継続=動機ー実効摩擦×逃走係数で考えよう②
< 前回①の要約 >
前回は「継続できる人は意志が強い」という見方を、少し違う角度から捉えてみた。継続は才能ではなく、ある程度は「設計」できるのではないか。そこで、継続を「動機」「実効摩擦」「逃走係数」という3つの要素から考える思考モデルを提示。なぜ同じ努力でも、続く人と続かない人が生まれるのか。その違いを紐解きながら、継続を“意志の強さ”ではなく“構造”として考えてみた。本稿では、それをさらに深掘りしていこう。
継続を支える「二種類の動機」
さらに深く考えてみよう。先に示した継続の方程式、
継続 = 動機* − 実効摩擦** × 逃走係数***
*動機 = 引力 + 闘争型の斥力
**実効摩擦 = 初期摩擦 − 習慣化による摩擦低減
***逃走係数 = f(継続経験、逃走経験)
のうち、「動機」には大きく分けて二つの種類があると考えている。一つは引力であり、もう一つは斥力(せきりょく)である。
① 引力(近づきたいから続ける)
引力とは、「知りたい」「好き」「面白い」「もっと深く理解したい」といった、その行動そのものに向かっていくエネルギーである。
いわゆる内発的な動機であり、それを行ったり、関わることそれ自体が喜びや満たしになっている状態を指す。
例えば、
昆虫が好きで驚くほど知識が豊富な子ども
全国の鉄道や列車を追い続ける人
様々な市民マラソンに参加し、走り続ける人
などがそうだ。
彼らは、傍から見れば「よくそんなことを続けられるな」と思うことを、長い期間続けている。しかし、本人は「努力している」や「負荷をかけている」という自己感覚が薄いことが多い。
なぜなら、対象やそれに関わる行為そのものに「快」を感じているからである。やらされているのではない。知りたいからやる。面白いから続けるているのである。
これを先ほどの数式に当てはめれば、「実効摩擦」が極めて小さい状態と言える。本人にとっては、歯磨きや食事のように、特別な意思決定を必要としない。むしろやらないことのほうが、不自然な行為になっているのである。
②斥力(今の状態を変えたい、逃れたいから続ける)
しかし、誰もがこうした強い引力を持っているわけではない。むしろ少数派だろう。
そこで登場するのが、もう一つの動機である斥力だ。われわれ凡人が継続の問題を抱えときに主題となるのは引力ではなく、斥力になる。
斥力とは、現在の不快な状態から離れようとするエネルギーである。この斥力には大きく二つの方向がある。それが「闘争(Fight)」と「逃走(Flight)」である。
闘争(Fight)
闘争とは、不快な状態に立ち向かい、それを変えることで解決しようとする反応である。斥力の中でも継続につながるのはこちらだ。その源泉となるのは、
負けたくない
周りに認められたい
仕事ができないと思われたくない
このままでは終われない
といった、危機感や不足感、さらには承認欲求である。その点で、引力とは性質が異なる。
引力は、「好きだからやる」「面白いから続ける」という対象そのものに向かっていくエネルギーだった。
一方、闘争型の斥力は、「変わりたい」「証明したい」「現状を打破したい」というエネルギーを行動へ変換する。
例えば、「このまま太った自分では嫌だ」「学歴が低いと馬鹿にされたのを見返したい」といった感情が主な動機付けとなっているならば、それは闘争型の斥力である。
しかし、この場合、「太った自分を変えるための運動」や「見返すための学習」が必ずしも好きだから、楽しいからやっているわけではない。それらは目標を達成するために選択された手段に過ぎない。
だから、引力によって動く場合と比べて、どうしても「摩擦」が大きくなる。
運動には疲労がある。勉強には難しさや退屈がある。仕事にはプレッシャーがある。それでもなお、こうした摩擦と逃走への誘惑を上回るほどの強力な動機、すなわち闘争型の斥力があるときに、人は行動を続けることができる。
闘争型の斥力を利用するコンサル・投資銀行
ある意味で、この闘争型斥力の構造を極端に、そして巧みに利用しているのがコンサルティングファームや投資銀行などの世界だろう。
圧倒的な業務量、厳しい競争、成果へのプレッシャー。そこでは、仕事そのものが好きでなくても、「負けたくない」「成果を出したい」「生き残りたい」「認められたい」といった強い闘争型の斥力によって、高い摩擦を乗り越え続けることが求められる。
もちろん、そうした厳しい環境からは多くの離脱者も出る。しかし、生き残った一部の人は、圧倒的な量を経験し続け、その経験が能力を大きく伸ばしていく。
つまり、こうした環境では「闘争型の斥力 → 行動 → 継続 → 経験 → 能力」というループにより育てられた人材が競合優位の源泉の一つとなっているわけである。
逃走(Flight)
さて、もう一つ斥力の型がある。それが、逃走だ。
逃走とは、不快な状態に立ち向かうのではなく、そこから距離を取り、回避しようとする反応のことである。
逃走と聞くとマイナスの印象を持つかもしれないが、逃走そのものは悪いわけではない。「逃げるが勝ち」という言葉があるように、人生においては、戦うよりも逃げた方が合理的な場面もある。
