変わらないことの意味を、誰が引き受けるのか ——文化的コンプレックスから読む、高市政権と日本社会
前作「なぜ、根本は変わらないのか」では、家族制度・男性中心主義・単一民族という三つの建前が、社会的実態の変化にもかかわらず、周辺的な部分修正だけを繰り返しながら温存され続ける構造を、グラムシの「受動革命」という概念で診断した。実態はすでに変わっている。しかし、それを説明するはずのイデオロギーそのものは、根幹において変わらない。この乖離が、市民の間に「何かが変わっているはずなのに、何も変わっていない」という、ぼんやりとした違和感をもたらし続けている、と論じた。
その診断は、しかし、一つの問いを開いたままにしていた。この乖離が、これほど長く、これほど頑健に存在し続けているという事実そのものに、何らかの意味があるのではないか、ということだ。その意味とは、いったい何なのか。これを、根本を変えたい人も、変えたくない人も、それぞれの立場から、共に考えてみたい。
この問いに答えるには、政治学の語彙だけでは足りない。ここから先は、深層心理学の視座を借りたい。ユングは、対立を性急に解消せず、両方とも本気で保持し続けることによってのみ、それまでのどちらでもない第三の何かが立ち上がってくる、と考え、これを「超越機能」と呼んだ。この視座は個人の心を対象に組み立てられたものだが、集団にも同じ力学が働くはずだ、というのが、この論考の出発点である。
ただし、あらかじめ断っておかねばならないことがある。これから論じる高市政権は、個人としての高市早苗の器の大小を問うものではない。むしろ逆で、この論考が示したいのは、政権が抱える葛藤は、政権の未成熟ではなく、日本社会という集団そのものが、まだ引き受けていない課題の反映だ、という点である。
一 文化的コンプレックスという視座
その道具立てとして有効なのが、ユング派分析家トーマス・シンガーとサミュエル・キンブルズが発展させた「文化的コンプレックス」という概念である。
「劣等感」という言葉なら、誰でも知っているはずだ。特定の話題に触れると、本人でも説明のつかないほど強く、いつも同じ反応——過剰に身構える、黙り込む、あるいは怒り出す——が起きてしまう部分が、誰の中にもある。ふだんは意識の奥に隠れていて、その話題に触れられた瞬間だけ、同じパターンが繰り返される。これが「コンプレックス」だ。文化的コンプレックスとは、これと同じことが集団のレベルでも起きる、という考え方である。前作で触れた「これは移民政策ではありません」という答弁を思い出してほしい。外国人労働力への依存という話題に触れた瞬間、政治家個人の判断というより、社会全体が、同じ防衛的な言い回しへと吸い寄せられていく。特定の話題に触れると、社会が判で押したように同じ反応を示す——これが、文化的コンプレックスが作動している状態だ。
分かりやすい例で言えば、アメリカ社会がそうだ。かつての奴隷制度と人種差別という歴史的な傷は、「自由と平等」という国家の建前の裏側に、今なお強固な文化的コンプレックスとして存在し続けている。人種や差別をめぐる特定の事件や議論が持ち上がった瞬間、社会は落ち着いた対話を経る前に、猛烈な罪悪感か、あるいは過剰な攻撃性と防衛反応かのどちらかへと、一気に巻き込まれていく。オーストラリア社会における、先住民アボリジニへの不当な扱いの歴史や、かつての「白豪主義」の記憶も、同じパターンをたどる。他者からの批判や、実態の変化によって集団としての自己像が脅かされたと感じた瞬間、判で押したように過剰なナショナリズムや、防衛的な言説へと退行していく。
二 建前という文化的コンプレックス——単一民族という物語
この視座に立てば、「単一民族意識」や「伝統的な家族観」は、特定の政治家の信条である以前に、日本社会そのものが長年抱えてきた文化的コンプレックスだ、と位置づけ直せる。それは特定の政党や指導者が発明したものではなく、社会の集合的な記憶の堆積から、自律的に形成され、繰り返し再生産されてきたパターンだ。
ただし、確認しておきたいことがある。これらのコンプレックスは、単なる思い込みでも、遅れた意識でもない。伝統的な家族の形や、同質的な国民という自己像によって、現実に人生の秩序を保っている人々が、確かに存在する。コンプレックスが防衛的に固着するのは、それが多くの人にとって、実際に生活と人生観を支える秩序として機能してきたからだ。これを「遅れた意識」として切り捨てることは、それ自体、もう一つの一方的な投影にすぎない。
