見出し画像

迷える肩と、電車の陣取りパズル

電車で座席に座れたとき、人はほっとする。
それは間違っていない。

ただし、肩幅が広い人間に限っては、その限りではない。

──ここから、数センチ単位の攻防の話になる。

1.逆三角形の少女

肩幅の広さ。それは小学生の頃に片鱗を見せ始め、5年生になる頃には「まあ、立派な逆三角形になって!」と近所のおばあちゃんに(たしかに小学生にしては)逞しい背中をバシバシ叩かれた。当時、思いを寄せていた男子が自分よりも成長が遅く、自分より華奢であったことを気にしていた5年生女子はこっそり傷ついた。

その後、パフスリーブを着ればパフの中身が肩で埋まるなどという実績を積み上げ、現在に至る。本当は華奢な肩で、オフショルダーでもなんでも着こなしたかった。オフショルダーのゴムがはち切れそうになるって、人間の設計を舐めてるのかと思う。いや、人間の設計からはみ出したのは私であった。

幸い今の世の中はオーバーサイズだのリラックスシルエットだのが流行っているおかげで、ことさら自分の体型に不便さを感じることは少ない。少ないだけで、あるんだけど。今回は肩の話なので、そこは割愛する。

2.姿勢A・B・Cとは

さて、車内での話に移る。肩幅が人並み以上に広い女性が電車の座席に座るとどうなるか。並んで横に座った男性客と、スペースがかち合うのだ。私が後から座る立場ならいいが、座っている私の横に男性客が座ると8割は肩同士が軽くぶつかりそうになる。
私だって男性客だって、むやみに接触事故は起こしたくない。だが、私の女性という見た目と、実際の肩幅が釣り合わなかった結果、それは起こる。

(あっ、すみません)
(こちらこそ、失礼しました)

そんな無言の会釈を経て、さてお互い肩をどこに置こうかという読み合いが発生する。ある種の陣取りパズルだ。一番の特等席は、背もたれに体重を預けてリラックスできる姿勢A。そこから弾き出された結果、姿勢は良くなるが多少腹筋を使う姿勢B。疲れているならもちろんAを勝ち取りたい。しかし、現代人はいつでも疲れている。さらに、両側を抱える荷物の多い客で挟まれた場合、まっすぐ座るどころか猫背になって前面へ自身を回避させなければならない修羅の姿勢・Cが存在する。これだけはなんとしても避けたい。普通に疲れる。

さて、ABCどの姿勢になるか。先に座っていたのならそのまま、後から座った方が合わせればいいと思うかもしれない。甘い。先程の無言の会釈によって、場は一時リセットされているのだ。(あっ)のタイミングで一瞬だけ身を引く。周囲に迷惑がかからない程度に、数センチ。満員電車を駆使する都会のビジネスマンは、そんな体の動きが忍者のように染み付いている。たまに電車が止まるのは、線路内に落ちた手裏剣が原因だと公表されることはない。

リセットされたとはいえ、やはり先に座っていた方を優先する空気が強い。自分は後から来た新参者でやんすから、へえ、親分は元通り座って頂いて…あっしは構わねえんですよ、合わせます合わせます。私の脳内にはそんな三下が住んでいることが多いが、他人の場合はどうなのだろうか。プリンセスを脳内に住まわせている人と出会ってしまえば世界観の不一致で闘争が起こるかもしれないが、表には出ない思想だ。自由にやらせてほしい。

3.挟撃、そして敗北

そんなお約束の流れを経たなら話は早いが、人間は千差万別、十人十色、多種多様な生き物だ。後から来たけど俺は背もたれに寄り掛かる派だぜ。私は真っ直ぐ座りたい派なのでね。あっしは……

おっと、両隣のお客さんが降りていった。乗り換えの多いターミナル駅だ。

しばしの休息が訪れ、ほっとしている私の右隣に新しく女性が座ってきた。大変華奢な肩……いや、方である。背もたれに身を預ける姿勢は美意識が許さないのか、真っ直ぐな姿勢を保つ。腹筋マスターのような姿勢Bだ。これが猫背になってスマホをいじる姿勢Cであれば私も真っ直ぐに座るが、背骨は座席のど真ん中がいいとその美しい姿勢が主張している。はい。私は座席に寄りかかることにした。

左隣は、これまた新しく座ってきた男性だ。ターミナル駅は乗り降りする客ともに多い。雪崩のように席が埋まり、男性客も半ば慌ててどっかと座る。アウトドアがぴったりの服装で、山帰りですかな?それに疲れていらっしゃる。座席に座れたという安心感で眠ってしまいそうじゃあないですか。背もたれに寄りかかって、文字通り身を預けて。膝には──大きな登山用リュック。

『両側を抱える荷物の多い客で挟まれた場合、まっすぐ座るどころか猫背になって前面へ自身を回避させなければならない修羅の姿勢・Cが存在する』

──これには物理的な理由がある。荷物の前面まで行かなければ、私の広い肩が収まらないからだ。まあ、猫背を通り越して膝に手をつく形でもいい。両肩が左右のお客さんの迷惑にならなければそれでいいのだ。

そして、今である。右隣の肩は「あなたは背もたれに寄りかかりなさい」と言い、左隣の肩は主ともども「ごめん、全部無理、前行って」と訴えかけてくる。どうする。どうするも何も、既に左隣の登山客の圧が、じわじわと私の左半身を前方へ押し出している。両隣の主張を叶えるには、集合写真の場で「はい、皆さん刺身のように斜めになって、重なってくださいねー」と言われた時のように、不自然な斜め体勢を取るしかない。すでに背もたれについている右肩はそのままに、左肩をさらに前に……思い切り女性と目が合うじゃないか。却下。私は迷惑をかけずに、不審者にもならずに周囲に合わせたいのだ。

じゃあ、頑張って両肩とも背もたれに……だめだ。左隣の男性は泥のように眠りこけてしまった。これを起こしてまで自分の体勢を貫こうという気は私にはない。既に身体は前傾姿勢を取ろうとして、右肩だけ留まっている状態である。ここはCだ。修羅ではあるが、安寧を保っていた右肩も前方に起こすしかない。すでにここまでの間数秒、モゾモゾと体を蠢かせて十分不審な動きをしている。これ以上時間をかけることは三下には許されない。申し訳ないが、右隣の女性と少し接触してしまうリスクは負いつつ、体を前方に倒させてもらおう。なにせ左隣はもう動かない岩なのだ。

(……さっきからなんなんですか、動き回って)
(すみませんすみません、失礼しました)

そんな無言の視線を受け、無言の会釈を連発し、陣取りパズルに失敗した私は流れるように立ち上がって隣の車両へ移動した。

あの人みたいに、あっしも細い肩だったらねえ。

そういう世界線は、たぶん満員電車にはない。






前回(ノーブラ妖怪の話)はこちら

泊エオ(TomariEo)です。日常のささいなバグを、イラストと2,000〜4,000字程度の読み物として言葉にしています。
次回はたぶん5月24日、日曜の夜あたりに更新します。
不定期な更新になるかもしれないので、よろしければ通知代わりにフォローをお使いください。