病気と「幸福」-3"病気は新たな「幸福」獲得の機会にもなる"
病気で健康が損なわれると「幸福感」(Happiness)の土台であるウェルビーイング(Well-being、身体、精神、社会的に充実した状態)が万全でない状態ですから、一時的にせよ「幸福感」の深刻な低下を来します。
前の記事で「病気による『幸福感』の低下の緩和」について述べました。
本記事では「病気は新たな『幸福』獲得の機会にもなる」
ことについて述べます。「病気と『幸福』」記事の完結編です。
本記事は、下記記事↓の続編です。
病気は新たな「幸福」獲得の機会にもなる
病気は心身の健康等、Well-being
低次の幸福感は低下させます。
しかし、病気を契機として
高い次元の幸福を得ることも出来ます。
立ち止まって人生を考える転機となる
「多忙さの罠」という言葉があります。
毎日、全力で働いている日々は、
一見充実しているようでも、
日々多忙であることに追われて、
振り返り、内省の機会を失ってしまいがちです。
日々多忙さに追われているうちに、
思考停止に陥り、環境変化への対応を怠り
自己の陳腐化を招くことを言います。
私は40代初めの頃、
長時間労働、ストレスが原因で、
突発性難聴になりました。
療養のため1ヶ月程仕事を休みましたが、
旅行やキャンプに出かけ、
仕事一辺倒だった生活を改め、
休んでいた趣味を再開し、
その一環でJazz♫Sax演奏も再開しました。
還暦過ぎに脳梗塞で
共同創業した会社の前職を失いましたが、
「幸福」をライフワークに定め、
多くの本を読み、学習の機会ともなり
単独で創業する機会にもなりました。
病気にはならない方が良かったけれど、
人生は、より豊かになったとは思います。
病気で「共感」力が高まる
「同病相憐れむ」と言いますが、
病気になると、同じ病気の方の
病気そのものの苦しみ、
精神的苦痛等が理解できるようになります。
他人への「共感」能力は、
人間の人間たるゆえんですが、
個人差や経験により差があります。
完全な共感は、
同じ経験をしなければ不可能です。
お恥ずかしい話ですが、
私も脳梗塞発症直後、左半身不随になって、
初めて、ペットボトルや缶飲料の開栓、
トイレットペーパー、食品の袋の開封等、
両手ないとできないことが多いことに愕然とし、
ユニバーサル・デザインの大切さに気づきました。
心が暖かい人とは、共感力が高い人です。
病気の辛さ、苦しみを知る人は、
全く同じ経験とはいかなくとも
他人の悲しみへの想像力は高くなるでしょう。
病気で「謙虚」になる
万能感とまではいかなくとも、
思い通りになることが多いと、
私の場合、謙虚なほうだと思っていましたが、
知らず知らずのうちに
傲慢なことも多々あったと感じます。
大病をすると、多くの場合、
家族や他人の助けが必要となりますし、
自分のちっぽけさ、もろさ儚さを
痛感します。
少しでも謙虚になれたとすれば
失った健康の分だけは
少なくとも謙虚になったなと思いました。
病気で「成長」する
縷々負け惜しみも交えて述べてきましたが、
病気になることで一時的にせよ、一生にせよ、
衰え失う機能はあっても、
病気を機会に人間的に成長することは、
十分可能だと思います。
まとめに代えて~「それでも人生にYesと言う」
ヴィクトール・フランクルの言葉
「それでも人生にYesと言う」
(原題:Trotzdem Ja zum Leben sagen)は、
彼はナチスの強制収容所での
極限体験を通じて見出した
「人生の意味」に関する深い洞察です。
「病気でも人生にYesと言う」と、
病に苦しみや絶望があっても、
人生に対して肯定的な姿勢を
持ち続けることは可能と思います。
病気の意味は
客観的健康状況によって
与えられるものではなく、
自らが病気の意味を見出し得る、
そう考えます。
最後まで記事をお読みいただき
ご覧いただき、
誠にありがとうございました。
今後も幸福に関連する記事
を投稿してまいりますので、
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いただけますとありがたいです。
イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男*プロフィール*
【参考文献】『それでも人生にイエスと言う』
|原題:Trotzdem Ja zum Leben sagen
ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)
山田 邦男、松田 美佳 訳、春秋社
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