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学校に行ってないのは娘なのに、疲れ果てたのは私だった

あの日、
学校に行ってないのは娘なのに、
疲れ果てていたのは私だった。


毎朝の声かけ。
学校への連絡。
先生とのやり取り。
原因探し。
ネット検索。

「行き渋り 対応」
「不登校 親の関わり方」
「自己肯定感」

気づけば、
頭の中はそのことでいっぱいだった。


どうしたら行けるようになるんだろう。
いつ戻れるんやろう。
このままで大丈夫なんだろうか。


そんなことばかり考えていた。


でも、そんな私の横で。


娘はリラックスして笑っていた。


朝起きて、
「今日は何しよう?」
って顔をして、

ゲームをして。
踊って。
お昼ごはんを食べて。


私は違和感を感じた。


あれ?
この子、そんなに不幸そうじゃなくない?


もちろん、
しんどさはあったと思う。


学校に行きたくないほどの事があったんだから。


でも少なくとも、
私みたいに一日中そのことを考えてはいなかった。


その時、ふと思った。


…ん?

学校に行ってないのは、娘やんな?


なんか、この子のこの感じって
学校を "休んでる" んじゃなくて…
学校を "やめた" つもりってことか!!

私の中では、
「いつ学校に戻るか」
がテーマだった。


でも娘の中には、
そもそもそんなテーマすら存在してなかった。

私は復帰を考えている。
娘は今日を生きている。


必死だったのは私だけだった。
苦しかったのも私だけだった。


そのギャップがなんだか面白くて力が抜けた。


学校に行くかどうか。
どう生きるか。
どんなタイミングで立ち上がるか。


それを決めるのは、
娘でいいんじゃないか。
そんなふうに思えた。


あの頃の私は、
娘の人生まで代わりに生きようとしていたのかもしれない。


私は母親だから心配する。
支えることもある。
一緒に悩むこともある。

でも、

代わりに生きることはできない。


できないことをやろうとしていたから、
あんなに苦しかったんだと思う。


学校に行ってないのは娘なのに、
娘は元気いっぱいなのに、
疲れ果てていたのは私だった(笑)


同じ出来事を見ているのに、
親と子でこんなにも見ている世界は違う。


その事実は、
私が何を背負いすぎていたのかを教えてくれていた。



ちなみにこの話には続きがあって。

ぜひこちらも読んでみてくださいね!👇


子どもの行き渋りや不登校をきっかけに、
私自身が見てきたこと、
気づいたことを書いています。


「どうしたら学校に行けるか」
ではなく、
「どうしたら親子で安心して生きられるか」


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