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法主の対談 『ナーム』S61年2月号(水書房)より

日聖法主の記事を広めるシリーズ。
今回は『ナーム』S61年2月号(水書房)と日聖法主の対談より。

外部の方が来られてのインタビュー記事ですが、外部から来られた目線だからこそわかりやすいものがあるなと読んでいて感じました。

・日聖氏の人柄
・~教といった宗教の境目は不要であるということ(本来のただ一つの宗教という事実)
そういったことが伝わればと思います。


(外部の)編集部 
何人かの知人から、大倭の紫陽花邑というのはすごいところだ、と聞いておりまして。それで、今日実際に参りまして初めて拝見したんですけれども、そこここを歩きながら、「桃源境」と言う言葉が久々に頭の奥から浮かび出て参りました。一口に言えば、私もここに住みたい、という感想なんですけれども、こうした邑を作ることを40年も前から準備されていた矢追法主様のご見識に、本当に驚かされました。

法主
いやぁ、見識やとか哲学やとか、 物事をそういうふうに難しゅう考えるのは、私、あんまり好かん方でねぇ。今日もね、私、別に言いたいことは何もありませんねん。結局、みながその日その日喜んで暮してね、なんとか生活ができたらもうええやないか、ちゅうのが結論ですねん。

だから、仏教やとか神道やとか宗教やとか、そんな観念は私にはもう全然ありませんねん。お釈迦さんやキリストさんがおらんかっても、人間ちゅうのはなんとか生きていきますがな。


霊感/霊界との交流(自然なこと)

編集部 
そうですね。しかし、そうおっしゃる法主様もずいぶん霊感がお強いようにうかがっておりますが。

法主
まあ、私自身にしてみると、「霊界にいる霊界人と肉体を持って生きている現界人とが交流することによって両者が幸せになっていける」というのが根本なんですわ。これは私の考えというものでなくて、事実がそうなっとるんですよ。

編集部 
その霊界人との交流というのは、法主様のお小さい頃からですか?

法主
これは、家系なんですなぁ。
私のおばあさんが神がかり、母親が神がかりで、私自身も十六、 七の頃から気狂いみたいになってきて、霊界人の姿が見えたり、声が聞こえるようになってきたんです。で、そういうのが出てきて、「おまえは将来宗教で立っていくんだ」というようなことを言われてたわけやね。

編集部 
そういう霊界人と話す能力というのは、 普通の人にも、元来そなわっているものなんでしょうか?

法主
みんな、あると思います。

編集部 
たとえば、私にはないんですけれども、 これはどうしてでしょうか? やっぱり修行していないから・・・・・・?

法主
いや、それは、あんたがたのような知識人は知識やとかいろんなものが頭につまってて、自然の気に触れる面が少ないんやと思うんです。そやから、自然からの調節を受ける感覚が鈍ってんのやと思う。鳥やとか猿やとか、あんなものは自然のままに生きとるわねぇ。ああいうものが持ってる能力が、文明人には欠けてくるのやと思う。

私なんかはもう野蛮な人間やから、直接そういうのを感ずるんですけどねぇ。だから、私なんか、 いわゆる滝に打たれたりとか、宗教的な行というのがいろいろあるわね、あんなもん一遍もしたことない。もう、全然。あんた修行したんか、とか、よう訳かれますけどね、何にもないんです。私はもう、俗の俗でね、朝は長寝するし、時間を決めてきっちり神さん拝むこともないし、私、便所の中でしか神さん拝まへんからね。聖人君子みたいなえらい人から見たら、私なんか下劣のきわみやと思うんです。ところが、どういうわけか、霊界人とだけは仲がいいんです。


法制度のもと致し方なく宗教法人化

編集部 
その霊界人の命令で、昭和21年に大倭教をお作りになるわけですね・・・・・。

法主
いや、霊界人はね、「世間にあるような信者の組織的な団体を作る、ああいうことはやっちゃいかん。」と言うたんですよ。しかし、法治国のことやから。何か宗教的なことをやろうとしたら、 宗教法人の認可を受けなあかんのですな。それで、 一応、二十一年に宗教法人の認可を受けたんです。

けど、私にしてみたら、信者やとかそういうのは、 言葉聞くのも嫌いですねん。そやから、大倭教の信者だという自覚を持つな、とみんなには言うてますねんけどねえ。


自然との一体

編集部 
それから、さきほど、自然の気に触れることが少ないから霊界人と話ができない、とおっしゃったんですが、そうしますと、古代日本人のような自然と密着して生きていた人たちは、誰でも、ごく普通に霊界人と交流していたわけでしょうか?

