見出し画像

孫悟空でおなじみ「三蔵法師」のリアルな大冒険!玄奘が命がけで挑んだインドへの旅

こんにちは!えひめITラボ代表のせいけです。

みなさんは「三蔵法師」と聞いて、どんな姿を思い浮かべますか?多くの人は、小説やドラマの「西遊記」で、孫悟空や猪八戒を従えて旅をする姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

実は、あの三蔵法師には「玄奘(げんじょう)」という実在のモデルがいます。しかも、彼のリアルな旅のストーリーは、物語以上に過酷で、情熱にあふれたものだったのです。

今回は、そんな玄奘が歩んだ壮大な冒険の道のりを、専門用語をできるだけ使わずに、分かりやすくご紹介します。

(今日の一言: ブラジル戦、楽しみすぎます)

なぜ玄奘は旅に出たの?すべては「正しい仏教を学びたい」という情熱から

玄奘は、今から1400年ほど前、中国の唐の時代に生きたお坊さんです。幼い頃からとても頭が良く、若い頃から仏教の勉強に励んでいました。

しかし、当時の中国にあった仏教の教科書(経典)は、外国から伝わる中で翻訳が不正確だったり、人によって解釈がバラバラだったりして、お寺の中でも意見が対立していました。

勉強熱心な玄奘は、「これでは本当の教えが分からない!本場である天竺(インド)に行って、正しい教科書を手に入れ、一番偉い先生に直接教えてもらおう!」と決意したのです。

Wikipedia

国をこっそり脱出!「東には戻らない」不退転の決意

今のようにパスポートや飛行機がない時代です。しかも、当時の中国の皇帝は、国民が外国へ旅行することを法律で禁止していました。

玄奘は何度も国に出国許可を申請しましたが、すべて断られてしまいます。それでも諦めきれなかった彼は、国に内緒でこっそりと長安(現在の西安)を脱出しました。国から追われる身になりながら、彼は「インドに着くまでは、絶対に東(中国側)へは引き返さない」という強い誓いを立てて出発したのです。

砂漠に雪山、過酷すぎる往路の旅

玄奘が選んだルートは、現在の中国から中央アジアをぐるりと回り、アフガニスタンを通ってインドへと向かう、とてつもなく長い陸の道でした。

死にかけた砂漠と、心強い味方との出会い

旅の始まりから試練が襲いかかります。途中の砂漠で道に迷ってしまい、なんと水を失って死にそうになってしまいました。それでも奇跡的にオアシスにたどり着き、なんとか生き延びます。

その後、現在のトルファン付近にあった「高昌国(こうしょうこく)」という国に到着します。ここの王様は大の仏教好きで、玄奘を大歓迎してくれました。あまりに気に入られたため「ずっとこの国にいてほしい」と引き止められますが、玄奘の熱意に心を打たれた王様は、最終的に旅の資金や通行証を持たせて送り出してくれました。

氷点下の雪山を越えて、ついにインドへ

砂漠の次は、険しい天山山脈の雪山越えです。厳しい寒さと雪崩によって、一緒に旅をしていた仲間や家畜の多くを失うという、本当に過酷な経験をしました。

その後も、現在のサマルカンドや、巨大な大仏で有名なバミヤンなどを通り、数々の苦難を乗り越えて、玄奘はついに憧れの地、インドへと足を踏み入れました。

あこがれのインドと、超エリート大学での修行

玄奘がインドに滞在した期間は、なんと約13年間にも及びます。

100歳を超える大先生に弟子入り

玄奘が向かったのは、当時インドで一番大きかった仏教の学問所「ナーランダー寺院」です。ここは、世界中から優秀なお坊さんが集まる、今でいう超一流大学のような場所でした。

そこで玄奘は、当時100歳を超えていたという伝説的な最高権威の先生に弟子入りします。仏教だけでなく、インドの伝統的な宗教の経典や論理学、医学、天文学など、ありとあらゆる学問を学びました。数千人もいる優秀な学生たちの中で、玄奘はやがてトップクラスの成績を収めるまでになります。

インドの王様からも大絶賛

玄奘の噂は、当時のインドの偉大な王様(ハルシャ王)の耳にも届きました。王様が開催した大きな宗教の討論会で、玄奘は並み居る学者たちを相手に圧倒的な議論を展開し、誰一人反論できないほどの勝利を収めました。これにより、玄奘は現地の人々からも深く尊敬される存在となったのです。

帰国、そして命をかけた「翻訳」という大仕事

学びを終えた玄奘は、今度は往路とは異なる別のルート(シルクロードの南側の道)を通って、16年ぶりに中国へと帰ることにしました。

持ち帰った宝物と、怒涛の翻訳ライフ

帰国する際、玄奘はたくさんの仏教の教科書(657部)や、仏像、仏舎利(お釈迦様の遺骨とされるもの)などを持ち帰りました。

かつて国をこっそり脱出した玄奘でしたが、帰国した時には英雄として大歓迎されました。その後、亡くなるまでの約19年間、玄奘は皇帝のサポートを受けて、持ち帰った教科書を中国語に翻訳する作業に没頭します。

私たちがよく知っている「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の翻訳も、この時に玄奘が手がけたものです。彼のおかげで、正確で分かりやすい新しい翻訳の形が完成しました。

また、彼が旅の記録をまとめた『大唐西域記』という本は、当時のアジアの様子がとても細かく書かれており、歴史を知る上で今でも非常に貴重な資料となっています。

日本にも届いた玄奘の影響

玄奘の活動は中国国内にとどまらず、海を越えて日本にも伝わりました。当時、日本から留学していたお坊さん(道昭など)が玄奘から直接指導を受け、日本の仏教の発展に大きな影響を与えました。

そして、彼の命がけの冒険は、のちに「西遊記」というお馴染みの物語へと生まれ変わり、現代に生きる私たちにもワクワクを届けてくれています。

誰よりも強い情熱を持ち、不可能と思える旅をやり遂げた玄奘の姿は、今の時代に生きる私たちにとっても、目標に向かって進む勇気を与えてくれる気がします。

関連記事