121.恵みの下にある 6:14
14,罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。
第3部(2)の最後の節になりました。
この区分でくどいほどにパウロが繰り返し語っていることが「罪があなたがたを支配することはない」。
私たちのクリスチャンとしての経験を振り返ると、ずっと罪に支配されたままでいるかのように思えることがあります。神をいつも思っているわけでもなく、以前の罪の行為、言葉づかい、態度、等々、あまり変わり映えしないではないか、と。
でもパウロが言うように、もうすでに罪に「支配」されているのではないのです。
イエス・キリストが十字架にかかって死んだのは「私」の罪のためであり、死人の中からよみがえったのは「私」が義と認められるためでした。
2千年もの前に起きた出来事が今の「私」に関わり得るのは、キリストが「神の御子」であって、永遠のお方だからでした。
そして、神の御子が「私」を愛し、命をささげてくださったと信じた時、もう恵みの下に入っているのです。
キリストと一つにされたのです。これは、人間の「感覚」では達し得ない所なんですね。
さらりとパウロが一言書いている「律法の下にではなく」は、次のテーマになっていきます。なぜいつまでも罪に支配されたままであるかのように思えてしまうか、という疑問にもパウロは答えてくれているのです。
考えてみましょう:イエス・キリストを信じるに至ったのは、神の恵みによると思いますか。それともあなた自身の努力の結果だったと思いますか。
