現代のプロメテウスとしてのAI(2)
巷ではときどき印象的な出来事が折り重なって起こることがありますが、そういう時って「これって偶然?あるいは必然なの?判別するのが難しいなぁ…」と思ってしまうじぃじです。
例えば、前回紹介した電子顕微鏡によりニューロン説が確定したのは1955年なんですが、その翌年の1956年に開かれた(かの有名な)ダートマス会議では、AI(人工知能: Artificial Intelligence)という用語が初御目見しました。あるいは「何かしらの必然があるのでは?」との向きもいらっしゃるかもしれませんが、これはじぃじが「明らかに偶然だ」と断言します。そもそも「AI」という用語はこの会議を主催した若手研究者が参加者の関心を惹くために「耳慣れないオシャレなキャッチワード」としてひねり出したものでして、残念ながら会議は目論見どおりの結果には至らなかったのだけど、(何故か)「AI」という言葉はそのままバズワードとして定着してしまった経緯があります。
実は、現在私たちが生成AIと呼んでいる技術の起源はもっと古くて、元臨床外科医のウォーレン・マカロックが(なんと太平洋戦争中の)1943年に発表した論文から始まります。これ、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』が出版されて120年あまり経過した頃で、そう言う意味ではクリーチャーと生成AIを結ぶ接点となる論文が出されたのは、時期的にもちょうど真ん中あたりだったりします。が、こちらの方を偶然と言い切るのには、ちょっと躊躇してしまいます。今回はマカロックが切り開いた、新しい(でも、今では日常的になっている)世界を紹介します。
キャリアが迷走する心優しき男の話
履歴書を一瞥するように、ウォーレン・マカロックの人生をザッと眺めてみるとキャリアが迷走する特異な人物の姿を想像してしまいます。現代の大学人でもキャリアが迷走する人は少なくないのですが、ここまで職業が変わる人は少なかったのではないでしょうか?
神学から情報理論への八双飛び
牧師志望の学生が、哲学、心理学、外科医から精神分析医を経由してAI研究者に落ち着くという彼の学際的な八双飛びには驚かされます😅
彼のキャリアを年表として列挙すると…
1906年(0歳)
・ニュージャージー州オレンジ生まれ
・兄は化学技師
・ウォーレン自身は当初、キリスト教聖職者の道に進むことを考えていた
・10代の頃には、神学者ヘンリー・スローン・コフィン、ハリー・エマーソン・フォスディック、ハーマン・カール・ヴィルヘルム・クム、ジュリアン・F・ヘッカーらと交流があった
・クエーカー教徒のルーファス・ジョーンズからも指導を受けた
1917〜1921年(18~22歳)
・イェール大学に在籍(Naval Training Unit に参加の後、BA取得)
・哲学・心理学専攻。神学や論理学を学ぶ
1921~1923年(22~24歳)
・コロンビア大学で心理学のM.A.取得(心理美学がテーマ)
・その後、医学博士課程(College of Physicians and Surgeons)へ進学
1927年(29歳)
・医学博士(M.D.)を取得
・外科・内科・精神科などを幅広く修得
1927〜1928年(29~30歳)
・ベルビュー病院でのインターン・レジデント(外科含む)
1928〜1934年(30〜36歳)
・コロンビア大学およびニューヨークの病院で精神医学・神経外科などの研究・臨床
1934〜1941年(36~43歳)
・**イェール大学 医学部 神経生理学研究室**に在籍
- Honorary Research Fellow 1934–35
- Sterling Fellow 1935–36
- Instructor 1936–40
- Assistant Professor(Research Assistant)1940–41
・脳の機能構造に関する電気生理学的研究を実施
1941〜1952年(43~54歳)
・**イリノイ大学シカゴ校 医学部/神経精神医学研究所(Illinois Neuropsychiatric Institute)**
- 1941 〜 45: Associate Professor of Psychiatry
- 1945 〜 47: Professor of Psychiatry
- 1947 〜 52: Professor of Psychiatry & Clinical Professor of Physiology
・1943年、ピッツと論文を発表し、神経回路モデルを確立
1952年以降(54歳〜)
・**MIT 電子研究所(Research Laboratory of Electronics)**に移籍
・以後、サイバネティクスやニューラルネット研究をリード
もっとも、これは彼が幼い頃から抱いてきた問いである「心の実体はどこにあるのか?」という一貫した疑問を追い求めた結果で、それが彼のライフワークとなりました。
先のシリーズ記事『200年間読み継がれて来た小説の書き方』で紹介したとおりメアリー・シェリーが「人の手で生み出された怪物にはどんな心が宿るの?」との問いから物語を紡いだのに対し、その100年後マカロックは少し進んで「人の手で生み出された創造物にも心が宿るだろう」と信じ、それを数学を使って客観的かつ具体的に説明しようとした…と言えるのかも知れません。
