不思議話(3章) 霊体が物的作用をする~フランス人形、叔母のスヌーピー、留守宅の電話~
不思議話、第21弾。
今回は、「霊体が作用してくる系統」の話です。
【全不思議話の目次はこちら】
霊体が物的作用をする
皆さんは、「霊が物的に作用する」という話を、”事実”だと認識されているだろうか。
昔から、霊的な現象として、霊が物理的に作用するような話が沢山あり、「先祖が、車の衝突を防いでくれた」「ろうそくが揺れるのは先祖が喜んでいる」「天狗が岩を動かした」など大小古今様々にそういう話が存在している。
わたしはどのような立場であってきたかといえば、どこか「半分ではナチュラルにそう思い」ながら、「半分では恐らく多くの現代人同様強く疑って」きた。
霊的な存在が物理的に作用することが出来るのであれば、例えばこのような懐疑が思いついたりして、信じきれなかった。
・不幸な御霊が物理的に作用できるならば、もっと色んな事故を起こしたりすればよい。
・御霊が良い方向にも物理的に作用できるとして、例えば先祖が車の衝突などを防いだりできるならば、色んな怪我や事故など徹底的に防げなくてはおかしい。
・殺人事件や戦争などの殺された被害霊がいれば、その加害霊にもっと作用すればよい。
・そもそもどのように作用できるのか、どのタイミングで作用するのか等がわからない。
など
そこで既に何度か触れているが、結論から言って「霊体は物理的に作用することができる」ということが事実である。
霊体が物理的に作用できるならば、なぜもっと作用しないか
そこで今見た中の「霊体が物理的に作用できるならば、なぜもっと作用しないか」といった類の懐疑に最も簡潔な回答を与えるとすれば、
「作用できるタイミングや力加減などは、複雑にすでに組みあがっている因縁と共に複雑怪奇に実現するものである」といったところになる。
例えば、殺人事件が起こるケースでいえば、そもそも先祖がいて作用できるならば何故それを防げないかというと。
何かしらの因縁
色んなケースがあるがまず言えることは、「被害者Aさんは、殺害される因縁にある」ということが既にあって、それは先祖が何を思っても防げないことになっている。
殺害される因縁にも色んな因縁があるが、最も分かりやすい例としては「過去世の罪障があって、それにより祓われるという仕組みになっている」といったケースである。
これは物質界で喩えれば、例えば「犯罪をした事実があって、警察につかまるということが法律から定まってあるとして、親がいくら作用しようとしても止められない」ようなケースといった感じである。一方で、「土砂災害で埋まっている子供を、親が助ける」ということは可能であったりする。
このように物質界と何ら変わらないしくみがあるだけのことである。
進行は決まっている、霊界人・物界人は同じ場にいる
さらに一歩奥のことを言えば。
「人生は霊界から見れば、予めおそらく全て(少し逃げてほとんどということでもよい)決まっている」ということを何度か記してきたが、より広い視点から言えば心霊界・物質界の陽陰両方を含めた世界を一つの世界であると認識すると、「単に霊界人も物界人も一つの場に同時に存在する者」であり、「霊界人・物界人の全ての存在者の動きが深い因縁によって(絶対の根源中心という角度から見れば)決定している」というだけのことである。
つまり、例えば「ある場面で先祖が助けることも予め決まっている」し、「もし物界人が霊能者を頼ってそれで何か助かることがあったとしてもそれも決定して」いて、それはちょうど物界のみの範囲で、ある人がある病院である医者に救われることも深くはすでに決定していることと論理としては何ら変わらないということである。
これも何度か断ってきたが、不確定性原理とこれは恐らく矛盾しない。不確定性原理は物質界のみの視点によるが、霊界からの視点はまた全然別原理である。喩えるならば、サイコロを振る前は6つの目の可能性が広がっているが、振り終わった方から見れば1つの目に確定しているようなものと、一応軽く述べておこうか。
そもそもどのように作用できるか
もう一つの大きな懐疑点、「そもそもどのように作用できるか」といった類の懐疑にも簡潔に回答しておくと、「そもそも物質は霊的なもの(仮にそう呼んでいるがいつか科学的にそれが何か悟るものがあると思う)から生まれ出ているものであり、霊的なものと物的なものは実は変換可能であり、霊的なものを物的に現すことができる」といったところである。
