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天災の予言などについての矢追日聖さんの法話(1985年12月号)

最近、予言に関する話が話題になっています。
矢追日聖師の法話・執筆物を見ていると、いろんな話があります。
法話は方便を通すもので、文字通りに一番奥の真実ばかりを言わないので話は複雑ですが、今回は以下を引用しておきます。


私のお役目
今日まで、そんなケースを私もずいぶん扱ってきてますけれども、そんなこと表へ出して言うたら、うるさいほど人が来ますからね。そしたら私の本職横へ行きますから、なるべく知られんような形で、来る人だけには何とかしてあげておるんです。まあこれも、ひとつの私自身に与えられた力やと思うんです。こんなのも、超能力のうちに入るかも知れませんけれども、私自身は平々凡々な人間ですし、本読むことは嫌いやし、私のお役目というのはみんなが幸せになってくれたらいいと、それ以外何もないんです。

未来予知について
世間には超能力者やというて、地震がいつ来るやとか、富士山がいつ爆発するやとか、そんなことを言う人もおるらしいですけれども、私の仲間の霊界人は、そんなことは極力避けます。それはわかってると思います。自然に旬が来たら爆発するんやし、ガタガタと地震で揺するんやしね。私が生まれてから死ぬまでのことをちゃんと計算しとるんやし、霊界人はそういう現実の問題はきっちりと計算してくれるやろと思います。それはコンピューター以上のものを持っとります。けれども私には一切そんなこと言いません。「時期が来たらわかるやないか」と、「そんなもん前もって言うたところが、人心をゆさぶるだけやからやめとけ」って、私はそう言われるんです。

私も霊界人とそんな話するんですよ。ああして予言する人があるけれども、あの予言はほんまかって聞きますねん。そうすると霊界人は、「あれは自己意識で想像しているだけやから、そんなんはダメだ」っていいます。ああいうのはほとんどみな外れてるようですね。

利益のために拝むのは低級霊
あちらこちらに、祈祷師とか拝み屋さんとか、随分おりますけれども、ああいうのを私が見てるとね、ひとつの媒介する霊体があるんです。それは低級霊が多いんです。高級霊はほとんどおりません。低級霊がおって、その低級霊の指示を受ける。

それでお代さんの口を借りて、神さんこう言うてるということになるんですけれども、これがもう一番程度が低いんです。だから私が見てたら、 高級霊はそんなことは言いません。病気でも「治してくれ」と高級霊に頼んだら、何でそんなこと言うねんって、逆に言われます。旬が来たら死ぬんやから、病気みたいなもん治さんでええやないかと。自分で病気の原因作っておいて、なんで神さんに助けてくれと言うのやろなと、そんなふうに私の仲間の霊界人は言うんです。

まあ低級な霊であったら、お神酒何本お供えせいとか、あるいは餅なんぼついて持ってこいとか言うんですね。夜中の丑三つ時に全部電気消して、 まっ暗けにして、お燈明たいて、あんなふうにやらすのが一番低級です。世間の人は偉いと思ってはるやろけどね。これは私の見方ですよ。

滝行などなくても/便所でも
それで、私は滝にうたれたり、あんな行をしたことは一回もないんです。普通やったら一生懸命行をして、お経でも唱えて、精進潔斎して拝むと霊示があるとか、神さんのお告げがあるとか、世間の方はおっしゃいますけれども、私は一切ありません。尻まくって糞しておったかて霊示はあります。だから雪隠の中を私はいつも清潔にしてます。お花供えて、いつも私はサーッとはいて掃除しておきます。そこでも神さんのお告げがあるんやからね。

私は拝殿やとか祭壇で拝んだことないけれども、 朝お便所の中で拝むんですよ。小便しもって、ああ小便きれいに出たわ、今日も一日健康でいける。 大便出たわ、ああ今日は良かった、神さんのお蔭やと。もし便がつまって出んかったらどうなるんや思って、感謝して拝んでいます。

私は感謝して拝む以外に、神さん拝みません。

寝る時には今日も一日無事で暮らさせてもらって、 また明日も達者であるようにと思って寝間に入ります。その時もまた感謝して拝みます。だから朝のお便所の中と晩は寝間の中で、ちゃんと座って拝むんです。一日に二回だけ、神さん拝むのはそれだけです。



コメント

今回は1985年10月20日の法話の一部分を引用しました。
ここから読めることは
・日聖師においては予言の類はないこと。「どうせ起こるからわざわざ言わなくてよい=加美ながらに歩めばよいだけだから未来のことははっきり知る必要はない」「社会を混乱させてしまうというデメリットが大きい」といったニュアンスに私は受けられます。
・そして、そこにおいて高級な霊格ほどそういうようなことを言う。それはつまり加美(宇宙の原理、仏教でいう法)に順応する道にあるからこそ、連れ回されるところから外れようとする必要がないということ。
といったようなことに思われます。

ところがまた一方で、日聖師は予知めいたことと無縁だったわけではなく、未来をある程度知っていたり(聞かされていたり)していることも沢山存在しています。
例えば何歳頃から自分がどんな活動をしていくだとか、天皇がどうなっていくだとか、空襲があることなど、色んな事例を挙げることができます。

この絶妙なところが伝われば、それが甚深微妙法だと思います。




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圓寂が、社会の精神性に寄与することを願って、さまざま深い思慮を発信し、活動することを楽しみにしながら…

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