120.ローマ6:13b 義の道具
13,また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。
献げる、というのは無理強いされてすることではありません。非常に尊敬する人に対して、尊敬の念を表す行為としてするものです。
だから献げるモノは高価なものに限られます。
神以上に尊敬すべき方はあり得ないでしょうが、その神にふさわしい献げものとして「あなたがたの手足」で本当に大丈夫なのでしょうか。
ただ、ここでふさわしいということで言うなら、死者の中から生かされた「あなたがた」がその手足を不義の道具として罪に献げることこそ、ふさわしくないことでしょう。
そうではなく、神に献げなさい、と言われていることに、注目!
道具は、使う人の目的によって、良いことのためにも使えるし、悪いことにも使えてしまうものです。
「使う人」と「道具」である手足とが一体でめんくらってしまいそうですが、新しく生まれ変わった、死者の中から生かされた者として、道具を正しく使うことを学んでいきましょう。
その最初の学びが「律法」と私たちのからだ、肉との関係で、次の節からパウロは語り始めます。
考えてみましょう:自分は罪人だ、としか思えないでいたときは、自分にふさわしいのは「不義の道具」として生きることだったかもしれません。今なお、その考え方は変わっていないでしょうか。
