お諏訪さまが暮らす町でガレはひっそりと息づいていた。(第一話)
一度訪れたいと思っていた信州・諏訪。
ここには、神代の時代から人々が心の拠り所として永らく祀られてきた大社がある。人々が飢えや喉の渇き、そして寒さ暑さ、雨風からこの身を護り、五穀豊穣、無病息災を願って祈りを捧げてきた神聖な領域。
諏訪は、多くの人に問い諮る場所なのだ。
そして、此処には、ガレが終生自身の人生観としてきた「我が根源は森の奥にあり」の想いに近しい環境が横たわっているのだ。
森には樹々や蔦が生い茂り、小鳥や蝉や蝶や蛾、闇には蝙蝠が飛び交い、春にはおたまじゃくし、夏ともなれば蜻蛉や蛙などが息づく、諏訪湖の滸という、願ってもない居場所を授けてもらっていたのだ。
ガレの作品は、此処でまるで静謐な時間を愉しみ棲息しているかの如くに生命を与えられて蘇り、鼓動を打つかの様にその存在感を示し所蔵されている。
小布施からの帰路、前者では神々しい空気と風を味わい、かたやアールヌーボーのかつての旗手のまばゆいばかりに輝く作品を賞翫できるという、またとないチャンスが巡って来たのだ。
🔶北澤美術館

◩ 万国博覧会のガレ
万国博覧会は1851年にロンドンで第1回目が開催。
以降、パリでは1855年から1900年までの間に5回の万博が開かれ、エミール・ガレ(1846-1904)はここを活躍の舞台として徐々に成功を収めていった。
現在、正に「2025年大阪・関西万博」が開催されているが、ここ北澤美術館の企画展ではガレの万国博覧会出品作を中心にライバル関係にあったドーム兄弟の作品の一部も展示されていた。
先般のサントリー美術館同様に全展示作品撮影可であったが、「ガレよふたたび@サントリー美術館」と重複する作品は一部の物を除いては基本的に除外して掲載します。
Je vais maintenant présenter quelques œuvres de Gallé.
Tous les commentaires concernant ces œuvres sont offerts en hommage à Gallé.
これよりガレの作品をご紹介します。
作品に関するコメントはすべて彼へのオマージュとして捧げます。入館するなり、ひとよ茸が迎えてくれた。

1904年頃
出合い頭での再会に意表を突かれた感じであったが、ルクスの違いか、それとも傘の文様に赤茶色が斑らに配されている所為なのか、六本木サントリー美術館で鑑賞た同作品より小ぶりということもあるが、ナチュラルな存在感が優しい印象で心を落ち着かせてくれた。
制作年度はこちらの方が後年であり、永眠した年の作品の様なので、体力気力ともに耗弱し、恐らく気力を振り絞っての絶作のひとつであろうと推察する。
涸れた印象は、人生で味わって来た悲哀がそのまま作品に投影されているのであろう。
ガレは「ひとよ茸のランプ」を6つ造ったとされる。
迫りくる自身の生への期限と向き合い、尊厳をもって輪廻転生を願い、祈りを込めて、まるで修行僧のようにひたすら同じ造形を創り続け命を吹き込んだのであろう。
因みに、同作品が世に現存しているのは3作で、うちサントリー美術館と北澤美術館に各々1作、日本に2作あるというのも興味深いところだ。

「ひとよ茸のランプ」
1902年
サントリー美術館所蔵
今年3月筆者撮影

1879年頃
初期の作品のひとつ。
1878年のパリ万博で発表したのは、薄青色に輝く新色で「月光色ガラス」と名付けられた。
ポエットリーなネーミングも受けコピー品が出回ったとされる。
サントリー美術館でもいくつもの「月光色ガラス」が展示されていたが、こちらは薄青色がより鮮明に感じられる作品である。

右:指輪の木
1876-84年

晩年の作品では蜻蛉が水面に向かって下向きに落下するイメージで「もののあわれ」を表していたが、初期の作品ではこうしたややコミカルともとれる生き生きとした作品も遺していたのだ。

木の幹の表皮は、下部の辺りはあたかも水面の水を吸い上げるが如くにゆったりとくねり、上部に掛けては蛇皮を思わせる鱗状にも似た表現で命を与えている。
幹につかまっているのは蝸牛や蝉だろうか?
こうして生き物を這わせたりするところが、如何にもガレらしい作品である。

1884-1889
まるで蠢いているかのように、つくしと大葉子がにょきにょきと地面から生え出していて生命力を感じさせてくれる。
自然に野に咲いているつくしや大葉子をモチーフにするところが植物に造詣深いこの作者たる由縁だ。
つくしを描いているのは、ジャポニスムの影響を思わせる。

暗色系の蝶ばかりの中、色鮮やかな蝶が一匹光り輝いているかのように描かれている。
これは、当時若き自身を重ね合わせたのであろう。
混沌とした世にあって活き活きと生き抜いていく強い意思とも受け取れる。

個人的にはかつて沖縄で作った厚手のビイドログラスの様に思え、ウィスキーをロックで嗜んだらさぞ美味しいだろうなどと夢想してしまったが、葉巻入として製作された作品なのだ。
ダイナミックに蝗が飛び回る様が描かれていて、背景の農耕の図は古代エジプト遺跡の壁画を文献を元に製作したとされるが、これがあるとないとでは大違いで作品を引き立てる役割を果たしていて、オシャレでもある。

