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案内所流 後ろを歩く        ~episode4~

「すぐ溜まるんだよなぁ」
 行き場のない不満は言葉になり、夕暮れの湿った空気に重く沈む。
 ポストの口からは、欲望の切れ端を無造作に貼り合わせたような原色の紙片が、こんもりと溢れ出している。
 二枚買わないと安売りされないピザ、けたたましく利回りを謳う不動産、下卑たフォントが躍る不用品回収……
 一枚手に取り、裏も見てみる。

 視界を埋め尽くすのは、
 ビビッドな情報の残骸。
 ゴミとして捨てるべく、
 手のひらの中で握りしめる。
 カサコソと乾いたコート紙の、
 安っぽい硬さが指に残る。
 苛立ちに任せ、
 極彩色の山へ指を無造作に突っ込む。

 指先に触れる。

 指の腹が捉えようとしているのは、
 周囲の喧騒とうまく接続していない、
 異質な柔和さだった。
 触覚が確かめようとする。
 指先から伝わる、微かな起伏。
 まったく違う。
 機械が均一にのした平滑な紙ではない。

 きムラが、
 指先に密やかに絡み合う。
 有機的でしっとりとした、
 植物の呼吸の残滓。

 感化された指先がそれを守るように、
 優しく包み込む。
 スルリと、でもゆっくりと、
 引き抜かれた一枚の封書。

 安っぽい蛍光灯の下、
 どれもこれも浅ましく光を跳ね返す中、
 その封筒だけは、
 周囲の光を深く吸い込んでいる。
鳥の子色とりのこいろだったな」
 溢れんばかりにある、伝統色の呼称……
 鶏の卵の殻のような、
 淡くしっとりとした黄色は、
 冬の朝の薄光を封じ込めたようで、
 どこまでも静謐だ。

 「蒼」もまた、その一色。

 喉の奥が、わずかに引っかかる。
 封書を眼前へ、祈るように持つ。
 この、厚さと重さが、
 何かを、押し出してくる。

 蒼の楷書体
 空か
 海か
 決めないままでいる

「……どうして、あなたは」



「……ええ……はい、結構な用事ができまして……はい、構いません……でも……そうですか……こちらは問題ないです……助かります、ありがとうございます」
 私は電話の最後に「急にすみませんでした」と、気持ちばかりの申し訳なさをにじませる。始業時間を少し過ぎた頃。もう二、三言だけ会話して、携帯のアプリを切り替える。

 今日はカラリと良い天気になりそうな空模様。少なくとも、昨日のじめじめ感はない。
「…いや、気分だけか?」
 メールを送れるアプリに、昨夜から考え続けていた一文を送る。
 連勤の疲れを惰眠で貪るつもりでいた、
 休日のスタートとしては、
 笑みがこぼれるばかりだ。

「お手紙、拝見しました。〇〇日からなら、
 都合がつきそうです。
 ご都合はいかがですか?」

 削りに削った文章だ。
 それでいて、失礼がないように、
 最低限のマナーは含まれていたかな?

 ポンッ

(あれ、もう沸いたかな)と、
 電気ケトルを見るが、何も返さない。

「知ってるでしょ。
 こちらの都合は、いつだって開店休業よ」



「ごめんなさい、急かしたかしら」
 あれから、まだひと月も経っていない。
 お茶を一口含み、
(やっぱりいいな、ほうじ茶。
 香りは当然として、体に色々と優しい)
「有給を消化してくれって、
 むしろ感謝されて。一週間もらえました。
 好きに使えますよ」
「あなたの好きにしなさいよ」
 「ばか」——小さく、聞こえた気がした。

 蒼子さんは、私の茶器だけを洗い終える。
「じゃあ、行きましょうか」
 カウンターからすらりと出てきて、
 椅子に座る私の手を取る。
 そのまま、玄関へ引っ張られる。

「どこへ? 聞いてませんけど?」
 しどろもどろな返事。
「お泊まりよ」
「お、おとまり……あ~、それでね」
 蒼子さんが手を離す。
「ごめんなさい。
 あなたのその顔が見たかっただけ」
「あ~……はいはい。
 そういうの、慣れてますから——」
 ——再び手を取られ、
 そのまま腕ごと脇に挟まれる。

「待たせてるの。急いでくれない?」
 私はコクコクと頷くことしかできず、
 邪魔にならないよう、
 ギクシャクと玄関へ向かう。

「いつものリュックだけ。
 ほんとに手紙、読んできた?」
 また顔を見られている気がする。
 勘弁してほしい。
(…慣れてる? こんなの、慣れられるか!)
「そういう蒼子さんは手ぶらですけど」
 これは怒りなのか、
 言葉は存外すんなりだった。
「私の荷物は、あなただけで充分よ」
 私は「ふむ」と言ったきり、
 そのまま引っ張られていく。

 
 里山の小路は二人が並んで歩くには狭い。
 自然、蒼子さんの背を見ながら、
 歩いていく。
 ふもとに車を待たせているそうだ。
(…眼福、眼福。
 どれだけ見ていても、罪悪感がない)

 「あら、珍しい」と、蒼子さんはこの里山の主らしく、 あれこれ話してくれるのだが、どうにもいかん。
 右から左だ。今は左からだが。
「あーとか、うーとかばかり。
 …楽しくない?」
 青天の霹靂。足元が滑りかけた。
「まさか、滅相もない!
 蒼子さんの解説に呼応できる…
 なんというか、うまく出てこなくて。
 つまらなそうな顔、してます? 
 もしそうなら、謝りますけど」
 蒼子さんは私の顔をじっと見て、
 「なら、いいけど」と、また前を向く。
  無を装っていた私は、
 ほっと胸を撫でおろす。
 当然の結果だ。
 まったくの嘘はついていない。

「美しい」とか「可愛い」とか——
 分かりやすい言葉で済むはずのものに対して、何も考えずに「好きですね」とか、言えてしまう側の人間であるはずなのに——
 私だけの問題か?

