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115.ローマ6:10 キリストの死と生の事実

10,なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

ローマ人への手紙6章10節;新改訳聖書2017版

 キリストの十字架上の死は、肉体の死であると同時に、ただ一度の「罪に対して」の死と言われます。

 これは神に対して生きることと対比されています。

 罪の働きかけを断ち切り、神の働きかけの中に生きることを指すのでしょう。

 私たちが罪に対して死ぬことができるのは、ひとえに、「ただ一度」決定的に罪に対して死なれたキリストと、一つにされたからです。

 もうこの過ちは犯さないぞ、と何度も繰り返して私たちが「決心する」こととは違って、事実キリストは「死なれた」のです。

 私たちの経験の中では、「信じられないけれど信じようと努力する」、ことと、「信じた」自分の事実、との違い、と言えば納得でしょうか。

 キリストの十字架の死が私のためだ、キリストは復活したのだ、ということを、「信じられないけれど信じようと努力してみよう」と決心したのではありませんでした。「なるほど」と腑に落ちて私たちは信じたのです。

 神に対して生きる!と決心する前に、神に対して生きておられるキリストをしっかりと見つめることがここで求められているのでしょう。

 福音書を繰り返し読んで、キリストの「人となり」を感じ取ってみましょう。

考えてみましょう:「主は正しく 正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。」(詩篇11:7) 中空の天を見上げてそこにキリストの御顔を想像したことがありますか。



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