英語だけじゃない。海外で子どもを育ててわかった“本当の価値”
海外で子育てをしていると、よく言われるんです。
「英語できるようになっていいね〜」
「でも、帰国したら勉強についていけなくならない?」
…たしかに。私も最初はそのあたり、すごく気になっていました。
日本語力はどうなるんだろう、学力的についていけるんだろうか…。
そして実際に、不安が的中したような瞬間も何度もありました。
たとえば、国語の文章読解がまったく歯が立たなかったとき。
読んではいるけれど、内容が頭に入ってきていない。
「これは…さすがにヤバいかも」と、焦ったこともあります。
でも、長く子どもたちの成長を見守ってきて、今強く感じているのは――
海外で子どもを育てる価値って、英語力や成績よりもっと深いところにあるんじゃないかということです。
もちろん、英語も学力も大切です。
だからこそ私たちはオーストラリアまで来て、毎日コツコツ勉強も続けています。
ただ、言語はあくまで“ツール”にすぎないとも思うんです。
子どもたちが毎日接しているのは、文化の違い、人の多様性、価値観のズレ。
「なぜその子はそう感じるんだろう?」
「なんで自分はモヤっとするんだろう?」
そんな“違い”を起点にした思考や会話は、教科書からは学べません。
今、我が家の娘たちはアジアを出て、西欧文化に戸惑っていると思います。
やはりアジアのインターの多くでは、アジア人が多いので、わかりやすくマイノリティになるということがないと思います。
今は、バックグラウンドは本当に多国籍でも、その子自身はオーストラリア生まれオーストラリア育ちの子がほとんど。
家庭での言語も英語の子がほとんどです。
子どもたちは、日々ぶつかりながら、自分なりに考えています。
マイノリティになるということはこういうことなのかと、私も彼女たちと一緒に学んでいます。
その積み重ねが、娘たちの“人としての土台”になっているように感じるんです。
英語は勉強しなくて良くなっても文化体験は唯一無二
最近はAI通訳や骨伝導翻訳の技術も進化して、
「もう英語を学ぶ必要なんてないんじゃない?」と言う人もいます。
たしかに、そういう未来がやってくる可能性はあります。
でも私が思うのは、海外で育つことの価値は“言葉”のその先にあるということです。
文化や習慣、社会の常識って、住む場所が変われば全然違います。
そしてそれに触れる経験って、親が口で説明するのとは全然違うんですよね。
実際にその土地に身を置いて、体験して、時には戸惑いながらも受け入れていく。
そのプロセスこそが、子どもたちの“感性”や“思考の深さ”を育てていると思うんです。
もちろん、日本語の勉強もすごく大事にしています。
毎朝少しずつ、日本の教科書を使って家庭学習をしています。
「これがお祭りか〜」とか
「市役所ってこんなことしてるんだ」とか社会の教科書は日本社会を本当に教えてくれるんですよ。
実は、こういう“地味な知識”の中に、
日本人としてのカルチャーが詰まってるんですよね。
日本にいたら自然と身につくけど、
海外で暮らしていると、意識しないと見落とすようなものばかりです。
だから私は、日本語の勉強も“学力”というよりは、文化へのアクセスとして大事にしてるんです。
学力的に見て「遅れてるかも」と思うこともあります。
でも、そこで私はいつも自分に問い返しています。
「じゃあ、“本当に育ってること”って何だろう?」
テストで100点取れることがゴールではないし、
その国のカリキュラムに完璧についていくことだけが価値でもない。
むしろ、文化の壁にぶつかりながら、
そのなかで「自分はどうしたい?」を考えられること。
そういう経験の中で、人としての芯が少しずつ育っていくのを感じています。
海外で子育てするって、いろんな不安があります。
日本語も、英語も、勉強も、文化の違いも。
何よりも、何かトラブルがあった時に母として毅然と対応できるのか。
正直、私が一番不安なのはそこなのかもしれません。
やっぱり夫も一緒に住める国がいいなぁと、この1年何度考えたことか。
でもそのすべてが、娘たちだけでなく私も「人として育つ場所」になってるんじゃないかなと、今の私は思っています。
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正直ずっと悩みながら子育てしてます。でも、同じ気持ちの人に届いたら嬉しいなと思って書いてます。応援してもらえたら、また言葉をつなぐ力になります。