お諏訪さまが暮らす町でガレはひっそりと息づいていた。(第二話)
北澤美術館での企画展「万国博覧会のガレ」の後編の作品掲載が中心の記事となります。
第一話はこちら。
🔶北澤美術館

◩ 万国博覧会のガレ
万国博覧会は1851年にロンドンで第1回目が開催。以降、パリでは1855年から1900年までの間に5回の万博が開かれ、エミール・ガレ(1846-1904)はここを活躍の舞台として徐々に成功を収めていった。
現在、正に「2025年大阪・関西万博」が開催されているが、ここ北澤美術館の企画展ではガレの万国博覧会出品作を中心にライバル関係にあったドーム兄弟の作品の一部も展示されていた。
先般のサントリー美術館同様に全展示作品撮影可であったが、「ガレよふたたび@サントリー美術館」と重複する作品は一部の物を除いては基本的に除外して掲載します。

1894年ロレーヌ装飾美術展
(ナンシー)出品作
ガレ、ドーム兄弟、マジョレルらナンシー派を結成するメンバーが一堂に結集して開催された「ロレーヌ装飾美術」」に出品された大作。
台座を含めて高さ1mはあろうかという作品を目の前にすると圧倒的な存在感で迫ってくる。
ロレーヌの展覧会場では、自作の飾り棚のうえに展示されたという写真が残されているそうだ。

1894年
1894年ロレーヌ装飾美術展
(ナンシー)出品
1900年パリ万博出品

1894年ロレーヌ装飾美術展出品
(ナンシー)
モンテスキューの詩「われは愛する。すべてが形を変えて、光と闇とがせめぎあう時を。」を上部肩回りにリリカルに書き込み、その抒情に合わせて黒いガラスを使う事で闇、そして幻想的な風景を演出。
夕闇迫る黄昏時の神秘的な一瞬のなかで咲き誇る百合が描き出されている。

obscur luttent ensemble(闇と共に闘う)
どうにか、上記だけは読み取れた


出品案内小冊子
自作で顧客に送ったもの。
この万博でガラス部門、家具部門
のグランプリを獲得した。
署名のくずし字体がユニークで印象的である。
アーティストならではの表現ではないだろうか。

上:表紙
中:出展会場地図
下左:ガラス部門展示想像図
下右:家具部門の展示

1900年頃
1900年パリ万博の展示ケース「穀物倉」の中央を飾った作品。
これも身の丈ほどもあるような大きな作品である。
花はピンクとオレンジのマルケトリ技法(第一話に記載)で表され、葉と茎の部分は半立体的に凹凸が施されており、これはアプリカッション装飾という技法で貼り合わせているので盛り上がっているかに見える。

中央:花瓶「あざみ」
右:花瓶「大麦」

1900年パリ万博出品作
普仏戦争(1870-1871:ドイツ統一を図るプロイセンとフランスが戦った)
で敗れたため、故郷ロレーヌ地方の一部をドイツに割譲されていた時代、「アザミ」は触れると刺すの警句とともにロレーヌ地方の独立と勇気を示すシンボルとされていた。
この作品にはガレの思いが込められているのだ。
全体的に明るい感じで創られているのは、元の暮らしに戻れるようにとの希望が込められているのであろう。

1900年パリ万博出品作
これが1900年パリ万博の大作で、小ぶりな作品ながらガレの作品の中央を飾り、大傑作とされている。
花びらをかたどった扇形にマルケトリで芥子の花を浮き上がらせる斬新な見せ方、しかも花びらの脈理まで細かく彫り込まれるという手の込みようである。
一見、扇子とも見てとれる形状も評価が高い一因ではないかとも思った。

1900年パリ万博出品モデル
1905年国民美術協会サロン出品作


1900年パリ万博出品モデル
国家を揺るがした冤罪事件「ドルフィス事件」に関連する作品でスパイの濡れ衣を着させられたドルフィス大尉の無実をガレは訴え続けた。

老婆は、ドレフィス大尉への憎悪を焚きつける邪悪なマスコミを表している。ガレはこうした社会的な一面も持っていたのだ。

1900年パリ万博出品モデル
すみれの花そのものを器に仕立て上げるという発想がそもそも常人には思いつかない。小さい方の花弁が顔を擡げている様が生き生きとしてリアルである。
オイルランプに仕上げるので、透明ガラスでオイルの量がわかるように仕上げたのだと思うが、何か飲み物を入れる杯を夢想してみた。
オレンジジュースを注ぐサーバーをイメージしてみたら、随分ぜいたくな気分になった。