(こちらの記事を参照)

この物質界でいえば、例えば「物質的に神経系などが生まれて、意識というものがそこに生まれる」と考える。しかし意識というものは、もはや物質以上の何かとしか言えないものを創発している。
非生命のもの(海など)から、生命が生まれてきた。中性子が崩壊して、陽子と電子が生まれてくる。一つの個体が親と子に分かれ出る。そういったような感じで、霊界物界以前の中的なものが崩壊して、霊界と物界ができ、しかも敢えて言えば「霊界から物界が生まれる」というようなことになっている。ちょうど「親以前の一個体が、それは主としては親となり、分れたものが子となる」ように。
このようにしてあるのが物質界であるので、実は”霊的なもの(と仮に呼んでいるもの)”が、物質に作用することは比較的簡単に起こすことができるといったことになっているようである。
「目の前の景色を動画としたものを、電波情報に変換したりでき、それを向こうでデバイスに表示できたりする」ような感じで、”変換可能”なことになっている。
概ねそのような感じで、霊性は物質に影響することが出来たり、変換することが出来たりするということが事実としてあるようである。
その最たる実例が、「2章4.大神神社での感光」の霊体がiPhoneカメラに映り込むという現象であった。あれは、わかりやすく表れた例として、実はいろんなところでよく起こっているが、人々が認識していないことなのである。
そこで、今回は3つのミニ事例を取り上げる。
1.叔母のスヌーピー

わたしの母方実家は、三姉妹であった。
ところが長女叔母は、わたしが8歳のときに早世してしまった。
その悲しみに暮れながら、親族集まって遺品の話をしているときのことであった。
叔母はスヌーピーが大好きで、家がスヌーピーグッズで溢れていた。わたしも小さい頃からよく目にしてきたが、棚に大量のグッズがしまわれていたりした。
そこで親族で、遺品をそれぞれどうしていくかということを話し合っているときに、当然このスヌーピーの話になった。誰かが「どうしようもないから(悲しいけれども)、捨ててしまったらいいんちゃうか」といった途端であった。
仏壇に普通に置いていたスヌーピーが、突然落ちてきたのである。
すぐに皆で「やめよう。皆で分配して大切にしよう」といった話となり、その後それぞれに大切に遺品として保持されている。
これは私は見ていない場での話であったので、それがどれほど偶然とは思えないような有り様であったか分からないが、みんなこの話をよくするのでよほど霊的と思わせるような感じで起こったのであろうと思う。
ただし、こんなことを簡単にそのまま信じるようなわたしではなく、半分信じながら半分ではそんなこと出来るならもっと他に色々するだろうし偶然だろう等と疑ってもきたものであった。
(ちなみに今となっては本当だったのだろうと思うことができる。)
2.叔母からの電話?

それからしばらくしての頃。
祖母の実家が少し遠方(岡山県)であり、家族でよく遊びにいったりしてきたところがある。
叔母も好きであったらしい。
亡くなってしばらくして、母方の家族みんなでこの岡山の家に遊びに行ったとき。
冬で、スキー場に遊びに行った。
そのとき、突然、母方の実家から、携帯に電話が入る。
当然、母方の家族みんなで来ているのであるからそんなことは有り得ない。有り得るとすれば泥棒ということになるが、泥棒が電話をかけてくる意味もない。あまりの怖さにそのまま放置した。
帰って実家に入ってみんなで見たが、どこも荒らされた形跡はない。盗られたものもなかった。
何だったのだろうかと、後日Pさんに聞いてみたところ、叔母が「一緒に遊びに行くという気持ちをもってほしい」という念を持っていて、それが反応したものだという。
実はこのような事例は他にもあるらしい。
東日本大震災のあとに、携帯に死者からメールが届いたり、携帯電話を通した不思議な現象が報告されている。これは霊的な理解からすると当たり前のことである。
霊体は大神神社の感光でも見たように「光とか電磁波とかそういった類の何か」であって、電気などに反応しやすいらしい。そもそも霊体がこの肉体に入り込んでいるのも、神経系と連動するものであるから、今は詳細はわからないがそういうものなのであろう。
さすがにこれは不可解な現象として、スヌーピーのように信じる疑わないの問題ではなく、「不審者か怪奇現象か」の二択として刻まれたものであった。
3.フランス人形の力?

