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日中で進む「弱者性」のコンテンツ化

最近、日本で弱者女性を描いた漫画『みいちゃんと山田さん』を巡り、多くの議論が巻き起こりました。その一方で中国でも母子の弱者性を前面に出した動画コンテンツが社会問題化しています。

なぜ、日中両国で同じように「弱者性」をテーマにしたコンテンツが流行しているのでしょうか。本記事では、その流行の理由や背景にある社会構造に着目し、原因を考察します。

『みい山』が浮き彫りにした弱者性の魅力

まず、『みいちゃんと山田さん』(以下『みい山』)の簡単なあらすじから紹介します。

2012年、東京・新宿。キャバクラ嬢として働く山田マミ(源氏名)は、新人として入店した『みいちゃん』こと中村実衣子(本名)と出会う。義務教育レベルの知識すらあやしい上に物覚えも要領も悪く、何をやっても失敗ばかりのみいちゃんだったが、山田さんはそんな彼女に過去の自分を重ね、みいちゃんと関わっていく。

Wikipedia : みいちゃんと山田さん

この作品では社会との適応に困難を抱える人物が多く描かれています。例としては、みいちゃんの「漢字が読めない」「空気が読めない」といった描写です。

これらの表現を通じて読者の間では発達障害や知的障害との関連性や、心理・行動に対する分析、人間関係に対する考察が多くなされました。

これらの考察に対する筆者の見解はのちに述べますが、『みい山』を物語としてではなく、SNSで消費されるコンテンツという視点から眺めると「弱者性」「女性」「風俗」といった、強い感情を喚起する要素が浮かび上がります。

筆者から見ると、この要素は昨今の中国で社会問題化している動画コンテンツと酷似しています。

BANされた女性アカウント

2026年8月、中国で33.7万人のフォロワーを持つ「知暖&知甜」をはじめ、多くのアカウントが凍結されました。

「知暖&知甜」はシングルマザーの設定を作り込み、幼い娘に見知らぬネットユーザーへ「パパ(爸爸)」と呼びかけさせる、または寝室でのセクシーな衣装を着た動画を投稿するなどしてインプレッションを集めていました。

同様のアカウントは多数存在しており、それらはパジャマや露出の多い服、寝室での撮影、取り締まりを逃れるための「母娘の日常」といった免責の記載など決まったパターンを踏襲しています。

これらはメインアカウントで母娘の日常を装ってフォロワーを集め、商品販売やライブ配信の投げ銭につなげながら、サブアカウントへ誘導して露出度の高い動画を投稿していました。

その結果、未成年者を商業的に利用し低俗な内容を拡散するものと問題視され、プラットフォームによる規制・アカウント凍結の対象となりました。

同情と欲望をハックする「不幸」と「セクシー」

筆者は、これらのアカウントが提供するコンテンツは、中国で従来からある「卖惨(マイツァン:お涙頂戴)」と「擦边(ツァービエン:性的要素をほのめかすセクシー系コンテンツ)」が融合したものだと考えています。

「卖惨」とは、直訳すると「悲惨さを売る」という意味で、自身の困窮や不幸、立場の弱さを強調して同情や注目を集める行為を指します。

卖惨を悪用した代表例が、2021年に問題となったインフルエンサー「韓文」の事例です。彼のチームは貧困層への支援を掲げていましたが、実際には貧困を意図的に演出し、ライブコマースで多額の利益を得ていました。

極貧家庭を救う動画では、子どもに目薬を差したり、つねって無理やり泣かせるなどの演出が行われていたのです。

動画では「この家庭が丹精込めて育てた果物がまったく売れず、畑で腐らせるしかない」という窮状を訴え同情を誘いました。

しかし実際には、市場で安く仕入れた果物を販売し、中間マージンを稼いでいたのです。これは「弱者性」を意図的に演出し収益化した典型例と言え、最終的にこのグループは公安当局に摘発されました。

当時の報道

そしてもう一つのキーワード「擦边」は「境界線をかすめる」を意味します。ネット用語として、プラットフォームの規制に触れないギリギリの範囲で、性的な連想を最大限に引き出す手法を指します。