束の間の「サイバネティクス」のブーム
このように常人離れした迷走を繰り返したマカロックですが、キャリアの最後がMITの研究所というところには少し補足する必要があるでしょう。
マカロックをMITに招いたのは同大学の数学科教授のノーバート・ウィーナーだと言われています。ウィーナーは第2次世界大戦中の戦時研究の時からマカロックの研究に注目していて、戦後、マカロックはウィーナーが自らの研究をサイバネティクスに発展させる取り組みに協力して来ました。生物・機械・社会など多岐に渡る分野で「あらゆるシステムに共通する情報の伝達と制御を考える」サイバネティクスは、大戦終了後の1940年代後半には、画期的な学際的研究として注目を集めました。

ですが、冷戦の(アメリカにとっては不意打ちのような)急激な激化が始まりました。契機は1949年、ソ連(現ロシア)の原爆実験の成功で、アメリカは急ぎ防空体制を強化する必要に迫られたのです。元々戦時研究を発端に生まれたサイバネティクスですから、この機に乗じて大きく発展する可能性もあったのですが、よりによってサイバネティクスの提唱者のウィーナーが反戦思想に傾いて行ったのでした。
その兆候はブームの最中からありました。ウィーナーが1947年に寄稿したエッセイ『A Scientist Rebels(ある科学者の反逆)』には次のようなくだりがありました。
“The policy of the government to encourage science for the sake of science is not enough.”
「政府が『科学のための科学』を奨励するだけでは不十分だ。」
・・・
“If the scientists have a moral responsibility — and I believe that they do — it is their duty to see to it that the fruits of their discoveries are used for the benefit of mankind, and not for its destruction.”
「もし科学者が道徳的責任を負うとすれば(私はそう信じる)、それは彼らの発見の成果が人類の利益のために使われるようにし、破壊のために使われないように努める義務である。」
日本では昨年公開された映画『オッペンハイマー』をご覧になった方々ならご存知だと思いますが、太平洋戦争の終結後、アメリカでは軍に協力した科学者の間から科学者自身の道義的・倫理的責任を問う声が上がるようになり、さらに被爆した広島・長崎の惨状が明らかになるしたがって、この声が大きくなって行きました。ウィーナー自身も戦時研究では高射砲の自動照準技術の研究開発を手がけましたが、この成果は軍用艦船に搭載され、日本の特攻の迎撃に役立ったという話があります。このような背景を知ると先のウィーナーが宣言した気持ちもよく理解できるわけですが、それは同時に先端技術の研究開発の大スポンサーでもあった軍の支援を失うことを意味していました。サイバネティクスのブームは一気に沈静化してしまいます。
防空体制の強化を急ぐ軍の研究開発拠点としてMITリンカーン研究所が設立された1951年には、サイバネティクスはすっかり傍流の研究プロジェクトとなってました。マカロックがMITに移籍した1952年は、このようにサイバネティクスが下り坂の時期でした。マカロックの移籍はMITのサイバネティクスの研究プロジェクトの地盤沈下を防ぐための施策のようにじぃじは見てますが、マカロック自身にとっては正に火中の栗を拾うようなものだったんでしょうね。
結局、マカロックの研究はコネクショニズム、つまり知能を脳のニューロンネットワークを模倣するAI研究のアプローチとして生き残りました。ですが、その直後に、知能を人間の論理的思考や推論能力と捉え、高度で抽象的な思考プロセスの模倣を目指すシンボリックAI(記号処理)のアプローチも登場します。つまりAI研究は異なる2つのアプローチが並行して進むことになりました。コンピュータの処理能力や蓄積できる情報容量が低かった当時は「むしろシンボリックAIの方が有望だと考えられていた」と現在でも説明されていますが、正直1950年代の「冷戦の激化」という社会的背景の影響があったことは否めないとじぃじは考えています。
確かに米軍が1950〜60年代に情報技術に行った膨大な投資が、結果的にその後の情報産業への大きなカンフル剤になりました。今では当たり前のパソコンや高品位なグラフィックス、そしてインターネットなどなど…米軍の投資が現在のコンピューティング環境を作り上げたと言っても過言ではないと思います。ですが、米軍が投資を始めた当初より主要な投資ターゲットだったシンボリックAIは、投資に見合う成果を期待されている期間内に挙げられませんでした。
結果的に米軍の巨額の投資が受けられなかったため、シビアなデッドラインを課されることも無かったコネクショニズムAIは、知識の源泉となるビッグデータが収集・蓄積できるクラウド・コンピューティングが実用化されるまでゆっくり待つ事ができました。やはり時間をお金で買える訳ではないようです。ノーパート・ウィーナーに中長期的な視野があったとは思いませんが、彼のエキセントリックな行動こそ今日の生成AIの成功へと結実したとも言えなくもないです😛
マカロック自身は何を目指していたのか?