法主
ええ、それはもう、「一体」というのが古代の人の考え方ですね。人間と神さんと一つだという考え方。それから、天地自然とわれわれとは一つのもんだということですね。

昔の人は、自然はみんな、これ、神さんだと考えたんですよ。神さんというのは「上」で、自分より上のもののことですな。人間みたいなものは、地球の皮に湧いた虫ですからねぇ、こんなもん。木も生えてる、 ウサギも走ってる、人間もいる、これみんな、天地自然から見たら同じですもんなぁ。同じ一つの舞台の中に生きさしてもろうてんのやからね。その生きさしてる条件ちゅうのは、すべて、神さんなんです。自分より上なんだから。空気も人間が作ってるのやないし、それを吸わせてもらって生きてんのやからね。心臓も自分で動かしてるわけやないでしょ。こりゃ、自然の力ですわな。

そういう人間を生かしてくれる条件のすべては、これ、 ぜんぶ自分の上にあるんやから、ぜんぶ神さんなんです。そういうのが、古代人の信仰の形態やと思うんですよ。私も、それが好きでね、アミダさんだけが有難いとか、キリストさんだけが有難いとかいうのは、私、嫌いですねん。


大倭教/紫陽花邑のなりたち(理想社会の模型)

編集部 
ところで、そうやって大倭教をお作りになって、それがいわゆる宗教団体にならないで、 紫陽花邑という共同生活村になっていったのは、 どういうわけなんでしょうか?

矢追 
これはもう、霊界人の指示ですねん。

編集部 最初から、こういう村を作れ、と言われてらっしゃったんですか?

法主
いや、村を作れ、というんじゃなくて、「おまえを頼って来る人を拒んだらいけない、また、去る人を追ってはいけない」と最初に言われたんです。それがこういうふうになるとは、私にも全然わからなかったですよ。

編集部 で、村はどういうふうにしてできあがっていったんですか?

矢追
まず、昭和22年の1月に、霊界人から「 外へ行ってしゃべって来い」と言われたんです。

それまで人の前でモノ言うたことないのに、断ることできへんからねぇ、私。それで、押し出されて、一番最初、大阪の梅田の駅頭へ行ってしゃべりましてん。

編集部 どういうことを………………?

法主
今で言う社会福祉の話やね。そういう話が、 自分の口から勝手に出てきたんですよ、30分ぐらいね。拡声器もないから、しんどいですがな。 それから、こんどは南向いて行け、と霊界人が言うから、御堂筋をずうっと歩いて、お御堂さんの焼けた跡のとこまで来て、そこで弁当食べましてん。家から弁当持ってきてましてん。それからまたずうっと歩いて、戎橋の橋詰でしゃべって、それからまた一つ歩いて、阿倍野橋の陸橋の上でしゃべって、そうしたらもう日が暮れてきたから家へ帰ったんですけどね。

それから、日曜のたんびに行くようになったんです。そうしますとねぇ、 当時、天王寺のあの辺に行くと、孤児や浮浪児がいっぱいおったんです。また、スラム街みたいなとこの人間やとかね。そういう中から、私について来る人がちょいちょい出てきたわけ。ついて来られたかて、私の家に余分に米あるわけやないから、困るんですがね。ところが、私がためろうたって、「連れて帰れ」という霊界人の声が聞こえてくるんやから、しょうがありませんがな。そういう人が一人増え、二人増えして、みなでこの山の中で原始生活を始めたんやね。

編集部 そのついて来る方というのは、法主様のお説法に感激したというよりは、早い話が、食べる物が欲しいと…

法主
そうです、そうです。戦争で主人を亡くした母と子やとか、満州から裸一貫で引きあげてきた人やとかねぇ。その頃、もうすでに、梅田の厚 生館とかで社会福祉の仕事ができとったんですが、そこから漏れてしまう人がいたんやね。そういう人が私を頼ってくるわけです。子供も来るしね。

編集部 正直なところ、そういう人について来られて、お気持はどうでしたですか?

