226.ローマ10:12-13 あなたを救い得る「名」
12,ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
13,「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
ユダヤ人の解釈では、律法はユダヤ人とギリシア人を厳格に区別していました。
神の祝福を受けるのは、アブラハムへの神の契約に従って、割礼を受けたものだけだ、律法の義務を果たした者だ、と確信していたからです。
でも、神のあわれみはすべての人に向けられていることがより確かになりました。
なにしろ、イスラエル自身、誤った知識に基づいた熱心さで神の心から遠く離れてしまっていることを、パウロは知らされ、神のあわれみなしにはイスラエルも救われることはできないと悟ったのです。
そして、救いは無代価で与えられます。
ただし、すべての人にばらまかれるようなやり方ではありません。
神は、「ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです」。
しかも、漠然と「神よ」と呼びかけるのではなく、名があるお方に呼び求めるのです。
これは、イスラエルには常識とも言えることでした。
みだりに主の名を口にしてはならない、と十戒で戒められていたからです。
神を呼び求める最初の祈りは、人が自分と神との関係が正しくされることでなければなりません。
呼び求めるべき「主の御名」は、罪の赦しの贖いを完成した「イエス」。
これが、イスラエルが正しく知るべき知識でした。
この名以外には、人間に救いを与えることのできる名はありません(使徒4:10−12)。
考えてみましょう:イエス・キリストの誕生で紀元前、紀元後と分けられ、今もその暦が世界中で使われていることは今や常識ですが、イエスの名によってすべての人が救われることはそれほど知られていません。あなたの「隣人」はいかがですか?