ウォーレン・マカロック自身の話に戻ります。彼の生涯最大の業績とされる研究は1943年に発表された論文「神経活動に内在するアイデアの論理計算(A Logical Calculus of Ideas Immanent in Nervous Activity)」で、この論文で説明された神経細胞を模した数理モデルである形式ニューロンが、現在の生成AIの学習機能を司るディープラーニングの基礎になっています。
この論文が発表されたのは生物の脳は無数の神経細胞が集まった塊だと考えられていた時代ですので「もし脳の一番小さな構成要素である神経細胞さえ、数学として表現できれば、神経細胞が無数に集まった脳の働きも数学で表すことができる」つまり「心のメカニズムも数学で論理的に表現できる」とマカロックは考えていたようです。
じぃじのフォロワーさんのなかには「心を数学で…」というマカロックの野心的な試みに引いちゃう方もおられるかと思いますが、もう少しだけ聞いてください。敬虔なクェーカー教徒の家にうまれたマカロックは、クェーカー教徒の内なる光…神の啓示は心に直接語りかけられる…と言う教えを信じていたのだと思います。ところが彼が大学に進み心理学を学び始めた頃、アメリカの大学ではジョン・ブローダス・ワトソンの行動主義心理学が席巻していました。この心理学は「人間の心や意識といった内面的なプロセスは科学的に観察・測定できないため、研究対象から排除すべきだ」と主張し、人間の「行動は環境からの刺激によって形成され、報酬や罰によって強化・弱化される」と説明していました。(行動主義に限らず、20世紀初頭の思想、例えばフロイトの精神分析などでも、人間の内面を肯定的に評価することは軽視されてました)
クェーカーの内なる光を信じるマカロックにはこれは受け入れがたい説で、行動主義者に正面から反論するため「心は数学で論理的に説明できる」ことを証明しようと考えたとじぃじは想像しています。そのため医学を学び、臨床経験を経て、精神分析の研究者となって、世を捨てたボヘミアンのようなライフスタイルの数学の天才ウォルター・ピッツの力を借りて形式ニューロンにたどり着いたのでした。
もちろんじぃじはクェーカー教徒ではないですが…
神学を深く知る医学者のウォーレン・マカロックは、自身の内なる光を信じ、コンピュータ・サイエンティストとなって、何かと科学を振りかざし旧来の信仰を無意味かのように吹聴する輩に、正面から反論するために生涯を費やしたのでした。彼のコネクショニズムが1980年代にAI研究の異端扱いされている実際を記憶しているじぃじは、現在の生成AIの隆盛を見ると神の御加護を信じたくなって来るのですが…いかがでしょう?
エッセイ集としての『Embodiments of Mind』(心のかたち)
マカロックは1969年に自身の集大成とも言える論文集『Embodiments of Mind』を出版しています。次は Gemini に作成してもらった(目次がわりの)タイトルのリストですが、論文集ですので各章は独立した論文になっています。
🤔 What Is a Number, That a Man May Know It, and a Man, That He May Know a Number? (1961)
✅ A Heterarchy of Values Determined by the Topology of Nervous Nets (1945)
✅ A Heterarchy of Values Determined by the Topology of Nervous Nets (1945)
✅ How We Know Universal: The Perception of Auditory and Visual Forms (1947)
🔬 Modes of Functional Organization of the Cerebral Cortex (—)
🤔 Why the Mind Is in the Head (1951)
🤔 Through the Den of the Metaphysician (1948)
🤔 Mysterium Iniquitatis of Sinful Man Aspiring into the Place of God (1955)
🔬 Effects of Strychnine with Special Reference to Spinal Afferent Fibres (1955)
🔬 Reflex Inhibition by Dorsal Root Interaction (1955)
✅ Toward some circuitry of ethical robots or an observational science of the genesis of social evaluation in the mind-like behavior of artifacts (1956)
✅ Agathe Tyche: Of Nervous Nets‑the Lucky Reckoners (—)
🤔 Where Is Fancy Bred? (—)
🔬 What the Frog’s Eye Tells the Frog’s Brain (1959)
🤔 Finality and Form in Nervous Activity (1952)
🤔 The Past of a Delusion (1953)