単一民族という自己像は、戦前から一貫して存在したものではない。戦前の日本は朝鮮半島や台湾を版図に含む多民族帝国であり、「五族協和」の理念さえ掲げていた。現在につながる「単一民族国家」という自己像が広く共有されるようになるのは、1945年の敗戦と帝国の解体を経た戦後である。植民地支配の歴史的責任と帝国崩壊の喪失を正面から引き受ける代わりに、日本社会は「もともと単一民族から成る島国だった」という物語を共有することで、新たな国民的アイデンティティを形成したと読むことができる。この物語は、敗戦による社会的危機を精神的に処理する機能を果たしたとも考えられる。そして、アイヌ民族や琉球・沖縄の人々、在日コリアンが公的な議論からたびたび周縁化されてきたことも、この単一民族という文化的コンプレックスが、その周縁化を支え、正当化する役割を果たしてきた結果として理解することができる。
三 高市政権という担い手
ユングは大衆心理を論じた文章の中で、指導者というものを、集団を導く自律的な主体としてだけでなく、集団の無意識の内容を映し出す鏡としても捉えている。ある個人が指導者として選ばれ、支持されるとき、それは多くの場合、その個人が、集団自身がまだ言葉にできていない何かを、たまたま体現しているからだ。この視点に立てば、因果の向きは、通常の政治報道が想定するものと逆になる。「指導者がこうだから、社会がこうなる」のではなく、「社会がまだ抱えている、言葉にならない緊張があるからこそ、それを体現する個人が、指導者として選ばれる」という順序だ。
2025年10月に発足した高市政権は、まさにこの構造を体現している。高市早苗という政治家は、選択的夫婦別姓への慎重な立場、伝統的な家族観の重視、安易な外国人労働力依存への警戒——つまり前作で論じた「建前」そのものを、長年、自らの政治的立場として掲げてきた。この立場は、高市氏個人の未成熟の表れなのではない。むしろ、日本社会の相当な部分が、実態として抱え続けている文化的コンプレックス——伝統的な家族の形や、同質的な国民という自己像によって、現実に秩序と意味を保っている人々の実感——を、政治の言葉として代弁している、という側面がある。
一方で、その彼女が首相として統治する対象である日本社会の実態は、外国人労働力なしには介護も建設も物流も回らず、共働き世帯がとうに標準となり、皇室典範ですら現状維持では立ち行かない社会である。高市政権は、この二つのあいだの緊張を、社会全体よりも先鋭な形で、一身に体現する立場に置かれている。しかしこれは、高市政権という個人・組織の未成熟ではない。日本社会という集団が、まだこの緊張を自分自身の課題として引き受けられていない、その未成熟が、たまたま政権という一つの通路を通って可視化されている、と見るべきだ。政権を批判することは容易い。しかし、その批判が「この政権さえ替われば解決する」という期待に留まるなら、その期待自体が、集団としての課題を、再び一人の担い手に押しつける、同じパターンの反復にすぎない。
高市政権はまた、外側からも二方向の圧力を同時に受け続ける位置にある。参政党的な支持層からは「建前をもっと守れ」という圧力を、れいわ的な生活困窮層からは「建前などより先に生活を守れ」という圧力を、同時に浴び続けている。前作で指摘した参政党とれいわ新選組の対称性は、社会が自分の中にある不安や怒りを、互いに相手の集団へ投影し合っている、という同じ構造の二つの現れだったと言える。政権自身が、この二つの圧力の間で対話を生み出しているようには見えない。
四 皇室典範改正と骨太の方針——コンプレックスの二つの顔
この構造が、最も分かりやすい形で表れたのが、2026年7月に成立した改正皇室典範だろう。女性皇族が結婚後も皇室に残ることを可能にし、旧宮家の男系男子を養子として迎える道を開く一方で、女性天皇や女系継承という、より根本的な論点には一切触れなかった。皇族数の減少という周辺的な危機には迅速に応じながら、男系男子主義という制度の根幹だけは、あえて手つかずのまま残された。
ユングは、個性化——それまでの狭い自己理解を超えて、より広い自己へと変容していく過程——の要請に直面したとき、その困難があまりに大きいと感じられる場合、人は前に進む代わりに、以前のより狭い、より慣れ親しんだペルソナへと後退することがある、と論じ、これを「人格の退行的回復」と呼んだ。改正皇室典範は、まさにこの退行的回復の事例だ。しかも重要なのは、これが幅広い政党の賛成を得て、異例の速さで成立した、という点である。退行しているのは高市政権という個人でも組織でもなく、日本社会という集団そのものであり、政治は、その退行を制度として実行するための回路にすぎない。一つの政権の判断というより、社会の相当部分が、この退行を望んだ、あるいは少なくとも積極的に押しとどめようとしなかった、という集団的な事実として読むべきだろう。
