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心に残る、音のアルバム── 聞こえないけど、たしかにそこにある

声や音が、そっと心を包んでくれることがある。
そんなふうに感じたこと、あなたにもあるだろうか——

10歳のとき、私の大好きだったばあちゃんが天国へ旅立った。

その知らせが届いたのは、友達と笹の葉で作った小さな舟を、小川にそっと浮かべていた、あの初夏の午後だった。

今思えば、笹舟でばあちゃんを見送っていたような気がした。

それから、通夜やお葬式、法事……。親戚が集まり、大人たちの会話のなかを小さな私は行き来していたけれど、 ふと気づいたことがあった。

ばあちゃんの声が、頭の中で再生できる!
まるでカセットテープみたいに——。

もう会うことはできないけれど、
あの声だけは、なぜか私の中にちゃんと残っていた。

やさしくて、少し笑っていて、
呼びかけられたときの感じも、そのままそこにある。

それはまるで、心の奥に録音された「見えない音のファイル」みたいで、
目を閉じれば、何度でも、そっと再生できる。

そのことに気づいたとき、私は不思議な安心感につつまれた。

「声も、なくならないんだ」って。

あれから数十年経った今でも、ばあちゃんの声は私の中で再生できている。実際の声の録音は残っていないけれど、私の中には確かにまだある。


音や声の記憶は、ときに風景よりもリアルだ。
目を閉じていても、音は入ってくる。
むしろ、見えないからこそ、深く心に染みこむのかもしれない。

それはたとえば、

  • 夏休みによく聞いた、豆腐売りのおじさんが吹く「トーフー」と音がする笛の音

  • スダレの手前にかけた風鈴の音

  • 時間を忘れて遊んでいたときに、「ご飯よー!」と呼ぶ母の声

そんな“なんでもない音”たちが、
なぜかずっと、消えずに残っていることがある。

音は、いつだって心に通じる扉をノックしてくる。

そして、音はときに、“場そのもの”を呼び起こす力を持っている。

たとえば、朝の小鳥たちのさえずり。

バラバラにチュンチュンと鳴く声が、耳の奥で再生されるだけで、
カーテン越しにやさしい朝の光が差し込み、静けさの中に今日という新しい1日の気配がふわりと広がっていく。

世界は静かにまだ眠っていて、私の胸の奥だけがそっと、期待感にふくらんでいく──そんな感覚。

小鳥たちの声には、不思議な明るさと、
「大丈夫、今日も始めていいよ」って、背中をそっと押してくれるようなやさしさがある。

たとえば『ひぐらし』。

ひぐらしの鳴く「ケケケケーッ」という音を心の中で再生するだけで、
スーッと涼しい静寂の中に入っていく。
鳴き声の向こうに、空間の広がりや、奥行きまで感じられる。

夏が終わる物哀しさ。
ひんやりとした空気。
薄暗い夕暮れ時の静けさ。

ただ音を思い出すだけで、そうした情景がまるごと立ち上がってくる。
まるで、音がそのまま“場”をつくってくれるかのように——。

そして、ばあちゃんの声のように、
今はもう天国に旅立った人たちの声も、私の中で再生できる。

  • 明るかった叔母さんが「めぐみちゃん」と呼ぶ声

  • 優しくしてくれた叔父さんが「めぐみちゃん」と呼ぶ声

  • 頑固で口数の少なかった父が、「おぉ、めぐみか」と呟いた声

どの声も、心の奥にやわらかく残っている。
まるで、記憶の奥にそっと置かれた“音の引き出し”を開けるように——

そして気づく。

たとえば、もう聞くことのない夏の豆腐売りの笛も。
「トーフー」と響くその音を思い出すだけで、
ラジオ体操の帰り道、まだ朝の空気が残る道を歩いていた私、
そしてその豆腐を手のひらに乗せて、丁寧に包丁で切っていた母の姿が浮かぶ。

そうした“場”が、音ひとつでまるごと再生される。

自分の中にストックされた、さまざまな音たち。

それは、ふとしたときに無意識に再生されることもあれば、
意図して再生することもできる。

世界は外にあるようで、実は自分の中にも確かにある。
感覚として、記憶として、生きている。

大人になった今でも、その現象はどこか不思議で、でも確かなこととして在り続けている。

ヨガでは、こうした“内側の世界に感覚を向ける”体験を「プラッティヤハーラ」と呼ぶ。
外の音や刺激から一歩引いて、自分の内にある静けさや記憶とつながること。

聞こえないはずの声が、ふと再生される。
もう“存在しない”はずの音が、感覚の中でふわっと息を吹き返す。

それは、感覚がただの受信ではなく、
「心の奥で再構築されるもの」だということを思い出させてくれる。

世界は、ほんとうは“内側にもある”。
それに気づいたとき、静かさの中に、やさしく満たされていく感覚が訪れる。

自分の失いたくない大切な音たち。
それらはクラウドやデジタルで保存するのではなく、
自分の心にしっかりと刻んで、残しておきたい。
だって、それらは失くすことも、消えてしまうこともないのだから。

そうやって、自分の懐かしい風景や気持ちいい光景に浸りたい時は、
心に残したその“音のファイル”を引っ張り出してきて、いつでもどこでもそこに浸ることができる。

そのことを知っているだけで、なんとなく安心しませんか?


🌿関連するエッセイ
このエッセイと通じ合うもうひとつの物語に、
見えない写真たち──それでも確かにそこにある、私の中のストック」があります。
あわせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

心の中にある“音のアルバム”と“見えない写真”が、
あなたの中でそっと繋がっていきますように。

記事はこちら→見えない写真たち── それでも確かにそこにある、私の中のストック


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