143. ローマ7:18-20 肉のうちに善が住んでいない
18,私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。19,私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。20,私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。
パウロがここで「善」と言っているのは、神からの栄光、誉れ、そして朽ちないものを得られるに至る、神基準の善のこと(ローマ2:7)。
新しく生まれ変わっておそらく間もない時に、それまでのように律法に従って善を行おうとしてパウロが得られたものは、それとは全く違う「死」に向かっている自分でした。
そして得られた結論が、「自分の肉の内に善が住んでいない」。
そして、前節で省みたように、「したくないことを行っているのは私のうちに住んでいる罪です」ということの再確認でした。
8章に入って、このパウロの悩みを解決してくれる答えを先取りしてしまうと、聖霊に導かれることだけが詩のからだから解放してくれる、ということでした。
新しく生まれ変わって、はじめて、神の栄光に至る善を実行する力が与えられる、ということなのです。
律法は、善を行わなければならない、という真理を伝えます。
それをしたいという願いが、心から沸き起こるのは、神の愛を知ってからなのです。聖霊が私たちの内に住んで神の愛を注いでくださるからです。
ただ、実行する力を得るには、聖霊に導かれる交わりについての経験的な学びが必要のようです。
考えてみましょう:自分の肉の内に善がない、と知ったら、どんな気持ちになりますか。
