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《法主》基礎的なこと:神に建物はいらない、平等観、自然との一体 (1971年1月号)

以下、法主(矢追日聖)の記事より引用します。
伝わるべきところへ伝わりゆくまにまに。


『すさのお』1971年1月号

昭和46年の新春を迎えることができて、お互に芽出度いことである。
昨年あたりから今年にかけて、何か分らないが大きな節に直面しているような感を受ける。私は今年の賀状に、現代人は「神ながら」の信仰が欠けているのではないか、と云った意味の御挨拶をしておいた。ということは、 私は現代社会を見て嘆いている多くの古代人に替って申し上げたまでである。

昨今、大倭へ出入りする人々の層がかなり厚くなってきたようだ。其れは宗教、共同体(キブツ)、社会福祉施設、FIW C、商取引等の関係者である。更に強いて云うならば、大倭紫陽花邑(おおやまと、あじさいむら)に居住する二百人余りの個人的人間関係も含めることができる。

加美(神)に一任して歩んできた、大倭紫陽花邑はその形
想えば昭和22年(1947)、私は天啓によってこの須加(すが、光明皇后宮宅址)の地に本據を定めたのであるが、爾来、私はただ一途に私のすべてを加美に一任して行動をとってきたつもりである。

俗っぽく見れば此は使命に殉ずる意地っ張り根性とも云えるのであるが、 二十余年の歳月は、この根性が今日みる大倭紫陽花邑の形を造らせてしまったのである。勿論ここには私の人間的な理想や希望や作意などの片鱗すらなかったのである。だから現代みる大倭紫陽花邑の形の中に私が把握している「神ながら」の哲理があり、と同時にこの形の中から大倭教なるものの源流も、活眼を開けば見ることができるのである。

二弾三弾が続いてくる
今の時点に於いて、全人類の中に、否、小さく全日本人の中に、仮りに加美の心に通じる人が在るとすれば、その人は、恐らくこの大倭紫陽花邑の現況を見ることによって私の宿命なり、私が体得した「神ながら」の信仰なども完全に消化して、私のあとへ二陣三陣と続いてくるであろうと思う。

或は更に私より規模の大きな命(みこと)をもって「神ながら」 の道を開顕してくれる比登(ひと)を加美は既に用意しているのかも知れない。若しそうであるとするならば、私にとって人生これに優る喜びはないのである。

須加宮跡、大倭紫陽花邑
私が居住する須加宮跡は、 神ながらを根幹とした大倭の宗教をかげて、私が宗教的活動を繰拡げる本據地である。これを便宜的に大倭教の大本宮といい、通称名を大倭紫陽花邑と称している。

ながら・加美とは、自然の流れと共に
私達が日常テレビを見ながら飯を食べながら、或は仕事をしながらというように、「ながら」 は意味深長なヤマト言葉である。「加美(神)」は自然の総てを意味しているもので、「神ながら」は、「加美(自然)の流れと共に」 ということになる。分り易く言えば、大倭は自然主義的な宗教とも観られるのである。

神ながらの法(原理)と道(実践)
私は自然界にある総ての微妙な仕組を「神ながらの法」と観て、その法に順応した総ての活動行為を「神ながらの道」と説明している。今生に於ける私の行動は、私が命をかけて感得したこの「法」と「道」の範囲内に於てのみ許されているものである。この限られた世界の中で私は自己の全生命を燃え尽す覚悟のもとに、二十余年間、神のまにまに歳月を費してきた。これが私の人生観であり、使命観である。

加美の示し:盲信者の集まりはガン、神に建物はいらない、平等観、自然との一体
敗戦直後のころ私が宗教活動に入るとき、別な私(先天的意識)が今の私(後天的意識)に応病与薬、その都度に応じて信條的な注意を与えてくれたものだった。例えて云うならば次の如きものである。

「加美(神)は崇敬すべきもので、絶対たよってはならない。世界万教の起元は「神ながら」にある故に、独善排他的な考え方は神意に逆らうから、仲よく互に練磨するように。教団の拡大、つまり信者獲得に神聖な教理を利用することは慎め、盲信者の集りは互に自我欲望を助長させ、宗教人を企業家に転落させる危険性がある。

加美は固有霊とはちがって人間の工作物を必要としない。巨大な堂塔神殿は盲信者達がもつ強欲魔の棲家にはなるだろうが加美は宿らない。加美は自然の中に宿るため、自然を尊重し、自然を犯し、穢してはいけない。人間には人それぞれの持味があり、能力差はあるが、それ自体が、加美のはからいであるから、優越視、劣等視した差別扱をしては神意に逆らう。人間の本質は同じであるから平等な心で望まなければならない。

特に自然と人間との奇しき関連性の自覚に重点を置き、人間相互の親睦と調和を保つよう精進せよ。人間社会にある相対観を超越した一体観にもとづき、 死後の世界が幸福に暮せるような人間形成を目ざして教化指導にはげめ。この世に生まれたものは必ず死ぬという現実の厳しさを骨身に徹せよ――。」

加美に監督されながら歩んできた、離れ業であった
出発時に於いて私はこうした意味の枠に先づしばられた。監督者と行動者が一つの肉体に棲っているから誤魔化しはきかないし、と云って逃げられもしない。34,5歳の若輩だった私も、つらつら前途を眺めて秘かにつぶやいた。今の社会情勢下に於ては中々常人ではできない放れ業だろうと。

所が今日私は健在で明日死にそうにもない。とすれば私は過去二十余年間、合格すれすれの線を保ちながら転倒もしないでマアーマアーと云う所で救われていると思う。

大倭紫陽花邑は具現した地域社会だからそこに見出してほしい
大倭紫陽花邑はこの種の一個の人間がもつ人生観、使命観の具現した地域社会であるから、 大倭を訪れる人々は、この邑から現代社会に欠けている何かを見出すべき時機に当面しているものではなかろうか。

(昭和46年1月13日、日聖記)
(小見出しは圓満による)



南無妙法蓮華経
なもたかまのはら

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