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見えない写真たち── それでも確かにそこにある、私の中のストック

最近は、何かを見つけたらすぐスマホで写真を撮るのが当たり前になった。
けれど、実際には——

スマホを取り出す前に、その美しいものが通りすぎてしまったり、
ちょうどいいタイミングでうまく撮れなかったりすることも多い。

それでもどこか、
「ちゃんと残しておきたい」「誰かに見せたい」って思うのは、
きっとその瞬間が心に触れて、
自分だけでは抱えきれないほど、大切だったから。


でも、ふと思う。

誰かに見せるために写真を撮るようになったのは、いつからだろう。

もちろん、それが悪いわけではない。
私自身、誰かと感動を分かち合いたくてシャッターを切ることがある。

でもね、
スマホを構えたことで、
そのかけがえのない瞬間がこぼれ落ちてしまうこともある。

風の音、光の揺れ、胸の奥の高鳴り。
それらをじっくり感じる前に、撮ることを優先してしまうと、
流れが止まってしまうことがあるのだ。

スマホ越しに見る世界は、ほんの少しだけ薄くなってしまう。
私はときどき、そんなふうに感じる。


だからこそ、私は心の中で写真を撮る

スマホよりもずっと素早く、
自分の“感じる力”に正直に、
そのままの美しさを「カシャッ」と心の中に焼きつける。


たとえば、あの日のカチガラス。

ほんの一瞬、私の頭上を、羽をいっぱいに広げて飛んでいった。
朝日に照らされたその姿が、あまりにも優雅で美しくて、
私は、思わず頭の中でシャッターを切った。

写真には残せなかったけれど、
その光景は今も、私の中にちゃんと残っている。

朝焼けの空をバックに飛ぶ姿が美しかった。
最近、めっきり見なくなったカチガラス。

他にもある。

昔、バリ島でのヨガ修行中に撮った写真のいくつかを、
うっかり消してしまったことがあった。

それらの写真はもう見ることはできないけれど、
あのとき感じた空気や匂い、光や風、
写真の中で笑っていた自分の姿は、今もちゃんと心の中に残っている。

そう、大切なものは、消えてしまったように見えても、
ほんとうはずっと、自分の中に生きているのだ。


私がヨガクラスで生徒さんたちと外に出るときは、決まって“心惹かれる風景”にハートを向けて、まずその場にただ立つところから始めてもらう。
まずは、目で愛で、「いいな」と感じ、風景の細部をしっかり受け取る。
次に、その印象を心の中で再生しなおして、内側で感じ直す。

そうしてもう一度、その風景に心で浸り、リラックスする。
それは、“いつでも取り出せるシーン”を、心でキャプチャーする練習。

そしてそのことは、ヨガの教え、
とくにプラッティヤハーラ(感覚の制御)にもどこかつながっている。
外の世界に向かう感覚をいったん内側へ引き戻し、
自分の内に保存されたイメージに浸るこの時間は、
「世界は、実は自分の中にある」──
そんなヨガの本質を、静かに教えてくれる。

心の中にある写真やイメージ、映像や感覚。
それらは、誰にも奪われない。

スマホのストレージを圧迫することもないし、
電源が切れても、ログインしなくても、
必要なときに、いつでもふっと取り出せる。

心の中の“ほんもののアルバム”は、
今日もそっと静かに、増え続けている。


📸 あなたの中には、どんな「心の写真」がありますか?

🪷心に焼きつけるものは、目で見るものだけじゃない。 今度は、「耳の中に残った記憶」の話を──。

✉️この感覚、「声」や「音」についても書いてみました。
→関連記事
「心に残る、音のアルバム── 聞こえないけど、たしかにそこにある」

たとえば、10歳のときに旅立った、私の大好きだったばあちゃん。 その知らせが届いたのは、友達と笹の葉で作った舟を小川に浮かべていた、まさにその瞬間だった。

通夜やお葬式、法事……。 ばあちゃんはもうこの世界にはいないはずなのに、あるとき私は気づいたんです。

ばあちゃんの声が、頭の中で再生できる。

それは不思議で、でもとても温かくて、心がじんわりするような体験だった。

音や声もまた、心の中にそっと残っていて、 いつでも呼び出すことができる“見えないストック”。

その「耳の中の記憶」について、そっと綴ってみました。

→関連記事
「心に残る、音のアルバム── 聞こえないけど、たしかにそこにある」


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