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歌川国芳 8人の八卦美人シリーズ──第三幕 【金】




毎度ごひいきにあずかりまして、ありがたく存じます。

さて、
第二幕──【損】の段では、
癇癪玉ひとつで、茶碗もご破算──

あの一枚に込められた、
国芳の洒落と教訓の仕掛け、
くすりとさせて、あとに残るひと刺し。さすがの筆でございました。


さあ、続いては──
第三幕、いよいよ開帳と相成ります。


今回もまた、
絵筆をふるうは、
我らが洒落の名人・歌川国芳。

その連作、
人間萬事愛婦美八卦意にんげんばんじおうみはっけいより、
今宵ご覧いただきますのは──【ごん】の段。


金と書いて、ごん──
八卦における「ごん」の字にかけ、
動けぬ山、進まぬ道の気配を漂わせる名でございます。


さて、この一枚──
舞台は、深川の船宿。

涼みがてらに上がり込んだ客は、どうやら日本橋あたりの大店の旦那と見えます。


「これぁ、娘への土産にちょうどよい」──
そんなことを口にしながら、
先日、錦耕堂きんこうどうの店先で手に入れたという浮世絵を、広げて見せております。


金の装いに、金の箱。
けれど、その足元は、どこか心もとなく……


はてさて、
果たしてこの女、
ほんに“金”をまとっているのか、
それとも──“金”にまどわされているのか?


そうこうしているうちに、
のれんの隙間から、するりと忍び込んできたのは、
どこぞで見覚えのある、

尻尾の影──



どこからともなくふらりと現れる、あの隠居猫。

膳の香りに誘われてか、はたまた世の裏を嗅ぎつけてか──
今宵もぬるりと顔を出します。


ではでは、これより始まる、おたまの語り──

第三幕、はじまりはじまり!


──深川の船宿というのは、川風が吹き抜けて、なんとも粋な場所さ。


この日は、大店の旦那がひとり、膳を待つあいだに浮世絵を広げて、
「これぁ、娘への土産にちょうどよい」なんて、機嫌よく呟いてたよ。


どれどれ。


──ほう、「見晴の落雁みはらしのらくがん」だってねぇ。

歌川国芳「人間萬事愛婦美八卦意にんげんばんじおうみはっけい 金(艮)」見晴の落雁みはらしのらくがん ボストン美術館蔵


はぁ、こりゃまた、べらぼうに派手なこしらえだね。


金ぴかの蒔絵箱に、袖一面の乱菊。髪はきっちり高島田てなところかい。


ぱっと見りゃ、こりゃもう、婚礼を控えた娘御のようだが……
じぃっと見てると、どうにも落ち着かない。



なにせ、あの国芳のことだ。
ただの見目麗みめうるわしい絵で済むわきゃない。


きっと、この一枚にも、どこかに──
洒落と皮肉の種が、ひょいと隠れてるに違いないさ。



──よし、ここは一丁、
あたしの鼻と目ぇ効かして、絵の中に隠れたまことを嗅ぎ当ててみようじゃないか。





国芳が描いた「人間萬事愛婦美八卦意にんげんばんじおうみはっけい
その揃いのなかの一枚ときちゃ、
題にある「見晴の落雁みはらしのらくがん」は
近江八景のひとつ「堅田落雁かたたのらくがん」にひっかけたもんだろうね。



ほんとは──
秋の夕暮れ、琵琶湖の上に雁が列をなして降りてくる、
なんとも言えない、しっとりとした情景を「落雁らくがん」って呼ぶのさ。


けど、この絵にゃ
──雁もいなけりゃ、湖もない。


見晴らしてるはずの、この女の目の先にゃ何にも見えやしない。



──とくれば、さ。
この女こそが、落ちゆく“雁”ってわけかい?


