短編「月と踊る猫」Ⅱ丨#片想い文芸部
「ちょっとだけ話、聞いてほしい。」
そう。
誘ったのは私の方だった。
私と彼が以前から友人関係であることを私のパートナーは知っていたから、出かけるのには何かと都合が良かった。
言ってしまえば、私は彼に以前から好意を持っていた部分があった。そう言えるのは、あわよくばというような、少し邪な気持ちが私の中に全くなかったわけではなかったからだ。
そして彼には少し優柔不断なところがあることも私は前から知っていた。
その夜は満月が綺麗なのもあったし、私の中でどこか試してみたかった、みたいな、悪戯心があったのかもしれない。いや、本当は───
彼はその日、グレージュのメルトンチェスターコートにそれよりやや暗い色のテーパードパンツといった、綺麗めな服装だった。
いつものラフな服装に見慣れていたから、へぇ、こんな服装もするんだ。というのが正直な感想だった。
「夜景でも見に行こうよ。」
そう言って車に乗る。
近くの高台に、夜景が綺麗な展望台があるのを思い出したからだ。
彼がエンジンをかけて、出発する。
もちろん夜景は見たかったけど、
行き先は特に決めていなかった。
振り返ってみると、この時の私は、単純に彼と過ごしていたかったんだと思う。
車に乗ってからの会話は、
私の飼っている可愛い猫の話だとか、
特に当たり障りのないものだった。
それより、いつもと雰囲気の違う彼に緊張したのもあって、あまり会話の内容は覚えていなかったというのが本音だ。
私は、私が思っていたよりも窓の外で流れていく景色を目で追うのでいっぱいだった。
駐車場に到着すると、一目散に展望台まで駆け出した。
まるで夜景をみるのを心の底から楽しみにしていたみたいに。
そんな駆け出す私の右手の汗と火照った身体を、
十月の風はどこか諭すように冷ましてくれたような気がしたが、私は気づかないふりをした。
遅れて出てきた彼を待ち、景色の方に振り返る。
展望台からの夜景はこれまで何度か訪れた時よりもより一段と輝いているように見えた。
それはきっと、共に眺める相手がいつもと違ったせいだった。
不思議と横にいた彼の表情も、
同じくらいに輝いているように私には見えた。
彼と一緒に夜景を眺めていた時、そのあまりの美しさに私の心は高鳴った。
この躍るような気持ちのまま、二人手を取り合って、闇に紛れてしまえたら、なんて思ってしまった。
私たちを見下ろす満月も、特別に今だけは私たち二人を照らさずにいてくれているようだったから。
そして、その一瞬の思いつきは、私を動かした。
そう、彼に魔法をかけるみたいに。
十月の風は、止んでいた。
私は月の光から逃れる黒猫のように、彼を私の世界へ誘おうとしてみた。少し悪戯っぽく。
「もし私たちが付き合ってたとしたら?」
そう言った瞬間を、私は忘れる事が出来ない。そして、今後もおそらく忘れることはないだろう。
この高台だけ世界から切り離され、私たち以外に流れている時間が止まったような。そんな特別な瞬間だった。
そんな瞬間を終わらせてしまったのは、彼の非情な一言だった。
「ちょっと。冗談やめなよ。」
まるで私たちの周りで流れてた素敵なBGMを突然止めるみたいに。
ここで、その優柔不断さが出るんだ。私は心の中で苦笑いしたのと同時に、もちろん少しの悲しみも憶えた。
「そうだよね。」
意図せず少しだけ歪んでしまった表情は、逆光になっていてくれていたのか。
そうだと助かるけれど。
こんな情けない表情、見られなくなんかない。
いや、彼が気を利かせて見ないフリをしてくれたのか。
月は私たちを、照らしていたんだ。
その日はそれ以上、お互いにその話はしなかった。
───その日、彼には手を取って欲しかったかもしれない。
好奇心は猫をも殺す、だったっけ。
もし私が彼を誘う悪い黒猫だったとして、彼が私の手を取ったとして。
月のない暗闇に誘い込まれて二人で踊ってしまっていたなら、私には罰が下っていたのか。
そんな起こり得なかった世界線のお伽噺に思いを馳せていたら、ぼんやりとしていた視界の端に彼が突然現れた。
慌てて視線を外す。
「どうかした?」
「ううん、大丈夫。」
少し上の空になっていたかもしれない。
「ちょっとカフェとか行きたい気分かも。」
それより、彼の視線が気になった。
偶然とはいえ、今パートナーと二人でいるところを
あまり見られたくはなかったからだ。
私はまるで安全な距離が保てるまで周りを警戒する猫のように、背を低くしたまますたすたとその場から離れるので精一杯だった。
到着したカフェで、私はガトーショコラを注文した。
きっとその苦みは、私の中の苦みとも混ざり合って溶けて無くなってくれるだろう。
その期待も込めて。
席について、ひとまず息を吸った。
彼は今、私のことをどう思っているだろう。
悪いことをしてしまったかもしれない。
こんな自分が嫌になる。
でも知りたい。
知りたいと思う自分がいるのに間違いはない。
あの時もそうだった。
好奇心がマタタビのように私の鼻腔をくすぐる。
でもこれ以上の詮索は、私の身を滅ぼしてしまうかもしれないから。
運ばれてきたガトーショコラを、
小さく一口大に切って口に運んだ。
そのガトーショコラと自己嫌悪の仄かな苦みは口の中で交わって、私の中で溶けていく。
次の一口を運びながら、思った。
私って、あざとい。
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