「幸福は最高善」*3分で読めるアリストテレス幸福論まとめ
「我々の達成しうるあらゆる善のうちの最高のものは何か。人びとの答えは一致する。
それは幸福(エウダイモニア)にほかならない 。」
アリストテレス『ニコマコス倫理学』
【ギリシア語原文】
παντὸς δ’ ὅσον ἐφικτὸν ἀνθρώποις ἀγαθὸν τί ἂν εἴη;
(「我々に達成可能なすべての善のうち、最高のものは何か?」)
κοινῇ δὲ πάντες εὐδαιμονίαν λέγουσιν.
(「誰もが一致して幸福(エウダイモニア)と言う。」)
『ニコマコス倫理学』(Ἠθικὰ Νικομάχεια, Ethika Nikomacheia)第1巻、1.7(1097a-1098a)
幸福論の元祖アリストテレス
幸福論の元祖はアリストテレス。
これは定説と言って良いでしょう。
幸福について論じた本の多くが
有名なアリストテレスのこの言葉
「幸福は最高善」から書き起こされる
ことからも明らかです。
アリストテレスの幸福論は
古代の古臭い話でなく
現代の我々の幸福について
「君たちはどんな幸福を選ぶか?」
と問いかけています。
アリストテレスの幸福論は
『ニコマコス倫理学』
に記されています。
ニコマコスとは
アリストテレスの息子です。
どんな「幸福」も「最高善」ではない
「エウダイモニア」的幸福が最高善
ただ「幸福は最高善」という言葉
の解釈には注意が必要です。
『ニコマコス倫理学』で語られる「幸福」とは
ギリシア語の「エウダイモニア」であり、
これは「徳に基づく理性的人生」といった
精神性の高い意味です。
日本語の「幸福」は美味しいものを食べて
「ああ、幸せ」と言う軽い気分から
崇高な精神の境地まで幅広い意味を含みます。
「エウダイモニア」はギリシャ語で、
「eu(良い)」と「daimon(魂や精神)」
(英語のデーモンの語源)
を組み合わせた言葉で、文字通り
「良い魂の状態」や「魂の繁栄」を意味します。
アリストテレスにとってエウダイモニアは、
人間がその本性(理性)に従って生き、
最高の善を達成した状態です。
それは「魂の徳に従った活動」であり、
一時の感情や快楽ではなく理性に基づく徳の実践
で達成される充実した人生を意味します。
アリストテレスの言う
「最高善」としての「幸福」とは
エウダイモニア的幸福のことであり、
「幸せと感じたら何でも最高!」
というわけではありません。
最高善の理性的幸福から下等の動物的幸福まで「幸福」と認める
アリストテレスの幸福論というと
エウダイモニア的幸福ばかり
論じられがちです。
アリストテレスは
美しいが敷居の高い徳の実践、
理性的幸福ばかりでなく
本能的快楽の充足、享楽的な生活を、
最も低俗な幸福と蔑んではいますが、
そのような幸福もあることを容認しています。
こういうところは、
アリストテレスの懐の深さを感じます。
幸福段階説元祖アリストテレス
「幸福」とは何なのか?
幸福に唯一絶対の幸福はあるのか?
自分にとっての幸福とは何か?
素朴に思うことです。
この問いに対して最初に
体系的に論じたのはアリストテレスです。
私見ですが、これこそ
幸福論の始祖たる所以ありと考えます。
幸福を階層的構造で示したアリストテレス
アリストテレスは幸福な生活には三種類あると分類しました 。
第一:「快楽」(ヘードネー)の幸福
享楽的な生活、最も低俗な人びと
「畜獣」「奴隷的」人間の幸福
*これが快楽説(Hedonism)の由来です。
第二:「名誉」を善とする「政治的」生活の幸福
思慮、規律を持った実践的活動
をしている人びとの幸福
*承認欲求に相当
第三:「徳」「卓越性」(アレテー)による真理探究の幸福
「観照的」生活-「テオリア」(θεωρία, theōria)
高貴さ、矜持を持ち、いかなる苦難も克服する、
神々に比すべき卓越した魂の幸福
「金」は手段で目的たり得ず幸福ではない
アリストテレスは、以上の三つ以外に
「蓄財的生活」もある種の生活として
挙げています。しかし、
富は手段であり目的とはなり得ず、
幸福な生活ではないとして退けている
のは興味深いですね。
現代の資本が自己目的と化したような
「カネ」だけの経済、
「今だけ、金だけ、自分だけ」の生活
は真の「幸福」ではない、と
二千年の時を超えて
アリストテレス大先生は現代の我々を
叱ってくださっています。
エウダイモニアは幸福階層の最高段階
20世紀後半、現代まで
「幸福」を階層的にとらえる理論が
一般的となっています。
例えば
マズロー、ハーツバーグ
ダニエル・ネトルの「レベル1,2,3の幸福」
R.H.フランクの「地位財、非地位財」
M.セリグマン等。
*これらは、また別記事投稿予定。
アリストテレスは、これら、
数多く出されている幸福の階層構造、
段階的幸福論の開祖でもあるというのが
私の「アリストテレスの幸福論」解釈です。
アリストテレスの幸福論はエリート主義との批判
アリストテレスのエウダイモニア的幸福には
エリート主義との批判もあります。
幸福に低級なものから高級なものまで序列をつけ
高級な幸福である「徳」「卓越性」こそ、
智者の目指すべき理想的幸福としたことです。
実際にそのような社会的エリートを
対象とした幸福論であったことは事実です。
アリストテレスの生きた
古代ギリシアの社会は奴隷制社会です。
アテネの場合、諸説ありますが、
アリストテレスのような自由市民一人に対して、
奴隷二~三人の割合であったと推定されています。
アテネの構成人員の大多数は
奴隷的身分に甘んじていたのであり、
特権階級の自由市民、
アリストテレスの幸福論は、
あくまでもエリートによって書かれた、
エリートのための幸福論なのです。
奴隷の身分に置かれていたとはいえ、
当時の大多数の人びとも
人間であることに変わりはないのですが
アリストテレスは
「奴隷を支配する術は
自由人を支配する術とは異なる。
それは奴隷を使用するための知識であって、
大したものではない」 と述べ、
身も蓋もありません。
そういう限界は有りますね。
まとめ
幸福論の元祖はアリストテレスとされる。
それは『ニコマコス倫理学』で「幸福は最高善」と記したことに由来するが、どんな「幸福」も「最高善」と言っているわけではない。
「エウダイモニア」的幸福のみが最高善とされるが、ギリシャ語で「eu(良い)」と「daimon(魂や精神)」を組み合わせた言葉。
それでもアリストテレスは、最高善の理性的「幸福」から下等の動物的幸福まで「幸福」と寛容に認めている。
アリストテレスは「幸福」を初めて階層的構造で示した。
第一:「快楽」(ヘードネー)の幸福
第二:「名誉」を善とする「政治的」生活の幸福
第三:「徳」「卓越性」(アレテー)による真理探究の幸福
一方「蓄財的生活」は手段で目的たり得ず幸福ではないとした。
最後まで記事をご覧いただき、
誠にありがとうございました。
今後も幸福に関連する記事を
投稿してまいりますので、
好き・コメント・フォローなど
いただけますとありがたいです。
イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男*プロフィール*
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援ありがとうございます。くださったチップは、調査等に使わせていただきます。