「手に入る幸せ」探しの心理
「足るを知る」幸福か、負け惜しみの幸福か
幸福であるか否かは
目標とする欲求水準に依存するので、
幸福感は対象と目標水準を変えることによって、
いくらでも変動します。
人間の能力、行動には限りがあるので、
欲求を際限なく高めていくと
得られる達成は相対的に貧しいものとなり、
逆に不幸感の原因となってしまいます。
そのため多くの人は、しばしば
欲求を実現可能な対象、
実現可能な水準に逆算して設定し
幸福を得るということを選択します。
このことを
「適応的選好形成」
(Adaptive Preference Formation)
と呼びます 。
「適応的選好形成」は、
社会学者のJ.エルスターが
提出した考え方ですが
「適応的選好形成」の例として、
イソップ寓話の『酸っぱい葡萄』
がよく引用されます。
これはエルスターの著作(注*)の題名
にもなっており、次のような話です。
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった 。
この寓話を元に生まれた英語に
"sour grapes"という言葉があり
「負け惜しみ」と言う意味です。
我々の経験でもよく見聞きしたり、
自ら負け惜しみを言ったりしたこと
もあるかもしれません。
不幸を避ける防衛機制である「手に入る幸せ」の「合理化」
心理学で「防衛機制」という言葉がありますが
「適応的選好形成」と同様じ「防衛機制」行動を
「合理化」と言います。
「防衛機制」は、
人間の精神的崩壊を防ぐメカニズム
と言われています。
「防衛機制」は無自覚的で非自律的な反応
と言われていますが、
エルスターは「適応的選好形成」も非自律的、
無意識的反応であると言っています。
「適応的選好形成」は、
望ましくない作用として語られる
ことが多いのですが、
無自覚的に「適応的選好形成」
に支配されることは、
人間の主体的な行動、成長や変革を阻害します。
しかし、不幸な出来事に遭遇することによって
欲求の実現が妨げられ、
精神の崩壊をきたす危険もあります。
その意味で「適応的選好形成」は
防衛機制の「合理化」と同種の、
人間の自己防衛メカニズムとも考えられます。
「防衛機制」としての「適応的選好形成」
によって自分の精神の安全、
幸福が守られると言っても、
無意識的な自我に振り回される人生、
無自覚的選択で得る幸福に支配されるのが、
本当の意味で幸せな人生と言えるでしょうか。
幸福を自律的に産み出す「性格設計」としての「中庸」
多くの先人たちの思想、古今東西の哲学、
宗教などは、際限のない欲求の抑制と
精神的価値の追求による
心の静謐な状態を理想とする点で、
多くの共通性を持つように思います。
これは、非自律的、無自覚的に行われる
「適応的選好形成」ではなく、
より理想的で主体的な自律的「選好形成」として、
意識的にコントロールしようとした
ものだと考えます。
エルスターはこのような主体的、自律的な
「選好形成」を「適応的選好形成」と区別して
「性格設計」と呼んでいます。
典型的な思想として、
孔子の「中庸」が挙げられますが、
幸福論の始祖に擬せられる
アリストテレスの哲学においても、
その倫理学の中核と言える
「メソテース(μεσοτης=Mesotes)」
は非常に共通性が高く、事実、日本語訳として
「中庸」が当てられています。
英語では「中庸」を指す言葉として
「happy mean」が当てられるのは興味深いですね。
いずれも際限のない欲求のエスカレートを否定し、
身体的不摂生、暴飲暴食、肉欲の放縦、奢侈などを
戒める点では共通しています。
多くの思想や宗教に共通する考え方ですが、
典型的なのは古代ギリシア、ストア派の哲学です。
「ストイック」という言葉は、
我々の日常会話で普通に用いられていますね。
ストア派の哲学は「禁欲主義」と一般的に訳され、
次元の低い欲求の抑制をその中核に据えています。
「中庸」やストア派の思想は
「選好形成」を自覚的に行い
「性格設計」として自己統制することにより
「選好形成」を積極的に活用しよう
というものだと考えます。
欲求の過剰な発現を抑制し「性格設計」として、
自覚的に健全な精神のコントロール
を目指す思想は、
多くの人々にとって有用なものだと思います。
ただし、非自律的な「適応的選好形成」も
自律的な「性格設計」も、
欲求の達成能力を高めるよりも、
欲求対象と達成水準を抑制することで
幸福度を高めるという働きは共通です。
その意味では「性格設計」のデザインが
あまりにも消極的、現状追認的であると、
人間にとって望ましい成長や、望ましい社会変革、
組織変革を阻害する副作用もあります。
その意味ではマルクスが「宗教はアヘンだ 」
と言ったのも、
一面の真理を突いたものと言えるでしょう。
「性格設計」の条件
ある人の「幸せだ」と言う心理が、
避けるべき「適応的選好形成」か、
肯定的にとらえるべき「性格設計」
かという判断が、どういう基準で
決まるかは難しい問題です。
「適応的選好形成」と言っても
純粋に無意識的な判断ではなく、
本人が妥当と判断しているからです。
私は、両者の違いを次のような基準で
判断するべきだと考えます。
1. 客観的事実の正確な認識
たとえば、低賃金にあえぐ従業員が
「社長も経営が苦しい中で、
精一杯給料を出してもらっている。