具体的には、ライブ配信やショート動画などで肌の露出が多い服装をしたり、挑発的な仕草を見せたりしてインプレッションを集める行為です。

英語学習を提供する擦边コンテンツ

露骨な性的表現を避けつつ、絶妙にグレーゾーンを攻める。まさに「境界線すれすれ」を突く表現手法と言えます。

中国の厳しいネット規制環境下では、直接的なポルノ・性的描写は即座に削除やアカウント凍結の対象となります。そのため、配信者たちは規制の網をかいくぐるため「擦边」の技術を磨き続けたのです。

「不幸×性的コンテンツ」が刺さる理由

この「卖惨×擦边(不幸の演出×性的アピール)」が爆発的なヒットを生み出した背景には、主に以下の4つの要因が作用していると筆者は考えます。

道徳的な「隠れ蓑」
「彼女たちは過酷な境遇にいる、だから応援している」という建前があることで、視聴者は自身の性的な欲望を「純粋な善意・人助け」として自己正当化できるようになります。

SNSアルゴリズムと感情への最適化
この手法が生み出す感情は「かわいそう」と「エロい」です。つまり「性的アピール」でユーザーの指を止めさせ、「かわいそう」で動画を長く視聴させる二段構えになっています。

SNSプラットフォームにとっても、こうしたコンテンツは規制対象である一方、ユーザーの滞在時間やエンゲージメントを稼ぎやすいという矛盾を抱えています。結果として、規制と拡散の間に大きなグレーゾーンが生まれやすくなります。

おひとりさま経済という土壌
視聴者の社会的背景も見逃せません。急速な非婚化と少子化が進む現代中国において、多くの男性が孤独感を抱えています。そうした視聴者にとって「弱い立場にありながら自分に『パパ』と心を開いてくれる配信者」は、疑似的な親密性を生み出す存在になります。

キーワードとなるパパ(爸爸)

ジェンダー的構造
現在のところ「卖惨+擦边」は女性配信者が男性視聴者から投げ銭を得る構造が主流です。伝統的な規範である「女性は保護されるべき弱い存在、男性は保護する側」と消費社会が接続することで、投げ銭が「弱者女性を助ける男らしい行為」として再解釈されます。

まとめると「擦边+卖惨」が効くのは「セクシーコンテンツ×道徳的正当化×SNSアルゴリズム×孤独な消費者層×ジェンダー規範」という複数のレイヤーが同時に噛み合っているからだと言えます。単なる「エロ」でも「同情」でもなく、その掛け算にコンテンツとしての強みがあるのです。

弱者性を考察エンタメ化した『みい山』

筆者は『みい山』のヒットには、中国で見られる「卖惨+擦边」に共通する弱者性の感情消費に、日本特有の「物語化+考察文化」が組み合わさっているのではないかと考えています。

作品の物語性を強めれば強めるほど「これは作品としての表現であり、単なる弱者搾取や性的消費ではない」という免責が成立しやすくなります。

主人公に障害があるかを曖昧にし、伏線や謎を残す演出は、読者に対しても考察という解釈の余地を与えます。中国の文脈で言えば、これは前述の「擦边」が持つ規制回避・グレーゾーンの曖昧さを物語の力でさらに強化したと言えるでしょう。

また、日本のSNSで過熱する考察文化は、作品内の謎や矛盾を発見し、他者との共有・議論を楽しむ傾向があります。そして「卖惨」は、この考察文化と極めて高い親和性を持っています。

  • 二層構造の存在:表向きの弱者性と、裏にあるビジネスという二層構造がすでに存在する

  • 判定ゲームの成立:「本当に障害があるのか」「本当に真実なのか」という真偽を判定する

  • 検証の余地:矛盾するストーリーや発言を照合する考古学的な作業ができる

このように考察することで、読者にも「私は下心で見ているのではなく、作品を理性的に分析している」という免責が与えられます。

またSNSは特定の見方を共有する人々が集まり、互いの解釈を補強し合う構造が生まれやすいです。例えば考察においても「誇張・ステレオタイプだ」派と「現実・真実だ」派に分かれ、それぞれが自説を補強する証拠を探し続ける二極化が起こりがちです。