 なんにせよ、この状況の異常性が、
 どうにもいかん。
(……望まない、幸せ?)
 思考だけが、先に走る。

 ——いや。
 もう一度、考えろ。
 解説する側の意図。
 あれは本当に、ただの言葉か。
 多すぎないか。
 ——どれも、違うんじゃないか。

「どうかした? 何がおかしいの?」
(は?…いつから見てた? 
 油断も隙もない。
 しかも洞察が、数歩先を行ってる)
「いや、いつになく饒舌かな、と」
 適当に言ってみる。
 「そうかしら」と、ぷいと前を向かれる。
(ん~~、首筋が赤くなったり——)
 ——蒼子さんがまた、振り返る。

「あなた、嫌らしい顔よ」
 「すみません」と、私は認めた。
「前を歩きます。
 私の後を付いて来て下さい」
 狭い小路で、強引に交差する。
 視線が絡まり、一瞬、止まった気がした。


 杉の木立が左右に並ぶ斜面を、
 緩やかに曲がっていく。
 視界が抜ける。
 息が跳ねた。
 道幅が広がり、隣に蒼子さんが並ぶ。
「お気に召して?」
 私は返せない。
 雑草混じりの砂砂利に、
 長い影が落ちている。

「ベントレーですか。生で初めて見た。
 マトリックスグリルが美しい」
「ご存じで何より」
「007は、
 私が絶対なれない人物の第一位です」
 「いいわ」と微笑む蒼子さんが、
 ベントレーの傍らに立つ。
 後部ドアが音もなく開いた。
「乗って」

 ベントレーに足を一歩、踏み入れる。
 そこは車内というより、室内だった。
 運転席は一枚の漆黒の壁で仕切られ、そこに埋め込まれた巨大なモニタービューが、外の景色を音もなく流している。
「…黒ではないな。墨色?」
 室内に無駄な装飾は一切ないが、
 その色調のせいか、どこか息を感じる。

 革張りのシートに手を伸ばす。
 同じ黒を基調にしているが、
 こちらは硬質な感じがある。
 それでいて色を感じさせる。
「…深海に沈んだ鋼? 
 さっぱりわからん」
 私は自分の比喩に笑った。
 光の加減で色が見える気がするのだ。
 あれ、なんだったかな、蝶の羽。
(緑にも、青にも…
 なんか、くらくらしてくるな)

 革の手触りは、よくあるような…
 いや、触ったことはないか。
 情報量が多いせいか、思考がバラつく。
 不快ではないが、少し面倒だ。
 ベルベットのような起毛感はない、
 あくまで冷徹でスムーズ。
 身を沈める。
「おぉ」
 情けないとは思いつつ、
 漏れ出る声を止められない。
 適温。まず、浮かんだ言葉。
 指先に吸い付く質感。湿度がある。
「…この、密着感。やばいだろ」
 まるで映画の幕が下りるように、
 ドアが閉まっていく。

 上品な音と共に密閉されたが、
 不思議と圧迫感はない。
 ただ、わずかに残っていた里山の湿り気を帯びた空気が、逃げてしまった。
(…空調か)
 革の香だけで基本無臭。ビューの映像はあるが、無音。当然、外の風も感じられない。
 改めて全体を見る。
 シートの前方は、
 どんなに足を伸ばしても、仕切りまでは届かないスペースがありそう。
 後部も何もない。リクライニングしても、随分余裕がありそう。
 他には——

 コンコン

 向かいのドアから控えめな音。
 蒼子さんが現れ、
 「おじゃまします」と隣のシートへ座る。
(…なるほど、そういう風に座るものか)
「お邪魔します? おかしく…いや、適切か」
 思考と言葉がそれぞれの道を行く。
 いい感じだ。

 外の景色が流れ始める。
 音も振動もなかった。
(新幹線か? これだから高級車は…
 初めて乗るものではないな)
 蒼子さんは手元のクーラーボックスから、
 一本のワインを取り出した。
(シャンパンのロゼだ。
 それ以外はあり得ない)

「ここまで来れる人はそう多くない」
 蒼子さんの空いた手には、二つのグラス。
「えっと、シェリーグラス?」
「間違ってはないわ。
 アペリティフグラスの方が一般的かも」
「それ、絶対出てこないやつだ」
 私は無邪気に笑えていた。
(いいスタートだ。頑張れよ、自分。
 楽しませてくれ)




【今回のお題】
『高嶺の人が誘ってきたら?』

【かみこて流一歩目】
行くしかないな。持てるものはそんなにないし、あの人なら、ちゃんと持たせてくれるだろうし

『……特定するような言葉はやめてくれ。その信頼の根拠はなんなんだ?』



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かみこて 太っ腹♥ きっと、良いことがあったんだね💫