1900年パリ万博出品モデル
ひゅっと尖ったアイリスのつぼみそのものををつぶさに観察し、いつか作品にしてみたいという欲求のまま創られた作品である。
その証拠にアイリスのつぼみの写真が残されているのだ。
本体下部にこの花の名前の由来の「虹」の如く、淡くて彩り良くつぼみが配置され、把手は葉を表している。
万博出品作のモデルであるが、出品作の方は白熱電球が内部に仕込んだランプとなっていたそうだ。
このランプの仄かな灯りで読書しているパリの貴婦人、などとイマジネーションが膨らんだ。

1900年パリ万博出品作
長い頸の花瓶に紫の藤の花が垂れ下がっている様子が描かれていますが、和のテイスト、見方によってはもののあわれを謳っていると思ってしまうのは考えすぎか?
そんなことを想起させてくれた作品だ。

ナンシー園芸協会会長シモン氏の引退を記念して制作された作品。
シモン氏は、普仏戦争でドイツ領に組み込まれてしまったロレーヌ地方のメスを逃れ、ナンシーに移住してきた避難民のひとりでガレはその功績を称えてのオマージュとして「ロサ・ガリカ(フランスの薔薇)」を表した。
表面には犠牲を象徴する赤い蕾、背面には静かに咲き続ける抵抗の姿を表現しているとされる。
一見優美で華美な作品と捉えられがちだが、同胞の功労者への敬愛と高潔な魂を感じさせる作品である。
本作品はシモン氏に直接贈られた以外では、ここにある作品が世界で唯一の現存品である。
◩ドーム兄弟
ガレと同じナンシーにガラス工場を経営し良きライバルとして活躍したドーム兄弟。普仏戦争で故郷を追われ、ナンシーに移住してきた父親ジャン・ドームはガラス工場を買い取り、当初は日用雑器を製造していたが、息子の代になりガレの活躍に憧れ、高級工芸ガラスを制作するようになる。
兄オーギュスト(1853-1909)が経営、弟アントナン(1864-1930)が芸術部門の総監督となり、二人三脚で活躍した。
万博にも出品を重ね、1900年のパリ万博ではガレと同時にグランプリを受賞し、ガレ没後も万博に出品にグランプリ受賞を重ねた。

1893年シカゴ万博出品モデル

ドーム兄弟
1895年
郷土の英雄ロレーヌ公ルネⅡ世の騎馬像を描いた作品。
鞍に愛国のシンボルである横棒2本の「ロレーヌ十字」(カタカナのキのような形状)が書き込まれている。
プロイセンとの戦争で郷土の一部がドイツに奪われ、故郷を追われたドーム家にとってはルネⅡ世の勇姿は特別な意味を持っていたのだ。

ドーム兄弟1894年

1893-1894年
1893年シカゴ万博出品モデル
ドーム家旧蔵
古代エジプト壁画からガラス職人をモチーフにした作品。
色の異なるガラス層を重ねて表面を削り取ることで浮き彫り文様を創り出す「被せガラスのカメオ彫り」という新しい技法が試されている。


ドーム兄弟

ドーム兄弟
1895年パリ万博出品モデル

ドーム兄弟 1897年
1897年ブリュッセル万博出品作

右:矢車菊文耳付花器
ドーム兄弟
双方1900年パリ万博出品モデル

ドーム兄弟
1900年パリ万博出品モデル

ドーム兄弟

1900年頃
ドーム兄弟

1902年
ドーム兄弟

ドーム兄弟
1909年フランス東部国際博覧会出品
ドーム家旧蔵
ドーム家旧蔵の最高傑作と言われている。
水面に浮かぶ水草ハナイの花びらや蕾が緑の葉で覆われた池から浮き上がり、頭上の青空に向け咲き誇っている。
クロード・モネの睡蓮の連作を彷彿とさせる作品である。

ドーム兄弟

「ロシア=ロレーヌ友好杯」
(ロシア艦隊への贈答品)
1893年、1894年
ドーム兄弟
フランスは一時期、ドイツからの脅威に対抗するため、ロシア帝国と同盟を結んでいた。ロシアのエルミタージュ美術館には「フランスのシャンパンを飲むために」と書かれた原画が残されている。
友好の印として、フランスロレーヌ地方の象徴ロレーヌ十字とアザミの花、ロシア皇帝を表す双頭の鷲が描かれている。
◩ ルネ・ラリック(1860-1945)
ガレ、ドーム兄弟の後に登場したアールヌーヴォー、アール・デコに跨るガラス工芸家で透明ガラスでシャープな造形を生み出し一時代を作った。
ガレ、ドーム兄弟の彩り豊かな色ガラスから一転して透き通ったクールな作風が受け入れられたのだ。

