スキニー復活ではなく、「脳で穿くスキニー」としてのPRADA【2027S/S】

PRADAが2027S/Sでスキニーシルエットを発表した。Xのファッションクラスタは、その話題でもちきりだった。
「やっぱりパンツは細くなる」
「ダイエットしないと」
「デブには辛い時代が来る」
「Yライン回帰」
「オーバーサイズ終了」
と、タイムラインはなかなかに切実。みんな急に下半身の未来に不安を抱き始めていた。
さて。
2025年、ユニクロやGUのラインナップからスキニーパンツは姿を消した。少なくともマストレンドとしてのスキニーは一度退場した。
だが、その一方で海外では昨年秋冬頃から、セレブやインフルエンサーによるスキニー着用が目立ち始めていた。「そろそろ戻るのではないか」そんな観測も少しずつ増えていた。
そして今回、PRADAがコレクションとして提示したことで、その見方はいっそう強まった。ビッグシルエットへのカウンター。スキニー復活。
少なくともSNSでは、そう受け取られた。
ところが、その熱狂に冷や水を浴びせたのがFashionsnapだった。
「ネット上では早々に『スキニーやタイトシルエットへの回帰』といった短絡的な言説が飛び交っているが、ミウッチャとラフが提示しているのは、トレンドとしての単なる細身の復権などではない」
要するに、「お前たち、パンツの太さしか見てないだろ」という話である。私たちは怒られたのであった(笑)
さらに海外の批評を読むと、「また理想的身体への圧力が始まるのか?」という議論まで始まっている。
スキニーは身体資本競争だ。痩せなければ着られない。またあの時代が来る。そんな不安である。
ここまではわかる。
わかるのだが、私は別のことが気になった。
1.アウトドア・ランニング界隈ではすでにスキニー化していた
お前ら、昨日まで何をはいていたんだ?
私はアークテリクスのコーマックパンツを愛用している。

これはどう見ても細い。もはやタイツの顔をしたパンツ。脚の形はくっきり出る。広い意味ではスキニーである。
もっと言うと、アウトドア界隈やランニング界隈は、すでにタイツの世界である。
身体の動きを妨げない。擦れない。軽い。乾く。その結果として服はどんどん身体に近づいていく。
アウトドア界も、最初はハーフパンツ+タイツだった。それが一本のパンツに合体した。上半分がゆったり。下半分がタイツ。例えば、ピークパフォーマンスのトレックタイツがそうだ。
でも、そんな中途半端は許さん、と上半分、腿もきっちり細くなっていった。上から下まで脚に張り付くタイツ(スキニー)の完成だ。つまり、機能を追求すると服は細くなる。
これは当たり前の話だ。
だからPRADAを見て、「スキニー復活だ!」と騒ぐ人たちを見ると、「いや、アウトドア・ランニング界はずっとスキニーだっただろ」という気持ちになる。少なくとも10年代中盤からはスキニーだった。
Onを履いて。HOKAを履いて。サロモンを履いて。ジョガーパンツをはいて。休日はランニングウェアで街を歩いて。
それでもPRADAを見た瞬間だけ、「スキニーが帰ってきた!」と叫ぶ。
もしかすると、ファッション界隈だけが「スキニーが死んでいた世界線」を生きていたのかもしれない。
あるいは、もっと単純に、ランニングシューズは履くけど、ランニングをしていない説。だからPRADAを見た瞬間、「やばい、痩せなきゃ」になるんですよね、わかります。
2.エディは脚ではく。アウトドアは身体ではく。プラダは?
だからといってPRADAを単なる機能服として読むのも違う。
ここで少し整理してみたい。
エディ・スリマン(00年代のディオールオム)のスキニーは服主導の美意識だった。服が先にある。身体は後から合わせる。

極端に言えば、「この服を着たいなら痩せろ」という世界観である。あのカール・ラガーフェルド御大も40㎏瘦せることになった。

一方、アクティブウェアのスキニーは身体主導の機能だ。先に身体がある。服はそれを補助する。細さは美学ではなく結果である。
ではPRADAは何なのか。

私はたぶん、どちらでもないと思う。
PRADAが提示しているのは、身体を細く見せる服ではなく、思考を細くする服なのではないか。
少し変な言い方をすると、「脳ではくスキニー」である。
Fashionsnapや海外勢の解説を見るに、先にあるのは、「細く見せたい」ではない。
むしろ、「余計なものを削ぎ落としたい」である。
装飾を減らす。情報を減らす。ボリュームを減らす。デザインを減らす。ノイズを減らす。その結果としてシルエットが細くなる。
つまり、細さは目的ではない。副産物である。
もしこの解釈が正しいなら、今SNSで行われている、「Yラインきた!」「スキニー復活!」という議論は、たぶん少しズレている。
なぜなら、彼らは脚の話をしている。PRADAは脳の話をしている。
そう考えると、今回復活するのはスキニーではない。
もっと恐ろしいものだ。
ミニマリストである。
あの人たちが帰ってくる。オプティマリストから帰ってくる。
noteにも生息するノームコアの亡霊たちが。
3.ミニマリストは活発化するのか?

これまでその種の話をするとき、私たちはずっとスティーブ・ジョブズを擦ってきた。
余計な選択を減らす、制服化する、判断コストを下げる、思考のためにノイズを省く。あの黒いタートルネックは、ファッションというより思想のアイコンとして消費され続けてきた。
ここにプラダのスキニーという新しい素材が投入される。ミニマリストという合理化の文脈に、ついに美学が加わる。するとどうなるか。
「ワードローブと思考のスキニー化」
「モノをスキニーしたら人生が変わりました」
「選択肢をスキニーすることで本質が浮き彫りになります」
「PRADAから学ぶスキニー思想」
そんな記事が大量発生する未来が見える。
「思考の制服」に美学が加わりファッション化する。ミニマリストが更新され動き出す。彼らにとって服は服ではない。人生論の小道具である。
だから私は、今回のPRADAを見て、スキニー復活とはあまり思わなかった。山やランニングで普段からはいてるからね。
むしろ、削ぎ落とすことへの欲望の復活。ノイズを嫌う感覚の復活。思考を整理したいという願望の復活。
そういうものを感じた。
パンツが細くなるのは、その結果にすぎない。
だからPRADAが復活させようとしているのはスキニーではない。
脳ではくスキニーであり、もっと言えば、ミニマリストという亡霊そのものなのかもしれない。
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