この不景気で仕事があり、
なんとか暮らせるから幸せだ。」
と思っているが、
実際は社長が不正会計を行い、
脱税による所得隠しで、従業員を
不当に搾取している場合などです。
どんな選好形成も、
客観的事実を正確に認識する
ことから出発しないと、
虚偽に基づく幻の幸福の追求
になってしまいます。
2. 倫理的に正しい基準
「適応的選好形成」が、
倫理的に許されない状況を追認する
ものであれば、
それは好ましくない選好形成と考えます。
たとえば、
夫のひどいDVに遭っている人が
「つらい時もあるけど幸せだ」
と思ってしまう場合など、
自分を幸福と合理化することによって
救済や問題解決を遅らせてしまう
場合があります。
3. 成長と変革への意欲
本人が幸せな気持ちになれるからといって、
現状に満足にすることに終始し、
自己成長や職場、組織、社会の変革を
一切放棄するというのでは、
幸福は人間を小さい殻に閉じ込める
だけの幻惑に堕してしまいます。
変革の可能性は判断が難しいものですが、
あまりにも現状追認的で
成長や変革の可能性を萎縮させるような
選好形成は望ましくないと考えます。
積極的幸福選択を促進する「期待理論」の活用
幸福度の観点からは「適応的選好形成」を
過剰に蔓延させないようにする
ことが必要でしょう。
実際には、無自覚的に
欲求の対象や達成水準の目標を下げることで、
そこそこの幸福を得ようとする
「適応的選好形成」が不可避的に発生します。
意識的な「性格設計」により
自己成長や変革への動機づけを図る
ことが望ましいと考えます。
人間が自己成長や状況の改善、
社会変革を図るためには、
このような消極的幸福を得るための
「適応的選好形成」を
発生させないことが必要です。
この「適応的選好形成」の弊害抑制には、
ブルーム、ポーター=ローラーらの
「期待理論」 を幸福と結びつけて
考えることが役に立つでしょう。
「期待理論」はの幸福の追求とパフォーマンス
を効果的に結びつけるために、
次のような知見を提供してくれます。
①個人が行動のモチベーションを
感じるかどうかは、
得られると期待される報酬が
個人の欲求の対象と合致するか、
魅力的かによって決まる(誘意性)
②報酬が個人の欲求と合致していても、
達成できそうだという期待、
確信(可能性に対する主観的確率)
がなければ行動は起こさない
③「可能性に対する主観的確率」
を高めるには手段性
(一次目標達成で得られる結果が、
上位の目標達成にどれくらい
役に立つかという見込み、
このようにすれば達成できると言う
期待を促進する仕組み)
を高めることが必要である
より主体的な「幸福」の選択へ
「防衛機制」や「期待理論」を
幸福と結びつけることで、
人間が報酬(幸福)を認識しながら、
なぜ行動を起こさないかについて、
より説得力ある分析ができます。
それは、人間が幸福を得る方法は
二つあることを明らかにしてくれます。
①心から欲する目的を追求し懸命に努力する
一つ目は、
本人にとって心から実現を欲する
魅力ある目的を定めることで、
懸命に努力することです。
結果としての幸福感だけではなく、
実現を目指す幸福の価値を問うことで、
より素晴らしい人生の実現、大きな幸福
を手に入れる可能性は高まります。
②達成可能な目標に制限し、確実な幸福を手に入れる
二つ目は、
欲求の対象である目的そのものを
「適応的選好形成」によって、
達成可能な対象、水準に加工し、
そこから得られる達成感を
幸福として手に入れることです。
しかし、これには
防衛機制のメカニズムとして、
心理的安定を維持し精神の崩壊を防ぐ
という作用もありますが、
無意識的な幸福の選択である
「適応的選好形成」の過剰は、
本人が努力すれば得られたであろう、
より積極的な幸福の可能性を
閉ざすことにもなります。
①②のどちらをとるか、
正解はありません。
ハイリスク・ハイリターンの「幸福」をとるか、
ローリスク・ローリターンの「幸福」をとるか、
という選択の問題です。
幸福がこのような特性を持つことをふまえ、
無自覚的な「適応的選好形成」
「すっぱい葡萄」に振り回されず
意識的、主体的選択が必要です。
人生の最後に避けるべき後悔は
多くの人が死の床で嘆くのは
「もっとやりたいことに挑戦すれば良かった」
ということです。
それだけは避けたいものです。
「すっぱい葡萄」という欺瞞で自己の可能性を閉ざすのは避けよう
無自覚的な「適応的選好形成」である
「すっぱい葡萄」という自己欺瞞で
自己の可能性を閉ざすことだけは避けよう
というのが本記事の主旨です。
最後まで記事をご覧いただき、
誠にありがとうございました。
今後も幸福に関連する記事を
投稿してまいりますので、
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いただけますとありがたいです。
イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男*プロフィール*
(注*)Jon. Elster, 1983b. Sour Grapes. Cambridge: Cambridge University Press.
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