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勉強だけじゃない。“人前力”が育つ国、オーストラリア。


オーストラリアに来て、まず感じたのは、「教育がゆるいなあ」という印象でした。

のびのびしているのは確かに素晴らしいと思います。
でも同時に、「このままで本当に大丈夫なの?」という不安も、心のどこかでずっとくすぶっていました。

毎日、宿題はほとんど出ないし、テストの点数を気にする子もいそうにない。
一人ひとりが自由に過ごしていて、先生たちも生徒の個性を尊重してくれる。

けれど、実体験としては、日本の“詰め込み型”しか経験のない私にとって、それは「大丈夫かな?」と感じる環境でもありました。

でも、そんなふうに“ゆるすぎる”と感じていた教育に、思いがけない強さを見つける出来事がありました。

6年生、スピーチの基本知識はすでに持っている

ある日、長女が学校でスピーチコンテストがあると言ってきました。

クラスの中から代表を選び、学校代表、さらには地域代表へと進んでいく仕組みです。

その練習の中で、長女はクラスメイト2人とスピーチのリハーサルを行いました。

一人は、クラスで唯一、いつも真面目に授業を受けている男の子。
もう一人は、ごくごく普通の女の子。ときどき集中しているけれど、ふざけるときもある。
どちらかといえば、勉強がすごく得意というタイプではありません。

でも、その子たちから受けた長女へのフィードバックに、私は心底驚かされました。

「もっと喋り方に抑揚をつけてみたら?」
「聞いている人が引き込まれるように、最初に問いかけを入れてみるといいよ」
「動きをつけると、声だけじゃなくて目でも印象に残るかも」

どれも、大人顔負けのアドバイスでした。

ただ話す内容だけでなく、“どう伝えるか”にフォーカスしたその視点。

私は、「この子たち、本当に勉強してないのかな?」と、自分の中の“ゆるい教育=中身がない”という先入観が崩れていくのを感じました。

この歳にして、スピーチで人を引き込む方法はすでに理解しているのです。
彼らは、その知識をどう自分の本当のスキルに変えていくことができるかという一段上のステージから長女の練習を見てくれていたのです。

これには本当に驚きました。

マイクを通して話す自信。人前で自分を絶賛される体験。

その後すぐ、また印象的な場面に出会いました。
低学年のアッセンブリー(全体集会)が行われた日のことです。

その司会進行を務めたのは、なんと6年生の生徒会の子たちでした。
彼らは自分たちの授業を抜けて、低学年の子たちの前に立ち、マイクを手にアッセンブリーを進行していたのです。

授業を受けることと、集会の司会をすることが同じくらい大切なこととして考えられているのです。

そして、この経験をできるのは生徒会に立候補し、選挙で勝って生徒会に入った子たちだけなのです。

勉強は緩やかだけど、こういうところはシビアだし、勝ち取ればその子達だけがもらえるチャンスがあるのです。

さて、集会の話に戻ります。
「メリットアワード」という、週に一度の表彰タイムがあります。

選ばれた子は一人ひとり呼ばれ、先生からのコメントとともに賞状を受け取ります。

「〇〇さんは、今週、誰かが困っているときにすぐに助けに行く姿が素敵でした」
「△△さんは、毎日コツコツ宿題を頑張って自分の苦手だったことを自分の頑張りで克服したことが印象的でした」

など、ちゃんとその子へあてられた内容のコメントがあるのです。

読み上げるのは、その6年生たちです。

賞状の言葉はどれも、その子の良さをしっかりと言葉にしたものばかりで、私は胸がじんわりと温かくなりました。
そして何より驚いたのは、「その言葉を、人前で読む」という経験を、子どもたち自身が積んでいることでした。

人前で話すことは特別なことではなく日常の中にある

オーストラリアでは、「人前で話すこと」が特別なものではありません。
日常の中で、自然にその機会が設けられています。

プレゼンテーションも、答えをただ発表するだけではなく、どう伝えるかが重視されています。

身振り、アイコンタクト、表情、声のトーン。

小学生のうちから、そういったことを意識する練習をしていることに、私は驚きました。

このスピーチは4年生から毎年行うらしいのです。

長女の友達は、1年目はただ読んだだけだったからダメだった。
2年目は「動きをつけたほうがいい」と思って動いたら、動きすぎてダメだった。
3年目の今回は、その2つの反省を活かしたいと話していたそうです。