これは確か僧侶となってからだったように思う。
母方の実家を整理している日があって、わたしもそこに居合わせた。
二階の掃除をしていたのであるが、階段上のガラスに昔から顔が見えているフランス人形があった。
叔母がお箏をしていた関係で、人間国宝の先生(?)からプレゼントされたものであるらしく、ということからしてかなりきっちりしたものらしかった。
このフランス人形については、霊感のある人が来たときに、廊下にフランス人形が歩いている(姿も詳細に語る)と言われたりするといったこともあった。ところが疑い抜いていたわたしはそんなことを真に受けるわけもなく、まして人形なので生きていた人でもないし、さすがにそんなことは有り得ないだろうという気持ちの方がどちらかといえば勝っていた。
その整理している日。この人形が箱に積んであった。
それを見てわたしは何の気なしに「捨てたらええやん」と言った。
その瞬間、真上の蛍光灯が勝手に落ちてきた。
わたしの頭に当たり、地面に落下して割れた。
さすがに怖い。
蛍光灯は外れないように装着されているはずのものである。
なぜそれが外れて落ちてきたのか、さすがに分からなかった。
「ああ、止めよう止めよう」と言いながら、箱にしまい直した。
この瞬間、スヌーピーの件を思い出して、あれも多分そういう何か普通ではない現象とみんなが感じるような状況であって、本当に何か霊的な作用があったのであろうなと思わされた。
生きていた生命でなくても、そのようなことがあるということである。
もしくは「所有者や製作者の念が籠っている」のかもしれないが、これは現状はっきり何かはわかっていない。
日聖師の執筆物を見ていると、生きている生命でなくても、作られた想念はそのまま霊体のように存在しうると書かれているから、こういうことなのかもしれない。
物質界で置き換えるならば、「AI安野」みたいなものなのだと思われる。霊界はこころの世界であるから、こころによって作り込んで存在させることもできる。それが自発的に生命のように動くということは、わからない霊界という場で考えると不自然にも一見思われるが、物質界ではAIやロボットのようなものがあるから、そのようなものかと思えば確かにあってもおかしくはないと認識するようになった。
多分、この人形はもはやAIのように、それ自体として動く霊体を伴っているのであろう。
そう考えると、人形供養ということも事実としてあるのだろうと今では思うものである。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
霊が物理的に作用するといった話はいろいろとありますが、なかなかそのまま信じることは難しい人が多いように思います。
それには、本当にそのように起こったものがある一方で、「そうではないものもそのように言われて信憑性を喪失している」という事情があるように思います。
本当にそういうことも事実としてあります。
そこでいくつかの懐疑を取り上げ、その簡単な解説・回答を付しました。
ご参考になれば幸いです。
→より詳しくは別に執筆していきます。
また科学がいつか衝突して、人間の認識がさらに一歩進む日を楽しみにしています。
そういう霊界があるとなれば、因縁なども事実としてあることが判明し、人々が霊的に正しく生きることを重要視しはじめ、よりよい精神性をもった社会となっていくのですから。
【参考】
今回は、わたしの経験した中から3つを取り上げましたが、日聖師などの経験談はもっと鮮烈なもので、はるかに力強いものです。そこで4章では、これをいくつか取り上げます。お楽しみに。
【最近のできごと】
これは以前に執筆していたものをタイミングが良いときに表に出しているのであるが、これを執筆してからも、この類のことが年始にあった。
先祖に関する深い話を家族でしている際に、部屋の電気が音を立てて消えるという出来事があった。
やはり電気系統は敏感に反応しやすいようである。
科学的方面から証明される日が待ち遠しい。
【ご喜捨のお願い】
社会の精神的な向上を願って、宗教者の道を歩んでいます。
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