一方で高市政権は、同時にもう一つの顔を持つ。2026年7月に決定された骨太の方針2026は、「責任ある積極財政元年」を掲げ、官民投資の誘発による供給力強化、雇用と所得の増加による好循環の実現を打ち出した。ガソリン税の暫定税率廃止、基礎控除の引き上げによる実質減税など、生活防衛のための実務的な譲歩も、次々に打ち出されている。
伝統的な建前を代弁する政権が、その建前とは無関係に、あるいはむしろそれと矛盾する形で、実務的な統治判断を積み重ねていく。この二つの顔は、統合されないまま、同じ政権の中に同居している。しかしこれもまた、政権個人の分裂というより、伝統を守りたいという実感と、生活の現実を回さねばならないという実感の両方を、同時に、しかし別々に抱えている社会そのものの分裂が、そのまま政権の姿として映し出されている、と見るべきだ。退行的回復(皇室典範)と実務的な譲歩(骨太の方針)を、その都度、場当たり的に使い分けることで、政権は、どちらの圧力も、決定的な破裂には至らない程度に、なだめ続けている。
五 なぜ、集団は個性化に入れないのか
ここまで論じてきたことから、一つの仮説が浮かび上がる。日本社会において超越機能が発動しないのは、伝統を守りたい人々と、変えたい人々の、どちらか一方が悪いからではない。両者を同時に保持し続けるための「容器」——耐えがたい緊張を、性急な解消に走らずに、社会全体の課題として抱え続けるための、公共の場——が、この社会にまだ用意されていないからだ。
エーリッヒ・ノイマンは、個人の意識が発達していく過程と類比的な形で、文化や文明もまた、集合的な意識の発達段階を経る、と論じた。個人の自我が、外部の権威や集団への同一化から徐々に離れ、自分自身の内側の対立を引き受けられるようになっていくように、集団もまた、外部の敵への投影に頼らずに、自分自身の内部の対立を引き受けられる、集合的な自我を確立していく過程を経るのかもしれない。この視点を借りれば、日本社会は、伝統を守りたい実感と、変えたい切実さの両方を、外部の敵への投影によってではなく、自分自身の内側の課題として引き受けるための、集合的な自我を、まだ十分に確立できていない、という診断が成り立つ。
だとすれば、高市政権に、この葛藤を統合する役割を期待すること自体が、そもそも見当違いなのかもしれない。一つの政権、一人の政治家に担わせられるには、この課題はあまりに大きい。必要なのは、政権交代でも、特定の政治家の成熟でもなく、社会という集団全体が、伝統を守りたい人々の実感と、変えたい人々の切実さの両方を、互いへの投影によってではなく、それぞれが自分自身の内側の課題として、時間をかけて引き受け直していく、集合的なプロセスなのではないか。
このプロセスが具体的にどのような形をとりうるかを、断定することはできない。ただ、いくつかの手がかりは挙げられる。世代を超えた対話の場、失われたものへの喪の作業、そして、伝統を守りたい実感と変えたい切実さの両方が、どちらも切り捨てられずに公の場で語られる回路。こうした地道な積み重ねなしに、集合的な自我が確立されることはないだろう。
ただし、ここで一つ、留保を付けておかねばならない。集団の未成熟という診断は、個々の政治的判断が負うべき責任を、社会全体へと解消してしまう危険もはらんでいる。高市政権の個々の政策判断——皇室典範改正をどう成立させたか、どの勢力との連立を選んだか——には、政権自身が引き受けるべき固有の責任がある。集団心理学的な視座は、その責任を免罪するためではなく、個々の判断がなぜこれほど反復的なパターンをたどるのか、その背景にある構造を照らし出すために用いられるべきものだ。
結語にかえて
変わらないことにも、意味はある。変わりたいという衝動にも、意味はある。しかし、その両方の意味を、それぞれの立場の人間が、自分自身の内側の課題として、深く引き受けないかぎり、超越機能は発動しない。根本を変えたい人は、変えたくない人の中にある不安の切実さを。根本を変えたくない人は、変えたい人の中にある要求の正当性を。それぞれが、相手の中にではなく、自分自身の中に見出さないかぎり、対立はいつまでも外在化されたまま、他罰化され続ける。
高市政権という一つの通路が、この葛藤を統合できるのか、それとも退行と譲歩の往復運動をただ繰り返すのか。それはまだ分からない。しかし、少なくとも一つのことは言える。この葛藤の主語は、高市政権でも、高市早苗という一人の政治家でもない。日本社会という集団そのものが、いつになれば、変わらないことの意味と、変わることの意味の両方を、互いへの投影によってではなく、自らの課題として引き受けられるようになるのか——問われているのは、その一点である。
