Claudeで生成した文章に「透かし」が入る件ー半分賛成・半分危機感ー「踏み絵」になりませんように。
はじめにー「踏み絵」が始まる?
Anthropicは、Claudeの新しい対応モデルが生成する文章(テキストデータ)に、人間には見えない機械可読の透かしを組み込む方針で、本日8/12時点において、すでに日本でも導入されているとのこと。
これについて私は、半分賛成である。
ところが、残り半分は危機感を覚えた。
半分賛成の理由
中身の無い薄っぺらな記事や文章は検索に引っかからないようにして欲しい。私が酔いに任せて書きたいままに適当に書き殴ったnote記事がAIに「エビデンス」として引用されているのは本当にビビった。その恥ずかしい記事は既に引っ込めた。同様にAIが「それっぽく書いただけ」の文章が「エビデンス」として採用されるのは困るよ。困るって。
半分反対の理由
私が原稿を書くとき、もはやClaudeは欠かせない相棒だ。企画、計画、校正、推敲、添削、校正、編集・・・執筆の相棒である。
特に、推敲や添削において「もっとこういう表現にするといい」と理詰めで提示されると、確かにその方が理に適っていると思って、AIの案を採用することも多々ある。
私は文章を書くことが大好きなので、絶対にAIにさせたくない。AI臭のする文章に苦手意識もある。しかし、AIから「論理が破綻している」とか「読者目線ではこういう表現の方が相応しい」と指摘されると、うん、確かにそうだな、と思って、それに従うことも多い。めちゃくちゃ理詰めで解かれると、確かに、と納得してしまうこともある。
それでAI(私は最近Cowork愛用者だ)が示した案を採用した瞬間に「Claudeが生成した文章です」と出るようになるのだとしたら。
「これは生成AIによる文章です」と出たら、そんなもの読みたくない、と思う方は多いだろう。私もだよ。
いや、私の文章が読まれないのは別に良いのだ。正確に言えば、そりゃ寂しいよ。寂しいけれど、自力で書いた文章なのに「AI臭がする」と言われたら、「どうせClaudeで書いたんだろ」と言われたら、そりゃ悲しいけれど、しかしそれでも、私の話なので、私の問題であり、まあ、そこはいいんだ。私が試行錯誤しながら乗り越えていく話なので。
私が危惧しているのは、学生が徹夜で自力で頑張って考え完成させたレポートまで、たまたまAIと似たようなパターンを検出してしまったとき、教員から「これはClaudeで書かれたものだから0点」とジャッジされてしまう可能性はあるのかどうなのか。それで当人が学習意欲を失ってしまうのであれば・・・そこが私にとっては痛むところなのだ。
読書感想文コンクールでもそうだ。小学4年生が、渾身の感想文を書いた。あまりにも内容が良すぎるので、機械にかけたら「生成AIによる文章です」と出て、最優秀だったのが取り消しになったら。その子は読書の感動を、そのまま原稿用紙に綴っただけなのに「あいつAIで賞取って取り消されてやんの」となったら。
私はAI初心者じじぃなので
私はエンジニアでもなければ、AIを専門とする何者かでもない。ただのじじぃだ。だから、どんな技術で、どう判定されるのかさっぱりわからない。
調べたところでは
1,現時点では「Claudeが使用された可能性がある」と出るだけで「これはClaudeが生成した文章です」と確定されるわけではない。
2,「これは透かしがありません」=「生成AIの文章ではない」という断言もできない。
あかんやん。
だったら私みたいな初心者の素人考えなのだけれど「透かし」じゃなくて、Geminiの画像生成みたいにすればいいのに。Geminiで画像を生成すると、Geminiのマークが出る。これはAIによる画像ですよ、と。
この記事の見出し画像も、Geminiのマークが入っている。

