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108.ローマ6:3-4a キリストとともに葬られた

3,それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
4,私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。

ローマ人への手紙6章3ー4節a;新改訳聖書2017版

 あなたは罪に対して死んだのです、と言われて、ああそうだ、と自分で納得させられる事柄があるでしょうか。

 逆に、キリストの贖いによって罪が赦されたことを信じても、自分はまだ罪に囚われているように思えるし、とても「罪に対して死んだ」などと言えない感じがするかもということ。

 ところが、「福音書」の中でしばしば現れる「罪人」という言葉は、「使徒の働き」では使われなくなります。

 パウロの手紙の中でも、教会の人びとに対して罪人だと呼び掛けることはしません。

 一ヶ所だけ「私はその罪人のかしらです」とパウロは自分のことを指していますが、「今も」なお罪を犯し続けている罪人だ、と言っているわけではないのです。

 はっきりさせなければならないことは、聖書の言っている「罪人」とは「犯罪人」のことではない、ということ。

 的外れ、を意味する言葉です。

 神に心が向いていない。つまり、神を信じないで、神に愛されていることも信じない、そのため、キリストの十字架の死をも神の愛の表れとして受け止めることもしない人のことだ、ということです。

 罪とは、栄光の神を認めないことなのです。

 もちろん、だから「罪人」であった頃と同じような行為を繰り返してもいいという事にはなりません。その行為をとどめ、新しい生き方を身につける第一歩として、キリストを信じた自分はキリストと共に葬られたのだ、キリストと一つにされてその死にあずかった、キリストの十字架上の死と共に古い自分は死んだのだ、と認めるべきなのです。

「キリストと共に葬られた」と言われるために、あなたはキリストを信じる以上の何かをしましたか?それとも信じただけだったでしょうか?



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