1932年 ルネ・ラリック

1920年
ルネ・ラリック

1920年
ルネ・ラリック

ルネ・ラリック
アール・デコ博覧会の中央広場に建てられたラリックの噴水塔「フランスの水源」のたために制作された作品。
高さ15m八角形の塔の周囲にポーズの異なる16種類の女神像128体が取り付けられていたそうだ。
夜には照明で照らされ、光と水の演出がされ観る人を魅了したとされる。

1927年
ルネ・ラリック

左:香水瓶「バラ」
中央:香水瓶「ユーカリ」
右:香水瓶「三組のペアダンサー」

1928年
ルネ・ラリック
自動車の普及し始めたアール・デコ時代、1925年~35年頃にかけて、ボンネットの先端を飾るカーマスコットが流行。
金属製が一般的だったところ、電気で光るガラス製をラリックは発売し、一大センセーショナルとなった。
クルマの先端でこれが光っていたらさぞかし粋であったであろう。

「きんぽうげ」
1928年
ルネ・ラリック
アール・デコの時代、香りを楽しむ習慣が普及。
香料入りのアルコールに燈心を浸し、火を灯したあと炎を消すと暫くの間、香りを楽しむことが出来るのだ。
デフューザーがこんな早くから普及していたとは、驚きである。
◩ ジョルジュ・デプレ
ベルギーの実業家でありながら、板ガラスの革新製法「フルコール法」などの技術革新に携わるなど技術者でもあった。
古代ローマ期のパート・ド・ヴェールの復元による芸術制作に成功、後にフランス国籍も取得した。

1902-1903
ジョルジュ・デプレ
アレクサンドル・シャルパンティエ デザイン
色を変えて、くねくねとまるで動いているかのような光景がなまめかしくも幻想的な印象だった。
最後に、ガレの「ひとよ茸のランプ」をもう一度観て見納めとしよう。

二階のカフェでコーヒーを飲みながら、余韻に浸る。
窓からの風景も「一枚の絵」だ。

階段を降り、窓からはまた違った「一枚の絵」を見ることが出来た。

◩ 鰻小林
ここ諏訪は、鰻が美味しいことでも有名な土地柄である。
古くは天竜川から遡上する鰻がたくさん獲れたことで鰻文化が根付いたとされている。
春の土用にはまだ少し早い時期であったが、ガレとの再会を楽しんだ後に諏訪大社へと向かうまたと無い機会でもある。
土地の名産を味会わないで帰る訳にはいかないのだ。

千思万考
「うなぎ」という伝統文化を守り時代に沿った刷新をつづけていくことこそ重要である。
こちらの店名刺に記されている家訓。
千思万考とは、いろいろと考えをめぐらすことである。
つまりは、伝統あるうなぎ(料理)と対峙して、これでいいのかと自答自問しながらその時代時代に合った在り方を模索して進んで行くことと理解した。
裂きは三年、刺し八年、焼き一生と言われるこの世界。
伝統を守りながら、更なる明日へと向かっていく店主の鰻に向き合う強い意思が込められている家訓である。

鰻重、吸い物ともに味わい深い漆器に収められて運ばれて来た。
鰻重の蓋を開けると、品よく小ぶりであるが行儀よく並んだ鰻が現われた。
ここで提供される鰻は四国・四万十川の清流で獲れた天然物だけに拘って調理されている。

吸い物も期待通りで、三つ葉が散らされている。

箸を入れ、口に運ぶ。
脂肪分がさらっとしてベタつかず、身がほろっとほごれ、いくらも咀嚼することなく、舌の上で消えてなくなる。
巧みな蒸しがなせる技であろう。
タレはやや甘めの関西寄りであるが、良質な鰻の肉質を邪魔しない味付だ。
心残りはそば前ではないが、骨せんべいなどで❝アレ❞を楽しめない事だった。
滋養も十分に得た。
さて、我が身と心を洗い清めに向かうとしよう。
お諏訪さまが暮らす町でガレはひっそりと息づいていた。(第二話)はこれにて終了です。
引き続き、お諏訪さまが暮らす町でガレはひっそりと息づいていた。(第三部・完結編)にお付き合い頂ければと思います。
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