145.ローマ7:22-23 からだと心の戦い
22,私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいますが、
23,私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることが分かるのです。
私の「内なる人」と「からだ」との対比が続きます。
パウロは二つの間に「戦い」があるとすら言っています。
私たち自身、この区別、戦いはあまり意識しないものです。
むしろ、聖書に書かれている「肉」「からだ」は日常的には、自分の内にある本能的な欲の事を指しているように解釈しがちで、「自分自身が罪人であることには変わりない、神の教えは自分が罪人としてできる範囲でできることをしよう」、くらいにしか思えないでいるのです。
使徒パウロは、救われた時から内なる人の中にある「心の律法」に敏感でした。
それはすぐに福音を伝え始めるほどだったのです(使徒9:19₋20)。
イエスがキリストであり、キリストの死と復活の事実を伝えるには問題はなかったのでしょう。
しかし、さらに人格的な変革が求められる教えを実践するにあたって、肉の問題が浮上してきたのだろうと思います。
聖霊に従って歩むことにおいて、「私」自身と、私の「からだ・肉」との区別を自覚することは、次のステップに進む上で非常に大切な事柄です。
心とからだの分裂と戦いを終わらせ、一つの自分として聖霊に従って歩むための福音の結論はまもなく説かれます。
考えてみましょう:「私」とは区別される「肉・からだ」について、不明なこと、疑問はありませんか。