法主 
そりゃ、もう正直に言えばね、「つまらんなあ」と思いましたよ。そやけど、「連れて帰れ」と霊界人が言うんやから、板ばさみやわねぇ。結局、 もう、「なるようになれっ」ていう感じでしたな。連れて帰ってくりゃ、飯食わさんならんし、寝なならんしねぇ。だから、食べる物がなくなった時なんか、ここの池におるエビガニを食べたり、カエル食べたり、大きな台湾ドジョウ食べたりね、池の水飲んだり、そんなことしょっちゅうやってました。けれども、一つも病気にならんかったですよ。それで、私は、日曜ごとに出て行くけれども、ふだんは牛の尻叩いて百姓しておって、できた農作物は女の人に頼んで大阪へ闇売りに持って行かしたりねぇ。生きるためには、私、えらい悪いこともしましてん。

編集部 そういうことについては、霊界人は何も文句を言わないんですか?

法主
うん、何も言わんですよ。

編集部 わりあい、大らかですね。

法主 
大らかですよ。そやから、一遍も警察に引っかかったことあれへん。やっぱり、小学校へ行ってるような子供には、お金が要りますもん。一番多い時で、20人以上、うちから小学校へ行ってましたからなぁ。その中に私の子供が4人入ってて、あとはもう縁もゆかりもない子供ばっかりですねん。

編集部 ついて来られる方たちの中で、本当に宗教を求めて来るという方はいなかったんですか?

法主
ほとんど、いませんでしたな。4、5人ぐらいおりましたかなぁ・・・・・・。

編集部 そういう少数の方々には、どういうことをお教えになったんですか?

法主 
なんにも教えへん。生活そのものが、私の宗教なんやからね。それで、ほとんどが私にぶらさがってくる人ばっかりでしょう。そやから、持ってきてくれるものはシラミばっかりですねん。 だから、私、毎晩、腹巻きの中を広げてね、シラミを取ってましてん。「ああ、今日は十匹取った、 大漁やなぁ」とか言うて、それが、晩、寝る前の楽しみですがな。苦しい中にも、それが楽しみやったねえ。

編集部 哀しいような、羨ましいようなお話ですねぇ。なにか牧歌的な雰囲気さえ感じます。

法主
風呂でも露天風呂やからね。パッと裸になって、松の枝に着物を掛けてねぇ。すると、雨なんかが降ってくる時があるでしょ、そしたら私、「おい、傘もってこい」言いますねん。裸で入ってんのやから、なんぼ雨に濡れてもかまへんのに、 人間っておかしなもんやねぇ。そしたら、言われた方もちゃんと持ってきよりますねんな、あれ。それで、私、傘さして風呂へ入ってたことありますねん。そんなんやら、五月の夜になったら、ホトトギスが飛んで行くのを風呂の中から見てたりねぇ、いわば風流な生活ですなぁ。 

編集部 詩情を感じますねぇ。

法主 
そのかわり、経済的な面は乞食より以下でしたな。ほんとの原始生活・・・・・・。

編集部 しかし、奥様がよく我慢なさいましたですね。お逃げにもならないで・・・・

法主
そうです。よう、我慢してくれました。けど、やっぱり、だいぶん体を無理してたんかねぇ、 昭和25年にその家内を亡くしましてん。ちょうど、あれが37歳やったかねぇ。弱い体で大勢の子供の世話してくれてましたからね、ちょっと重労働やったんやろうねぇ。けど、精神的には喜んでましたな。

編集部 しかし、そういう立派な奥さんを霊界人は助けてくれないんですか? ちょっと無慈悲なんじゃございません?

法主 喜んでおったんやからなぁ。まあ、寿命です、そこまでの。

編集部 そういうもんですか?

法主 
そりゃ、そんなもんですね。あの家内もね、 嫁に来てから神がかりになりましてん。そうやって霊界人と交流があったから、精神的には何一つ苦しみを持ってなかったんですわ。死ぬ時も、自分でもう予測しとったと思いますよ。

しかし、何ですなぁ、何がつらいと言うたって、 食うもんがないぐらいつらいことありませんな。

編集部 人間というのは食べるために生きているようなもんですもんねえ。

法主
私自身は、生まれた家が結構な家(※古代からの地主)やったから、それまで生活苦なんてものは知りませんでしてん。けれども、宗教人として立っていくと、世間のボーダーラインから下の人をどうしても相手にせんならんようになりますがな、これ。だから、私、最初に霊界人から言われたんやね、「おまえが高い所におって、人の救済はできへんぞ。おまえ自身が世間のボーダーラインのすれすれの所にいなきゃいかん。それが、宗教人としてのおまえの位置や。堤防の上から溺れてる人間つかまえて、 どうせえ、こうせえ、となんぼ説教してみたって、 相手は死んでいく。それよりも、おまえ自身が水の中に飛びこんで救ってやることや」とねぇ・・・・・・。

