怒られると「私が全部悪い」と思う人へ
「それ、社会では当たり前ですよ」
「感謝はちゃんと言葉にしないと伝わりませんよ」
言っていること自体は、正しい。
そんなのは頭ではわかってるし、反論したいわけじゃない。
でも、素直に飲み込めない。
自分の、この感情が、うまく言葉にならない。
「自分が悪かった」で終わらせようとするほど、逆に、心の奥で何かもやもやする。
でも、本当に成熟している人って、「正しいか間違っているか」だけで、人間関係を見ていない気がします。
相手が何を守ろうとしているのか。自分は何を傷つけられたと感じたのか。
その両方を見ながら、自分まで全部否定しない。
そういう人を見ると、「ちゃんと自分を持ちながら、人とも関われる人っているんだな」と思うんですよね。
こういう時の「正しさ」とは、いったいなんなのでしょうか。
1. 「正しい」への違和感
「感謝しないと人は離れていきますよ」
これは、私が実際に相手の方から言われた言葉でした。
簡単に状況を説明すると、
・相手からちょっとしたプレゼントをいただく
・その場でお礼を伝える
・3日後、相手からメールが来る
親しき中にも礼儀があります。
感謝はすぐ言葉にして伝えることが大切ですよ。
心で思っていても、伝えなければ全く意味がありません。
そうしないと相手は残念な気持ちになり、離れていきますよ。
というような状況でした。 ※強い表現は一部割愛しています
私はあわてて、自分の粗相について謝罪のメールを送りました。
感謝が他者との関係を円滑にするというのは常識です。
そして、話せば長くなる関係性やいろいろな条件が重なって、いま、自分は当たり前のことを言われる状況になっている。
言いたいことはわかる。わかるが、人間にはいろんな感情がある。
簡単に飲み込めない。
私はその場でお礼を伝えています。
相手の方に対して感謝していなかったわけでは全くないし、相手の気持ちを軽く見ていたつもりもない。
何かがすれ違っている。
私も「伝わらなければ言っていないのと同じ」と常日頃から思っています。
私が直接感謝を伝えたとしても、その思いが伝わらなかったのは、こちらの落ち度だと思います。
もちろん大前提として、「良薬口に苦し」です。
「ご指摘いただけることが貴重なことで、とてもありがたいこと」
「自分が未熟だっただけ」
と思いました。
しかし、素直にまるごと飲み込めない違和感がなかなか消えません。
そして、このメールをいただいてから、ただ、<感謝そのもの>が、自分の中から遠ざかっていく感じがしました。
この苦しさは一体なんだろう?
もしかして、この苦しさは、
正しさを言われることからくるものではなく、
「正しさを使って、こちらの態度まで決められている感じ」がモヤモヤの原因だったのではないか?と思い始めました。
2. 「正しさ」は普遍的なものか?
本来、感謝とは、自由で自発的な性質を持っていると思います。
しかし、「礼儀」に関しては、年齢や文化、仕事経験によってかなり認識が異なります。
その場で言えば十分だと思う人もいれば、
帰宅後にLINEやメールでお礼をする。
さらに次に会った時にもお礼をする。
というのが最低限の礼儀だと主張する人もいる。
LINEではなくてメールで、
メールではなく電話で、
電話ではなく直接ご挨拶に、
お土産を持参するか、しないか、
持参するとしたらどんなものが適切か、価格帯は……
など。
つまり、感謝は大事というのは共通認識だけれど、感謝の「正しい形式」は人、年代、地域、文化、慣習によって全く違う。
なのに、自分の形式だけを「正しさ」として出されると、急に苦しくなる。
それは、自分の気持ちや感じ方、意図を丸ごと消される感じがするからなのかもしれません。
その人と接する時はそのルールを守ればいい話、といえばそこまでですが、本質はそこではないと思っています。
3. 正しさは、人を動かす道具になることがある
正しさは時々、人をコントロールする道具になります。
感謝しなさい。
礼儀を守りなさい。
人としてこうあるべき。
どれも、言葉だけ見れば正しい。
でも、その正しさの奥に、「自分が大切にしている価値観を、同じように大切にしてほしい」という気持ちが混ざっていることがあります。
決して相手が悪人だったという話ではありませんが、人は自分の正しさを使って、相手を変えようとしてしまうことがある。
そして受け取る側は、その「正しさ」に反論しにくい。
なぜなら、正しいから。
「正しさ」を主張することで自分の安心を守りたい。
正しいかどうか、そのものより、自分は間違ってないと思いたい。
誰かと揉めた後、「それ相手がおかしいよ」と言われると、少し安心する。逆に、「でも、そこはあなたも悪かったんじゃない?」と言われると、ちょっと苦しい。
たぶん、「絶対的な正しさ」が欲しいというより、「自分は間違ってない」と思える安心感が欲しいのかもしれません。
4. 相手は何を守ろうとしているのか
成熟した人は、正しさを受け取る時に、自分の言動を全否定しません。
相手が何を守ろうとしているのかを見ながら、自分の意図も消さないんです。
相手は本当に、私に礼儀を教えたかったのか。
それとも、自分の善意が軽く扱われたように感じて、傷ついていたのか。
自分の大切にしている価値観を、私にも同じように大切にしてほしかったのか。
つまり、「相手は、何を目的にこれを言っているのか」を考えると、少し見え方が変わります。
「正しいことを言われたから、全部受け入れなきゃ」
ではなく、「この人は今、自分の大切にしているものを守ろうとしているのかもしれない」と見る。
すると、相手の正しさを自分の中に丸ごと入れなくて済む。
感謝はする。でも、服従はしない。
この線引きがかなり大事なのだと思いました。
5. 自分の軸に戻る
私は当時、かなり丁寧な謝罪のメールを送りました。
でも今思うと謝りすぎていたかもしれません。
私のケースはあくまで一例ですが、それまでの相手との関係性を考えると、仕事上での関係ではないのに、パワーバランスが崩れていたかなと思うからです。
相手を怒らせないように、関係を壊さないように、繋ぎ止められるように。
「正しい」ことができなかった自分が全面的に悪かったことにして、場を丸く収めようとしていた。
私はあの時、「その場で感謝はお伝えしたと持っていましたが、そう感じさせてしまったのは事実なので、申し訳ありません」くらいは言ってもよかった。
相手の感じ方は受け止める。でも、自分の意図も消さない。
感謝することと、自分を下に置くこと・服従することは違うのではないかと思います。
最後に
感謝も、礼儀も、思いやりも、人間関係を円滑にするための配慮です。
軽視されるべきではない、大切なものだと思います。
でも、正しさが「相手を自分のルールに従わせる道具」になった時、人間関係はとたんに苦しくなります。
だから、正論に苦しくなった時は、まず「これは正しいか」「間違っているか」だけで考えなくて大丈夫です。
すぐに「私が全部悪かった」で終わらせず、「私は何を苦しいと感じたんだろう」「この人は何を守ろうとしているのか」を一回観察してみる。
それだけで、反応ではなく観察へ戻りやすくなります。
そして同時に、「私はどういう生き方が心地いいんだろう」とも考える。
感謝はする。でも、飲み込まれない。
相手の正しさを尊重しながら、自分の感覚も手放さない。
それができるようになると、人は人、自分は自分という線引きが、少しずつしやすくなるのかもしれません。
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