき義務は残っています。その「義務」が問題だったのです。
義務として戒めを実行しようとする時、その戒めによって欲望が目を覚まして罪が生き返ってしまったのです。
それでパウロは神の御旨を行うことができない無能力状態に陥り、「死にました」と言わざるを得なくなったのです。
この経験から、パウロは「いのちに導くはずの戒めが、死に導くものであるとわかりました」。
戒めは義務として受け取ってはいけなかったのです。
また、後進を指導しようとする時にも、戒めを義務として押し付けるようにして教えては、いのちではなく死をもたらす結果になるのだ、と、心すべきなのです。
考えてみましょう:律法のもとにある時には戒めに従う義務が私たちを縛っていたのですが、恵みの下に移されても同じように義務に縛られて歩まなければならないのでしょうか。
