『私の話』第9話 それでも、そばにいた
主人が末期がんとわかってから、
私たちはようやく本当の夫婦のような時間を過ごしました。
入院中は毎日付き添い、泊まり込みもしました。
振り返れば、それが一番長く一緒にいた時間だったと思います。
本当は、母が先に検査入院する予定でした。
けれど主人が腸閉塞を起こし、手術が必要になったため、
母は自分のことを後回しにしてくれました。
その入院中のことでした。
私は、主人に「別の女性の存在」がいることを知りました。
彼女は私と出会う前からの関係だったようです。
主人に問いただすと、
「お金を渡してないから囲っているわけではない。だから愛人じゃない」
そう言いました。
あまりにも身勝手な言い分でした。
けれど、すでに病と闘っている主人を、強く責めることはできませんでした。
心に深い傷を抱えたまま、
ただ、そばにいることしかできなかったのです。
会社の人たちは、その女性の存在を知っていました。
知らなかったのは、私だけでした。
以前デパートの外商の方が、
「社長が女性と来ていました」と教えてくれたことがあります。
あのときの言葉は、何も知らない私への、さりげない知らせだったのかもしれません。
さらに、主人の娘(私より6歳年下)も、その女性と会っていたと知り、胸が締めつけられました。
主治医からは、
「社長という立場なら、やるべきこともあるでしょう」と、
本人への病状の告知を勧められました。
主人は、自分の余命が半年ほどだと知った上で、
「延命治療より、自由な時間を」と選びました。
退院後しばらくは会社に顔を出していました。
そして、その女性とも会っていたようでした。
私はどうしても気持ちを抑えきれず、
車に取り付けてあった電話の履歴から、何度も繰り返されていた番号に電話をしました。
それが、その女性の番号でした。
電話での会話は短く、でも強烈でした。
彼女はとても強い人で、私は言葉を失い、何も言い返すことができませんでした。
気づけば心が折れていました。
私は、
どこにも居場所がないような気がしていました。
気がつくと、トイレにこもり、
アルコールで睡眠薬を飲んでいました。
主人が救急車を呼び、胃の洗浄をしてもらい、
一命を取り留めました。
目を覚ますと、そこには母がいました。
実家からタクシーで一時間、すぐに駆けつけてくれていたのです。
何も言わず、ただそばにいてくれる母の存在に、
私は救われていました。
それからは、静かな日々が続きました。
主人は次第に外に出なくなり、
痩せて弱っていく姿を、誰にも見せようとしませんでした。
「痛い」とも「辛い」とも、一度も言わない、強い人でした。
主治医から
「いつ心臓が止まってもおかしくない」と告げられてからも、
主人は「家にいたい」と言い、
私たちは二人きりで過ごしていました。
そんなある日、主人が言いました。
「新宿の京王デパートで、駅弁大会をやっているから、買ってきてくれないか?」
いつ心臓が止まるかわからない状態で、
それでも私は、往復2時間かけて、急いで駅弁を買いに行きました。

このあと、思いもよらない出来事が起こります。
続きは第10話へ
▶ 第10話「それでも、私は生きている」
