不機嫌な人が苦手なのはなぜ?
異動前の部署にいた時の話。
近くの席の先輩が不機嫌そうにしていた日がありました。
キーボードを打つ音が少し強くて、返事もぶっきらぼうで、短かった。
その人から直接私に向けられた言葉は何もないし、理由もわからないけど。
自分がペンを置く音も、椅子を引く音も、なんとなく静かにした方がいいような気がして、そっと息を潜める。いつも通り仕事はするけれど、部屋の空気を刺激しないように過ごす。
相手が不機嫌なら、こちらも静かにしなければいけない。相手が重い空気を出しているなら、こちらも明るくしてはいけない。
相手の機嫌を、その場のルールみたいに受け取っていました。
相手の機嫌を、自分の中に入れていた
昔の私は、不機嫌な人が近くにいる状況がとても苦手でした。
何かを直接言われたなら、まだ対応のしようがあります。でも、理由のわからない不機嫌を察知すると、体だけが先にこわばる。
これ以上刺激したくない。怒らせたくない。空気を悪くしたくない。
忍者みたいに空気に擬態することに徹していました。笑
今思うと、私は相手の感情を「その人の中で起きていること」として見られていませんでした。
相手が不機嫌になると、その感情がこちら側にまで広がってきて、自分もそれに合わせなければいけないような気がしていた。
相手の機嫌を、その人のものとして分けて考えられなかったのだと思います。
差し出されたものを、全部受け取らなくていい
仏教では、「誰かから差し出されたものを受け取らなければ、それは差し出した人のもとに残る」というたとえ話があります。
この話を初めて読んだ時、私は「いや、そんな簡単にできたら苦労しないよ」と思いました。
頭では「相手の機嫌は相手のもの」とわかっていても、体は勝手に緊張します。
少し視点を相手側に変えて想像してみました。
不機嫌な先輩に映る世界は、ちょっと荒くなってるかもしれない。
たぶん、普段とは違って、すこしでも気に触ると過敏に反応してしまう。何でもない物音や言葉まで、引っかかってしまう。
こんな状態じゃ、なにもかも気に入らなくなりそう。笑
たぶん、そういう状態の相手の中に作られた「私への評価」は、当てになりません。
不機嫌な人の目に映った私は、その人の機嫌越しの私です。
私そのものではありません。
自分の言葉や態度を振り返ることはあります。
自分が原因なら謝ることもあるし、次から気をつけようと思うこともあります。
だけど、相手の不機嫌の中で下された評価は、自分の値札みたいに首から下げなくていいんです。
自分の暮らしまで差し出さない
これは、相手の機嫌。それをどうするかは相手の問題。
私は私で、今ここにいていい。
相手の機嫌を無視するというより、自分の中にまで入れすぎない。
見えている。感じている。それを受け取るかどうかは、私が選んでいい。
自分にも選択の余地があることを思い出すだけで、気持ちが緩むような気がします。
人と関わっていると、相手の感情に触れることはあります。時には、重たい空気の中にいる日もあります。
それでも、自分の中に残しておきたい場所があります。
家に帰ったら、好きなカップでお茶を飲む。猫が床で伸びていたら、しばらく眺める。読みかけの本を少しだけ開く。
自分の時間まで、誰かの不機嫌に渡さなくていい。
誰かが不機嫌な日があっても、私は私の時間に戻っていけばいいのだと思います。
▼肩の力を抜いて生きるために考えたこと