1884-1889

1879-1889

1879-1889
羽の部分に描かれている草花は、ガレが所有していた日本の芒と女郎花の刷り画を模倣したとされる。
色調が愛らしく、バナナやオレンジなどの果物を盛ったら部屋がとても華やいだ感じになるだろうと夢想してしまう。

右:置物「三毛猫」
(陶器)
1877-1904年
ガレの作品で置物は珍しいと思ったが、実は父親の代から置物は人気の品だったそうだ。
左側の猫は、18世紀ロココ調の貴婦人を思わせるいでたちで、花柄のドレスを纏い、頭には黒のレース、胸に着けているのは分かり難いがなんと犬のペンダントなのだ。これは軽いジョークか。

右側の三毛猫は、いたずらして頭からペンキを被ったような様相で、実は日本の薩摩焼の三彩を模倣したとの記載があった。

父の代には工場は持たず、外部委託していたがガレに代替わりしてから10年後の1885年に自社の陶芸工房を持ち、木工家具の製造も開始、そこから9年後の1894年にようやくガラス工房が完成し、ガラス・陶器・高級家具のデザインから仕上げまで一貫して行えるようになったのだ。

◩ジャポニスムの影響
21歳の時に日本工芸品の洗礼を受けたガレは、それ以降も様々な日本の工芸品や北斎などの作品より影響を受けたが、晩年には日本人の精神性についても理解が深まり生きとし生けるものの「もののあわれ」、更には「詫び寂び」まで会得していたと言われている。
ここでは特に北斎漫画を模倣した作品に注目してみた。
※尚、現地で筆者が撮影した画像のうち、背景を全てシャットオフした画像を一部使用。


(陶器)
1879-1889

(ガラス)
1879-1884
東洋を感じさせるが、下の作品がガラスで造られたという事を加味したとしても、伊万里焼というよりもやはり西洋人が伊万里焼に似せて作った“風”であることは否めないか。

1879-1889
ご存知「北斎漫画」の「魚籃観世音」をモチーフにした花瓶であるが、サントリー美術館で観た作品(下記参照)と比較すると、こちらは花瓶自体が二匹の鯉の形で構成されていて口の部分がまるでパクパクと動くかの如く唇が厚めにこんもりとリアルに表現されている。

下部に描かれている鯉自体も向きや頭部の精緻な描写に北斎の作品を忠実に表しているのが見て取れる。
黄金の鯉がまるで水中を悠然と泳いでいるかの如くの存在感である。


出典:北斎館HPよりお借りしました。
下記は、3月にサントリー美術館で鑑賞した作品。
上記作品と比較するとこちらの作品の方が煌びやかさやリアル感に欠けるように思われる。
制作年がこちらの方が前であることから、後年制作された北澤美術館所蔵作品の方が風合いが増したと捉えるべきであろう。

サントリー美術館展示
大一美術館所蔵
本年3月筆者撮影

1889年頃
パリの高級装飾品店エスカリエ・ド・クリスタルのために制作された中国趣味の作品。清朝の磁気絵具にヒントを得て新色として発表したとのことだが、何故かデザインの方が今ひとつぼんやりしていた印象である。


1889年パリ万博出品作品
万博出品に向け、新たなテーマを模索しているなか、食虫植物という普通では思いもつかない突飛ともいえるモチーフを選んだが、これも植物に精通しているからこその選択だったのだろう。

オニグモがツルギバモウセンゴケの繊毛に捕まり、口を開いて待っているウツボカズラも表されている。

1888

1879-1889

1894-1900
アネモネの仲間オキナグサをモチーフにしたカメオ彫りの作品。
カメオ彫りとは、色の異なるガラス層を重ね、上の層を削り取って模様を創り出す高度な手法でイギリスではカメオ陶器が流行したとされる。
色合いからは爽やかさが伝わってくる。

1897年頃
ガレは幼き頃から晩年まで野生の蘭を採集することが好きで熱中していたようで、白い靄の中で見つけた時を表したのであろうか?
白鳥の台座は別の作家の作品である。
◩ マルケトリ
ガレは1900年の万博に備え、マルケトリを完成させ1898年に特許を取得していた。
マルケトリ(marquetry)とは、木や宝石などの素材をカットしてはめ込んで模様を作る細工の技法。フランス語で「寄木細工」を意味し、芸術や工芸の世界では古くから用いられている。

1900年パリ万博出品作品
🔵マルケトリ再現実験
上記作品が、どのようにして造るのかを分かり易く解説。
制作手順が開示されていた。

1.色ガラスを薄く伸ばし、オダマキの花・茎・葉の形に準備する。
2.乳白・紫・オレンジのガラスを菱形の型に入れて吹く。
ガラスが融けているうちに1.を貼り付け、素地にならし込む。
3.模様を浮き彫りする。花・茎・葉の細部を彫り出す。

1898年頃
こちらもマルケトリ技法によって制作された作品である。
百合口瓶とは、花弁のような口縁部の形状から呼ばれているが、古くは中国・宋の時代に作られた磁器に多く用いられており、中国磁器の影響を受けていると思われる。
お諏訪さまが暮らす町でガレはひっそりと息づいていた。
(第一話)は以上となります。
第二話、第三話と続きますので、お付き合い頂ければ幸いです。
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