次女は今3年生ですが、低学年のうちは毎週月曜日は週末の話を小さなグループになってお互いにシェアする時間があるそうです。

次女はクラス内だけですが、スピーチがあります。

こちらは方法は完全に自由。
型は決められていません。

スピーチをしてもいいし、ポスターを作ってもいいし、パワーポイントでプレゼンを作ってもいいそうです。

PCが大好きは次女はもちろんプレゼンを作りました。

発表は来週で、今は家で準備をしながら練習をしているのですが、私は何も手伝っていません。

プレゼンをテレビに写して練習し、アドバイスしますが、直すのは全て次女です。

すると最初のお披露目から数日、長女にアドバイスをたくさんもらって練習を重ねた次女は、なんと3年生にしてカンペなしのプレゼンです。

私はもういい大人ですが、人前(それがクラスメイトであっても)でプレゼンなんて緊張しすぎてお腹が痛くなりそうな案件です。

それなのに、次女は緊張しながらもどんどん改善していき、みんなに見せるのが楽しみ!という様子。

比べてみると、「人前で話すこと」に対するハードルの高さと、それを克服するための機会の差を感じずにはいられませんでした。

これは、インターやオーストラリアで培ってきた本当に強いスキルだと思いました。

そして、それはどこで鍛えられるのかというと、とにかく経験です。

経験を詰むこと。場数を踏むのです。
その数が、海外の教育では段違いに多いと感じました。

日本の教育はダメなのか?

とはいえ、日本の教育にも素晴らしいところはたくさんあります。
むしろ私は、日本で学んできたからこそ、今こうしてオーストラリアの教育との違いを冷静に見つめられているのだと思います。

日本の教育は、アカデミックな土台がとても強いです。
基礎学力、論理性、丁寧さ、そして“こうだから、こうすべき”と考える力。
これは、日々の授業の中で少しずつ積み上げられてきたものです。

そうした訓練が、思いやり空気を読む力につながっていることも感じます。
相手の立場を想像して、自分の言葉や行動を選ぶ。
そういった細やかな感覚は、日本で育ったからこそ身についたものかもしれません。

我が家は学校では英語環境でずっと過ごしていますが、家庭では日本語環境です。

ルールやしつけの基本は日本です。
私も夫も日本人なので、そこはどこに住んでいるとかっていうことではなく、人としてこうだよねと思うところをベースにしています。

でもそうすると、やはりとても日本寄りの感覚になります。

子どもたちは、勉強もある程度日本の基準でやっているので、オーストラリアの今の学校ではずば抜けて勉強ができます。
(あくまで日本では普通です。)

すると、人間関係においても考え方がとても育っていることに気づきます。

例えば、自分はこうしたいと思ったけど、それだと相手の子が楽しめないから別の方法を一緒に考える。

みたいなことって日本だと普通に小学生も考えると思います。
もちろん個人差はあると思います。

でも、オーストラリアでは、少なくとも娘たちのクラスではそれができる子は本当に少ないのです。

なので、同じ歳のはずなのに、とても周りの子が幼く感じられるというのも娘たちはあると思います。

どちらかが正解なのではない

オーストラリアの教育を、実際に子どもたちを通して見ていく中で、私は「どちらの教育も、強みがある」と感じるようになりました。

一方が優れていて、もう一方が劣っているということではありません。
むしろ、それぞれの足りない部分を補い合うような関係にあるとすら思えます。

「アカデミックの強さ × 表現力の強さ」
「知識を詰め込む力 × 人前で伝える力」

この両方を知って育っていくことは、これからの時代を生きていく子どもたちにとって、大きな財産になるのではないでしょうか。

漠然と違いを知っていても、具体的にどう違うのかを腹落ちして理解していくことはとても難しいです。

なので、私は、こうして自分の中のフワッとしていた理解が腹落ちしていくとき、海外育児の楽しさを心から感じます。
すごくすごくおもしろいです。

オーストラリアの学校についての記事はこちら👇️

海外育児をしていて腹落ちした話👇️


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Ellaのバイリンガル育児研究所 正直ずっと悩みながら子育てしてます。でも、同じ気持ちの人に届いたら嬉しいなと思って書いてます。応援してもらえたら、また言葉をつなぐ力になります。