着飾った羽根だけで高く飛び上がって、
どこへ向かってるのかもわからず、ふらふらと落ちてく……


自分の足元も、見晴らせていないってとこだろうさ。

それで、両の手で持つ──丸く、重たげなその箱は、金の蒔絵で飾られた立派な細工もん。


こりゃたしか、昔、人間が正月だの婚礼だの、
節目の折に使ってたのを、どこかで見た覚えがあるねぇ。



けど、国芳のことときちゃ、
ただの道具を、そのまんま描いたってわけじゃないだろうね。


どうせこれだって、
何かの見立ての道具にちがいないさ。




ほら、その蒔絵には──水仙の花。


凛として咲くけど、香りは強くて、毒もある。
己の姿に酔って咲くなんてこともいわれてるのさ。

“虚飾”や“うぬぼれ”の意味もあったりしてね。


“空っぽの見栄”を、まるで大事なもんみたいに持ってるってな寸法さ。



身にまとってるのは、乱菊の文様。
これがまた、華やかで──そりゃぁ見栄えはするけどねぇ。

乱菊ってのは、高貴の象徴だの、魔除けの吉祥柄だのって言われるもんで、
秋に咲く花のなかじゃ、ひときわ立派なもんさ。


菊に、水仙──
どれも季節の風情を背負った花ではあるけれど、
その裏にゃ、儚さや危うさ、
時に毒気までも潜んでるってね。

国芳は、そんな“花”をこれでもかってくらい、この女にまとわせた。


見た目ばかり飾り立てても、
中に何もなきゃ──それはもう、
風に散る前の花びらみたいなもんで。



こしらえた華やかさの奥に、
“からっぽ”が隠れてる──そんな女の姿が、
この絵にはしっかりと描かれてるってわけさ。


身にまとうは大輪の菊、手にするは金の水仙、
それが中身を隠すための幕じゃあ、情けないもんだ。



姿かたちばかり立派でも、
中が伴わなきゃ、そりゃあ“ 落ちる雁 ”てなもんさ。


見た目の華やかさに酔いしれてりゃ、
気づいたときにゃ、もう落ち始めてる。


──ふわりふわりと、着飾ったまま、地に向かって。




けれど、ほんとに“見晴らしてる”のは、
あの女じゃなくて──

この絵をじいっと眺めてる、あたしたちの方なのかもしれないねぇ。


表のきらびやかさに踊らされず、
見せかけに酔わずにいられるか。



「そら、てめぇも上っ面で舞っちまうタチかい?」


そんな国芳の声が聞こえてくるのはあたしだけかねぇ。


時を超えて、絵ひとつに、ようこんな知恵遊びを仕掛けてくれたもんさ。


まったく、粋な舞台の仕掛け──
踊るか、踊らされるかは、こっちの踏みどころ次第ってわけだ。


──さぁ、ここからが“戯れ”の見せどころ。

国芳とひと踊りできるなんざ、こりゃあ乙な役得。
ありがたやま──ってね。





よし、詞書を読んでみようじゃないか。

ここがまた、国芳の手並みの見せどころだよ。


こりゃまた手が込んでいやがるねぇ。
ひと癖もふた癖もあるよ。


──まずはこう来る。
【此卦にあたる人は、なに事も心のままなり】
心のままになる──なんとも調子のいい始まりだが、
すぐに続けて【黄金のごん、かたちいびつに黄いろなり】と、すぐに裏が見える。


【ごんごんとは釣鐘の響きにて】──
どこまでも響きわたる音、つまり名声かなんかを指してるんだろうが、
【明日はしおれた嫁菜のしるのみに】今日の誉れも、明日には色あせるってわけさ。


─はぁ、こりゃ、あいかわらず国芳節がきいてる。

読み進めりゃ、どうも味が変わってくる。

今日の華やかさなんて、明日にはしおれちまう。
慎ましさがなきゃ、価値も続かないって、こう刺してくる。

ああ、辛辣なこった。


で、そこから始まる“ごん”づくし──

【ごんべゑは、種まきからすにはしらぬよう、しんすべし】
──
どうにも先が読めない、浅はかなヤツに気をつけろってこった。

【ごん八は悪人なり】【ごん太はじつあくなり】
──
揃いも揃って、悪党のオンパレード。

まともなのは【ごん助】くらいなもんで、武勇のきこえあり、ときた。

ごんつく きめやうなんぞはごく悪く

……“ごんつく”ってのは、五合も六合も酒をあおる大酒飲みのことだと聞く。
見境なく呑んでは騒ぎ立てる、始末に負えない手合いさ。
どうしようもない筋の悪さってこったろうねぇ。