それを私は、自己顕示欲が強いのか、自分でもちょっとアレなんだけれど、自分のキャラクターを入れる。

それでこれは、別にGeminiのマークを隠したいわけじゃないんだ。右利きなので、右下にどうしても何かを置いてしまうんだ。右利きが関係あるかって、あるんだ。マウスが右方向に行きたがるんだ。右手で操作しているから。
だったらどこかに「この画像はAIで生成されています」と入れるべきなのか。私は否、と思っている。こんな、いかにもAIが描きました、という画像にまで、断りが必要なのか。
いや今後、必要になってくるのだと思う。
そういうことひとつとっても、私はまだまだ初心者の門の入り口でウロウロしているのだと自覚はある。
AIで書いた文章が全部だめなのか
AIが書いたからダメ
これ、私は難しい問題だと思っている。確かにダメなケースは多い。結婚10周年の感謝の手紙を、ChatGPTのコピペで送られて、嬉しい伴侶などいないだろう。校則違反した生徒が何の罪悪感もなくAIに書かせた反省文をプリントアウトしてハイと提出されたら、先生は腹立つだろう。
しかし、例えば専門分野において、専門的な知識や技能を持った人が、それらの知見をAIに学習させて生み出した文章は、私は価値があると思う。また専門家が何となく思い描いていた、しかし難しすぎて手を付けられなかった仮説を、AIの粘り強さを生かして何度も何度も演算を繰り返し、正しさを証明できたなら、そのAIの書いた論文は、ぜひ読んでみたいと思う。
例えば私が敬愛する読書猿さんは、最近noteで連載をスタートされた。
タイトル画像もそうだし、文章だってそう。AIが大活躍している。しかし私が同じAIで、同じタイトルで同じように文章を作ろうとしても、きっと、できないのだ。読書猿さんがこれまで人生において積み上げられてきたものがあるから、この記事が生まれるのだ。
そういう意味でもAIで書かれた文章が全部ダメかって、違うのだよ。それをダメって言っているのは、もう、それはアレルギーだったり先入観だったり、思い込みだったり、誤解だったりするのだよ。
私は最近特にClaudeCoworkを「竹中半兵衛」に見立て、希代の軍師として育成中である。どうして半兵衛にしたかというのは、気分だ。そのうち、諸葛孔明になるかも知れないし、郭嘉の日もあるかも知れない。
モデルは基本「Opus」を用いているのだが、彼に少し文章を作ってもらった。

なかなか、おもろい奴でしょう?
AIに不信感や嫌悪感を抱くこと自体は否定しないし、私も実は、そうです。否定的な面も持っています。
しかしAIとは「機械のひとつ」であり、炊飯器や洗濯機、電子レンジや自動車と変わらない、我々の日常を支えてくれるツールです。それを何か「人間の敵」「違法」「インチキ」といった角度で眺めてしまうと、せっかくの機械がいや機会が、もったいないと私は思います。
良いこと:使う側が、AIの仕組みを学び、倫理的に道義的に正しいルールに従って用いること。
良くないこと:AIを悪用すること。AIの機械的出力を鵜呑みにすること。
そういう視点で、学べば学ぶほど、結局は使い方次第、使う人次第、というところがよりはっきりと見えてくると私は思っています。
そんなわけで、私は今日も、AIを学ぶ。AIに学ぶ。AIと学ぶ。
※注意:この記事は、筆者まめじぃが、度数がちょっと高めの、ボンベイサファイアという大好きなドライジンをストレートでうんめーと味わい尽くした後で、けっこういい気分で書いた記事である。途中文体が「だ・である調」から「ですます調」に変わるところなど、日ごろ教え子に「なんじゃこりゃあ」と赤ペンを入れているのに、結局自分でもやってしまっている、そんないい加減な記事である。AIの利用は様々なリスクが伴い、しっかりと基礎基本を学んで、リテラシーを身につけて、正しく使う必要がある。AIとはあくまで「機械」「道具」なのだ。使い方次第、使う人次第。
それでAnthropic社は、今後「透かし」をどう判別するか、我々がどう用いて、どうなっていくのか、具体的な情報を順次公開していくとのこと。そのことに注目したいと思い、ここに記事にした。スキを誰かが押して頂くと、追加情報が加わるかも知れない。今回もまた他力本願。
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