皮肉なことに、こうした議論や批判の過熱こそコンテンツへの注目度をさらに高め、一過性の感情消費にとどまらない息の長いコンテンツへと押し上げる原動力になっています。

『みい山』は弱者性の感情消費が物語化され読者の知的好奇心を刺激した結果、考察も含めたエンターテインメントとして昇華されたと言えるでしょう。

「擦边 + 卖惨 + 物語化 + 考察」

もちろん『みい山』という作品自体を、これら4つの要素で語ることはできません。しかし、SNS上で本作が受容され消費されていくプロセスを俯瞰すると「夜の世界」「弱者性」「物語の謎解き」「考察による参加」といった要素が絡み合っていることは間違いありません。

本質的に重要なのは、日中のコンテンツ市場がそれぞれの社会的背景に合わせ、異なるアプローチで「弱者性」を商品化・消費している点です。

貧困ビジネスと似て非なる弱者性コンテンツ

上で紹介した中国の動画コンテンツと『みい山』の共通点は、弱者性そのものが商品になる点です。そして、問題が解決すると商売が成立しなくなるという意味では貧困ビジネスに近いとも言えます。

貧困層をターゲットにした貧困脱却に貢献することなく、実際には困窮した状態から抜け出せないように固定化しながら不当に利潤を得るビジネス

Wikipedia : 貧困ビジネス

従来型の貧困ビジネスは以下の構造です。

  • 弱者性→そこにビジネスが入り込む

しかしSNSコンテンツは以下の違いがあります。

  • 弱者性をコンテンツ化→SNSが拡散→視聴者が集まる→収益が発生

これは以前の記事で紹介した三和ゴッドから0.6元ネットカフェへの変化と同じ構造です。

三和ゴッドが話題となった2017年時点の中国は景気がよく、日雇いで働けば何日か遊んで暮らせました。そして、そういった生活様式に入り込んだのがネットカフェでした。

2026年現在、同様に底辺層の生活へネットカフェが入り込んでいますが様相は一変しています。ネットカフェに集まる利用者の生活がライブ配信され、視聴者の投げ銭が店内の食事や物資などに還元されています。

0.6元ネットカフェ

昔の貧困ビジネスは「弱者を囲い込んで利益を得る」ビジネスでしたが、SNS時代は「弱者性を見せて利益を得る」コンテンツが登場しています。

このコンテンツはSNSを通じて当人が利益を得ている面もあるため、従来の貧困ビジネスとは異なります。

しかし、その経済的なインセンティブは変わらず「問題を解決すること」より「問題を維持すること」です。当人が継続的に利益を得るためには、金銭で問題が解決されてはいけないのです。

「シングルマザー」「貧困」「子供」「病気」「障害」など、本来なら社会的に支援されるべき属性が、SNSでは逆に集客コンテンツとなり、問題を解決することなく金銭へ変換されています。

つまり日中に共通しているのは「弱者性」そのものが可視化・共有され、経済価値となる市場が成立してしまったという社会構造です。

弱者性を資源化する市場

中国の「卖惨」は「こんなにかわいそうな人がいるのか」という同情が視聴者を引き付けます。一方、日本の『みい山』は読者の「こんな社会があるのか」という心理を駆動させます。いずれも共通するのは「幸福な人」よりも「社会からこぼれ落ちた人」のほうが、人々の好奇心を呼び起こす点です。

一般に、ネガティブな感情はポジティブな感情よりも強い伝播力を持ちます。人には、自分より不利な状況にある他者と比較することで「自分はまだマシ」と感じる下方比較の心理もあります。こうした心理が、弱者性コンテンツの視聴を後押しする可能性もあります。

2020年以降の中国で「卖惨」が爆発的に流行した背景には経済的な背景もあると筆者は考えます。不動産バブル崩壊や深刻な就職難に直面し「努力すれば報われる」という成功ストーリーが力を失った結果、人々の視線は上から下へと向かいやすくなりました。

一方で日本にも、実質賃金の長期低迷や社会保障への不信感など、漠然とした社会への不安が存在します。

日中に共通する弱者性コンテンツ流行の根底には、格差が拡大し社会の流動性が低下するなか「普通に頑張れば、普通の生活を手に入れられる」という感覚が揺らぎ始めている現状があるのではないか、というのが私の推測です。

SNSの普及によって、日中の若者が抱える不安や閉塞感には、以前よりも似た感情が現れるようになっているのかもしれません。

今後も表層の見え方こそ違えど、深掘りしてみれば本質の社会的構造は驚くほど同じだったという事例は、さらに増えるのではないでしょうか。

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