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なぜ私はHSPを名乗るのをやめたのか

昔の私は、自分のことをHSPだと思っていました。

誰かの言葉を何日も引きずっていたし、場の空気が少し悪くなるだけで身体がこわばる。返信が遅いだけで、何か間違えたかもしれないと考えてしまう。

そんな自分を説明してくれる言葉として、HSPはとてもありがたい存在でした。

「私がおかしいわけじゃなかったんだ」と思えたのを覚えています。

HSPという言葉に救われた


当時の私は、人間関係でよく疲れていました。

相手の機嫌を気にして、空気を読みすぎたり、頼まれていないことまで背負っていた。

なぜそうしてしまうのかをうまく説明できなくて、ただ生きづらいくて、ただ疲れる感覚だけがありました。

HSPという言葉を知った時、自分の中で点と点が繋がった感覚がありました。

敏感だからだったのか。
気にしすぎる性格だからではなく、そういう傾向だったのか、と知ることで自分を責める時間は減りました。

だから私は、HSPという考え方そのものを否定する気はありませんし、当時の私には必要な言葉だったと思います。

でも、ラベルだけでは人生は広がらなかった


ただ、しばらくすると別の違和感も出てきました。

何か嫌なことが起きるたびに、「私はHSPだから」で説明するようになっていたんです。

人の機嫌が気になるのも、疲れやすいのも、傷つきやすいのも。全部。

多分、その説明が間違っているわけではないけれど、それだけだと人生が前に進まない。
なぜなら、原因は説明できても、毎日の過ごし方は変わらないからです。

私は少しずつ興味が変わっていきました。

「私はHSPなのか」ではなく、「私は今、何を怖がっているのか」を見たいと思うようになったんです。

今は、自分の状態を見るようにしている


例えば、返信が遅いだけで不安になる時。

昔なら、「私はHSPだから気になるんだ」で終わっていました。
でも今は少し違います。

私は今、何を想像しているんだろう。
何を失うのが怖くて、本当は何を心配しているんだろう。

そんなふうに、自分の内側を見るようになりました。

すると、不思議なことに、少しずつ楽になっていきました。

HSPという言葉が不要になったわけではないけど、それ以上に、自分自身を観察できるようになったんです。

ラベルより、生活を大事にしたい


昔の私は、「気にしない人」になりたいと思っていました。
でも実際になりたかったのは、気にしない人ではありませんでした。

不安になっても戻ってこられる人。落ち込んでも立て直せる人。感情を否定せずに付き合える人。
そういう人になりたかったんだと思います。

HSPかどうか。繊細かどうか。

そういうラベルよりも、今日はよく眠れたか。ちゃんと休めたか。好きなものを楽しめているか。

そういうことを大切にしています。


ラベルは、自分を知る入口にはなる。
でも、人生そのものにはなりません。

私はHSPという言葉に救われました。
そして今は、その言葉の外側で暮らしています。


▼肩の力を抜いて生きるために考えたこと


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