過剰な負荷から身を守ることも必要だし、スポーツのトレーニングでも、適切な休息を取らなければ身体は回復せず、むしろ継続できなくなる。
問題は、本来なら立ち向かうべき不快な状態から逃げることにウエイトが置かれてしまう場合である。例えば、
「今日は疲れたから、ジムは明日にしよう」
「今日は忙しかったから、勉強はやめておこう」
「もう少し気分が乗ってから始めよう」
そうしているうちに、ジムに行くはずだった時間が、勉強するはずだった時間がソファーでスマホを眺める時間に変わっていく。
摩擦と逃走は違う
ここで、一つ重要な区別をしておきたい。
それが「摩擦」と「逃走」の違いである。
この二つは、感覚的にはよく似ている。しかし、継続を考えるうえでは、明確に分けて考えた方がよい。
摩擦とは、行動そのものに伴って発生する不快やコストである。例えば、
運動をすれば疲れる
勉強すれば頭を使う
仕事をすればプレッシャーがかかる
挑戦すれば、失敗や停滞も起こる
これらはすべて摩擦だ。
一方、逃走とは、その摩擦によって生じた不快から離れようとする反応である。
「疲れたから今日はやめよう」
「難しいから、また今度にしよう」
「気分が乗らないから、もう少し後にしよう」
こちらが逃走だ。
つまり、摩擦は「感じるもの」。逃走は「それに対して取る反応」である。
この違いは、継続を考えるうえで非常に重要になる。なぜなら、人間は摩擦を完全になくすことができないからである。
どれだけ環境を整えても、運動をすれば疲れる。勉強すれば頭が疲れる。
仕事をすればプレッシャーがかかる。何かに挑戦すれば、失敗することもある。
だから、継続に必要なのは「摩擦をゼロにすること」ではない。摩擦が存在することを前提に、それにどう反応するかを設計することなのだ。
摩擦は、闘争か逃走を生む
その意味で、たとえ同じ摩擦に直面しても、人間の反応は一つとならないことは、とても重要な現実だろう。例えば、「勉強が難しくて分からない」という状態を考えてみよう。
「分からない。だから、もっと勉強して分かるようになろう」。これは闘争だ。一方で、「分からない。だから、今日はもうやめよう」。こちらは逃走である。
同じ摩擦でも人によって闘争することもあれば、逃走することもある。また、同じ人でも、状況次第では闘争することもあれば、逃走することもある。
つまり、摩擦そのものが、闘争でも逃走でもない。どちらの反応も起こし得るのだ。
それでも、摩擦によってしばしば逃走が選択されてしまうのは、短期的には闘争よりも逃走が非常に合理的だからだ。
運動をやめれば、疲労はすぐに軽くなる。
勉強をやめれば、頭の疲れもなくなる。
仕事から離れれば、プレッシャーも一時的には消える。だからこそ、人は逃走を繰り返してしまう。
逃げる。
楽になる。
また逃げる。
このループが形成される。そして、その「楽になった」という経験が、次の逃走をさらに容易にする。
斥力によって動機付けする際の矛盾
さて、ここまでくると、斥力を動機付けすることのある矛盾がはっきりと見えてくる。
それは、不快な状態から抜け出すために闘争型の斥力を使おうとすると、その状態を変えるための行動そのものが、摩擦によって新たな不快を生み出すということだ。
例えば、「太った自分を変えたい」という不快感から逃れるために運動を始めようとする。しかし、運動には疲労が伴う。
「仕事ができない自分を変えたい」と勉強を始めようとする。しかし、勉強には退屈や認知的な負荷が伴う。
「今の自分を変えたい」と努力を始めようとする。しかし、努力には、時間、我慢、失敗、停滞といった新たな不快がついてくる。
つまり、もともとの不快な状態を脱するためには、いったん別の不快な状態を引き受けなければならないわけだ。
そして厄介なのは、その新たな不快、つまり摩擦から逃走すれば間違いなく楽になれることだ。これが、「三日坊主」という言葉の裏にあるメカニズムであり、また斥力によって行動を始め、継続することの難しさなのである。
斥力は、アクセルにもブレーキにもなる
つまるところ斥力は、「天使」と「悪魔」、二つの顔を持っている。
一方では、ありたい姿への行動を促す。しかし、その一方では「そこまで頑張らなくても」「それやめたら楽になりますよ」と、耳元でささやく。車で言えば、アクセルとブレーキを同時に踏ませようとしているようなものだ。
だからといって、「アクセルをもっと強く踏めばいい」と考えるのは早計である。むしろ問題は、アクセルとブレーキのバランスをどう設計するかにある。
例えば、「今の自分を変えたい」という思いが強ければ強いほど、人は一気に変わろうとする。
「3か月で結果を出したい」
「今年中に身につけたい」
「もっと早く成長したい」
そうして、行動量を増やす。毎日走る。毎日勉強する。仕事により多くの時間を投入する。
もちろん、それで短期的に大きな成果が出ることもある。しかし、アクセルを強く踏めば踏むほど、摩擦も大きくなる。。
結果として、多くの人が継続できずに脱落する。そして、「自分は意志(動機)が弱い」と反省を繰り返すのだ。
|「③ "早く変わりたい" がアクセルを強くする 」へ続く・・・|

