見出し画像

否定されるとひとり反省会が止まらなくなる理由

職場で指摘された一言。
友達に言われた何気ない反応。
「それ違くない?」みたいな言葉。
その瞬間は涼しい顔をしていても、帰宅後にひとり脳内反省会が開幕する・・・・

なん考犬

誰かに否定された後、そのことが頭から離れなくて、数日間引きずってしまうこと、ありませんか?
私は今ではマシになりましたが、昔はそれはもうだいぶありました。笑

・お風呂でも脳内反省会
・寝る前に会話リプレイ
・既読ついてるのに返信こない不安
・「嫌われたかも」が止まらない
・次の日までずっとしんどい
・「あの時こう言えばよかった」

それは単なる「気にし過ぎ」や「完璧主義」の問題だけではないのかもしれないと思ったので、今日はひとり反省会現象について整理したいと思います。




1. 成果物への指摘が、自分の否定に変わる時

ゼミの発表で言いたいことがうまく伝えられなかったり、教授に突っ込まれたりした時に、始まってしまうひとり反省会。
大学生の頃、私はよくありました。

「あそこ、こう言えばよかった」
「なんであの時あの論文思い出せなかったんだろう」
「なんか変な空気になってた気がする」
みたいなことを、何回も考えてしまう。引きずってしまう。

冷静に考えると、そこで実際に指摘されていたのは、「発表内容」や「説明の技術」だけだったんですよね。
だから、本来なら、「ここを改善できる」で終わる話のはず。

でも当時の私は、そう受け取れませんでした。
発表でうまくいかないと、「説明が未熟だった」ではなく、「私はダメなんだ」まで一気に飛躍してしまう。
そして、「改善しよう」より先に、「自分を守らなきゃ」の方へ傾いてしまう。

だから必要以上に落ち込むし、反論したくなるし、ひとり反省会も止まらなくなる。

時間をかけたもの、努力して得たもの、ここぞという大事な局面。
「自分の価値」を強く乗せているものほど、否定された時に、自分の存在まで揺らぎやすいのかもしれません。

でも、なぜ、指摘されるだけで「私はダメ」と変換されてしまうんだろう。
なぜそのように脳が変換してしまうのか。問題はそこです。


2. 否定されると苦しいのは正常

まず、人間、だれしも否定されて苦しいのはごく普通の感情です。
なぜなら、人間は集団で生きる生き物だから。

現代では、学校や会社で怒られたからといって、村八分になるわけではありません。
でも、現代でも脳はそういう「集団から外れる危険」に敏感です。

「否定された」=「危険」というのは正常反応です。
わたしやあなたが弱いから起きているわけではありません。

問題は、そのあとです。

本当は、「説明がわかりづらかった」だけの話なのに、
脳内では、
「評価が下がったかもしれない」
「自分はダメなんじゃないか」
と、どんどん話が大きくなっていく。

すると脳は、その出来事を「まだ解決していない問題」として扱い続けます。

だから、お風呂でも寝る前でも、何度も会話を再生して、
「あの時こう言えばよかった」を探し続けてしまう。

ひとり反省会が止まらなくなるのは、こういう時なんですよね。
当時、私は、「これって、本当にメンタルの弱さだけの問題なんだろうか?」と思うようになりました。


3. 「自分が弱い」のではなく、「脳の変換構造」の問題

頭では「そこまで気にしなくていい」と分かっているのに、
自然に、自動的にその出来事が浮かんできてしまう。
脳は全然「気にしなくていい」と思ってくれない。

なぜだろう。
指摘されても気にならない指摘と、気にしてしまう指摘、なにが違うのだろう。

と考えて気づいたのが、私はずっと、「うまくできる自分」で、自分を支えていたのではないか?ということでした。
つまり、「間違える」ことが、単なるミスではなく、「自分の価値が崩れること」と強く結びついていた…かもしれない。

だから、ただ指摘されただけなのに、必要以上に苦しくなる。
これは、「自分がダメな人間だから」というより、脳の変換のクセに近いのかもしれません。

ここを理解した後、少しずつ、「あ、今また脳が飛躍してるな」と客観視しやすくなっていきました。

この「気づける」という感覚は、
かなり大きかったです。
『あ、また脳が飛躍してる』と気づけるだけで、以前ほど“人生終了感”に飲み込まれにくくなりました。

ここは自己肯定感という考え方とも関連しているので、いつかまた別の記事で取り上げます。


4. 否定と距離を取るために必要なこと

脳の飛躍に気づくためにはどうすればいいのか。
自分が実際にやってみて効果があったことを3つお伝えしようと思います。

①どこから事実でどこからが憶測なのか

個人的に大事だと思うのは、「実際に何を否定されたのか」を分解することです。

上司に「この資料見づらいね」と言われた時、
「私は仕事ができない」「価値がない」「嫌われた」
この「自動的に浮かんでくる色々なもの」を見てみる。

ここで実際に否定されたのは、「資料の見やすさ」であって存在そのものではありません。

どこからどこまでが事実で、どこからどこまでが自分の憶測なのか。
つまり、現実で起きていないことなのか。

脳内で勝手に拡大解釈された部分>と<客観的な事実>を、切り分けるということです。


②「私はダメ」まで飛ばなくていいと、少しずつ覚える

頭では「そんなことで存在価値は消えない」と分かっていても、脳はなかなかそう扱ってくれません。

そこで、「間違えても存在価値は消えない」ということを身体側へ覚えさせていくことで、何回も反芻してしまう現象は少しずつ和らいでいきます。

例えば、
・いま私は〇〇と考えている
・いま私は〇〇が危険なものだと思っている
と、今の感情を主語を明確にして、言語化してみる。

そして、それらをよい・悪いでジャッジしないということも大事です。
「それで取り合えずOK」とする。
実際にやってみると、不思議と落ち着いてきます。

こういった「いま自分は〇〇と自分は思っている」「それでとりあえずOK」という感覚を積み上げていく。
「失敗しても排除されない」を再学習させていくイメージです。


③失敗を「ひとつのデータ」として捉える

時々こんなことを振り返ってみてもいいかもしれません。

・思い返してみれば、今までの人生何回も間違えてきたし失敗もしてきた
・でも結局なんとかなってる
・間違えても死んでないな
・間違えたという「データ」「情報」が増えた✌️
・この出来事がなかったら自分の技術が上達しなかったかもしれない…

「間違える」=「終わり」ではなく、一つのデータなのだと規模を小さくして捉えるのも一つのポイントです。

私はケチなので、転んだらタダでは起き上がりたくありません。笑
このままで終わるのは悔しすぎる。どうせなら分析し尽くして全てを私を向上させる糧にしてやりたい、とすら思っています。


最後に

否定されると苦しい。大丈夫です。たぶん普通です。

脳内ひとり反省会が始まった時、「あ、また脳が飛躍してるな」と気づけるだけでも、以前よりかなりラクになります。
少なくとも、以前より、「人生終了」みたいには感じにくくなるかもしれません。

そして、間違いや否定を、「修正可能な情報」として扱えるようになると、もっと自由に挑戦できるようになります。

発見に満ちている世界は、きっと、もっと楽しいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
これからも、「なぜ私はここまで反応してしまうんだろう」
その認知構造について考えていきたいと思います。


▼お風呂で考えごとしがちな人へ


いいなと思ったら応援しよう!