──ここまで“ごん”をこき下ろしといて、
最後がこれだ。


ごんと正月のいっしょにならぬように
日ごろから心がけべし


──「と正月がいっしょに来た」なんて言う、
めでたいことのたとえを、ごんと掛けてまるごとひっくり返してきたよ。


形ばっかり金ぴかの“ごん”に、
めでたさ尽くしの“正月”が、ずいと並ぶようじゃ──
そりゃもう、浮かれすぎってもんだ。



国芳は、そういう取り合わせにこそ、ひと刺し入れてる気がするねぇ。


自分の器もわからぬまま、
無邪気に悦に浸ってるようじゃ──
気づいたときにゃ、足元をすくわれるぞってね。


……こいつぁ、まさしく
“言葉で織った風刺絵”  ってやつさ。


ここで唸るのは、国芳の仕掛けの妙。
金だの名声だの、地口に人物評──


一見バラバラに見えるもんを、
見事に一幅の「落雁」に織りあげちまう。


八卦の「ごん」──動かぬ山、未熟の卦を背負った女が、
きらびやかな着物に身を包み、浮かれた夢のまま、ふわりと舞う。



そして、
まるで、落ちてくる雁のように、
一時の華をまとって、“空っぽ”のまま、
静かに沈んでゆくってわけさ。



「ただの美人絵」だなんて思って、上っ面だけ撫でてっちゃ──
この一枚の奥にゃ、到底たどり着けやしないだろうねぇ。


洒落や意匠、詞書の言葉遊びに、女の装いひとつひとつ……

国芳は、それら全部をつかって、浮世絵って姿に閉じ込めてるのさ。



「へぇ綺麗だねぇ」で終わるんじゃ、もったいない。
こいつぁ、国芳が仕掛けた、粋なからくりさ。



ただ綺麗だと見て、すいっと通り過ぎる者と、
忍ばせた「洒落」や「からくり」にふっと気づく者。



そいつの違いは、どこから来るかって?


それもきっと、
「見晴らす目ぇ」ってもんさ。



見栄に目ぇ奪われて、上ばかり見てちゃ──
気づいたときには、足元がお留守さ。

けど、ふと立ち止まって自分の足元を見りゃ、
ほんとの姿が見えてくることもあるもんだ。





─── お膳を待ちながら絵を眺めてた、大店の旦那。


「これぁ、娘への土産にちょうどよい」
なんて言ってるけどさ。


もしかすると──
その娘もまた、夢に酔いそうな年頃なのかもしれないねぇ。



見栄えを整えるうちに、本心を見失うことや、
派手なものを身につけて、心だけが裸のまま。

中身がともなわぬ見栄の行く末──

誰だって、一度は“金の見晴らし”に憧れるもんさ。

けど、それがほんとうに“見たかった景色”かどうか、
その先に何があるのか──


誰かが、そっと耳打ちしてやらなきゃならない。

それがこの絵の、
──いや、国芳の洒落の奥に仕掛けられた、
“ひとさじの苦味”ってとこさ。




──さて、お膳の湯気が立ってきた。
そろそろ、あたしも退散としようかねぇ。


金ピカに飾った、中身のない箱より、
空けりゃ湯気たつ、白い飯。
見栄より、腹に沁みるほうが、性に合ってるのさ。


上ばっかり見てりゃ、足元が抜けちまう。
でもね、あたしゃ猫だ。
下ばっかり嗅ぎまわってるぶん、
こういう“落雁”の落ちどころには、すぐ鼻が利くってもんさ。



国芳の仕掛けた言葉の綾──
こいつぁ、見晴らした者への、粋な手向けだねぇ。



──第三幕、見晴らしの落雁。

こいつもまた、浮世のひと幕。

見晴らす目ぇを忘れずに、またお会いしましょうねぇ。


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