編集部 霊界人から大阪弁(※実際には奈良弁?)でそう言われると、私でさえ何となくその気になってまいります。

法主
で、その通り、ほんものの最低生活を味わせてもろうてね、私、喜んでます、今でも。あんな時代は、一生のうち、もう来ないですわ。

編集部 それから、ライ快復者の方々の社会復帰センターが昭和43年から始まっていますね。

法主 
ライを患うた人は、今はもう治って無菌者であっても、後遺症がありますでしょ。だから、 そういう人たちが療養所から出てきても、世間の人は受け入れてくれないんですね。それで、そういう人が宿泊できるような施設を作ったらどうか、という話があって、私のとこへ相談に来られたんです。で、それまで田んぼ作っとったところへ、今のあの「交流の家」というのを建てたわけやね。これも地元の反対があってね、苦労しましたけど。

編集部
で、現在はさらに、「特別養護老人ホーム」と「身体障害者療養施設」が作られていて(※「救護施設」が抜けているようです)、障害を持った方々とそのほかの紫陽花邑の住人の方々が、 自然を保存した環境の中で、大きな共同社会を形成しておられるわけですね。


生活そのものが教理

法主
こういう形は、私が計画したんでも何でもないんですが、自然にこういうふうになってしまったんですね。それで、この形そのものが大倭教の教理やぞ、ちゅうことを霊界人が言うんですよ。 「自分一人では生活しにくいけれども、みんなして助け合えば生活していける。それでみんなが幸せになっていく、それが大倭教の教理そのものや 」と霊界人から、私、言われてますねん。そやから、 大倭教には教理がないと言われますけど、この紫陽花邑の生活そのものが教理になってるわけやね。

編集部 本当に素晴らしいですね。紫陽花邑の姿は、人類の未来の宗教の姿と人間社会の姿を同時にさし示してくれていると思います。今日は、ほんとうに有難うございました。


編集部あとがき

…矢追法主は大きさのない風呂敷という感じ。何でも来るものをスボッ、スポッと包みこんでしまって、なおかつ平然。そして、とにかく明るい。 大きなドジョウのようにユーモラスで、つかみどころがなく、暖かな霊気を発散させている矢追法主には、東洋人が昔から理想としてきた一つの人開的完成の典型を見ることができるように思う。

あらためて反省させられることは、これまで、「悟り」は仏教だけのものであって、原始的な呪術に毛の生えた程度の神道なぞに「悟り」はない、 と決めこんでしまいがちであった伝統的な仏教のゴウマンなイシアタマに反して、神道にも厳然と 「悟り」があること、しかも、その「悟り」がそれとは分らぬほどさりげなく巧みに生活化されていること、である。「悟り」が一枚看板として強調され、そのために、「悟り」が一種思想的に固定して、日常の人間の生活と分離してしまう傾向のある仏教に対して、神道は「悟り」を「悟り」 と言挙せず、それを日常生活に生かしきってはじめて意義あるものと認識している。たとえば、世界最高の叡智と言われる日本の千枚田農業なども、神道的「悟り」の生活的表現にほかならないであろうし、その他、衣・食・住に関する古来の日本の生活の叡智はすべて、神道と切っても切り離せない関係を保っている。現代の日本企業の作る安価で優れた工業製品にしても、然りである。 また、もっと卑近な例で言えば、一度に山・海・ 陸の一通りの味が味わえ、好き嫌いの激しい人でも最低一品は何か好物が入っているという日本独特の『幕の内弁当”なるものは、神道的「悟り」 の表現でなくして、何であろうか。

仏教の「悟り」は、ここまで生活化してはいない。まだまだ理念的であり、思想的に構えたとこ
ろがある。

そういうことを、最も痛切に感じさせられたのは、やはり、矢追法主の紫陽花邑を訪れた時であった。「一切衆生は幸福であれ」と経典の中ではうたいながら、それを現実には実践できてはいない仏教に対して、紫陽花邑は、そんな理念は何もうたわないが、障害者や老人など一人では生きていけない人たちが、一般の人々と助け助けられ、 互いに何かを与え合って、しかもごく自然に生きている。この一事をとっても、仏教が人間の本当の幸福を誠実に願うかぎり、神道から学んでいかいな なければならないものはたくさんある、と思うのである。


コメント

いかがでしたでしょうか。
比較的読みやすい文章だなと思い、掲載してみました。
データ化が全て終われば、大倭の方から何らかのツールで、正式にネット掲載ができたらと思っています。



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