✅ Machines That Think and Want (—)
🤔 The Natural Fit (1959)
🤔 A Historical Introduction to the Postulational Foundations of Experimental Epistemology (1964)
🔬 Physiological Processes Underlying Psychoneuroses (1949)
🤔 What’s in the Brain That Ink May Character? (—)
このリストにはちょっとした工夫があって、タイトルの前にあるアイコンはGeminiに頼んで、✅は情報、🔬は医学、🤔は哲学と区別できるように分けてもらいました。さすがマカロックの学識の裾野の広さを示すように3つのアイコンがバランスよく混在しています。このリストのタイトルを日本語に訳すと…
🤔 数とは何か ― 人はなぜそれを知りうるのか、また人とは何か ― 数を知りうるその存在とは (1961)
✅ 神経活動に内在する観念の論理計算 (1943)
✅ 神経網のトポロジーによって決定される価値の異層構造 (1945)
✅ 普遍を知る方法 ― 聴覚・視覚形態の知覚 (1947)
🔬 大脳皮質の機能的構成様式 (年不詳)
🤔 なぜ心は頭の中にあるのか (1951)
🤔 形而上学者の洞窟を通って (1948)
🤔 神の座を望む罪深き人間の不義の神秘 (1955)
🔬 脊髄求心性線維に関するストリキニーネの影響 (1955)
🔬 背根相互作用による反射抑制 (1955)
✅ 倫理的ロボット回路への観察科学的アプローチ (1956)
✅ アガテ・テュケ ― 幸運なる計算者としての神経網 (年不詳)
🤔 情はどこに生まれるのか (年不詳)
🔬 カエルの目がカエルの脳に語ること (1959)
🤔 神経活動における目的性と形態 (1952)
🤔 ある妄想の過去 (1953)
✅ 考え、欲する機械たち (年不詳)
🤔 自然な適合 (1959)
🤔 実験的認識論の公準的基礎への歴史的序説 (1964)
🔬 精神神経症の背後にある生理学的過程 (1949)
🤔 脳の中に ― インクが性格を描き出すものは何か (年不詳)
どうでしょう? 🤔のマークや年不詳の付いたタイトルだけを眺めると『フランケンシュタイン』の読者も興味も唆られるエッセイ集に見えてきませんか?
科学者の幸福な生涯とは?
じぃじが学生の頃の情報の教科書を見ると「ウォーレン・マカロックの形式ニューロンはその後のニューラルネットワークの礎となった」と一言だけで書かれています。ですが、このモデルは脳が神経細胞の塊と理解されていた80年前の第2次世界大戦の頃の神経解剖学の知見に基づくもので、その後神経細胞の働きは、もっと複雑であることがわかって来てるので現在はAIニューラルネットワークと呼ばれているそうです。形式ニューロンのモデルを基礎としているディープラーニングが我々が日常的に使っている生成AIの根幹ですので、生成AIは人間とは似て非なるものである事は間違いないです。人間はもっと複雑にできてます😛
人間と「似て非なるもの」と言う意味では、生成AIは『フランケンシュタイン』のクリーチャーと同類の存在なんじゃないか?とじぃじは考えてますが…少し内訳話をすると、その創造主のヴィクター・フランケンシュタインと対比できる実在の人物を探したところ、見つかったのがウォーレン・マカロックだったと言うわけです。でも彼はヴィクターよりも賢明でずっと心優しい人なんじゃないか?とじぃじは想像しています。
まぁ、ヴィクターはメアリー・シェリーの19世紀の科学者に対するイメージを具現化した空想上の人物で、そのマッドサイエンティストぶりを体現するマカロックと同時期の実在の人物といえば…原子爆弾を開発したロバート・オッペンハイマーや、V2ロケットを開発したヴェルナー・フォン・ブラウンの方が一般のイメージ的にはピッタリくるのかも知れません。この三人に共通するのは、宗教にも似た強烈な科学的野心を内に秘めているところですが、科学者の場合は多くの専門家の協力を得ないとその野心を具現化できないところ、つまり大きなプロジェクトを率いるカリスマとしての能力が秀でている事が求められます。オッペンハイマーやフォン・ブラウンの場合(科学者としては必須ではない)この能力が突出していたが故に、社会的関心が集まり、極めて時間的制約の大きいなかでプロジェクトは(社会が望む)結果を出せたし、それ故にマスメディアには科学的英雄に祭り上げられました。つまり、単なるマッドサイエンティストでは結果が出せないことを理解しておく必要があります。
また科学者である当人にとってそれは幸せなのか?という問題もあります。例えばじぃじには、オッペンハイマーの生涯は幸福だったとは思えない。科学的英雄となった後の彼は、後悔に苛まれるヴィクターを撫象るかのような人生を送りました。(程度の差はあっても)個人的によく似た立場に追い込まれた何人かの友人を知るじぃじには正直ちょっとした痛みが伴います。そう考えるとウォーレン・マカロックは科学者として幸福な生涯を送ったのかもな?と思えたりします。皮肉にも、盟友のノーバート・ウィーナーが周囲を全く無視して逆噴射したことによってもたらされた訳ですし、そのことでマカロックも幾多の気苦労をさらに抱え込んとは思いますが…結局、彼のアイデアを実際に試してみるためには、その後の50年間の情報インフラの技術の進化を待たなければならなかった訳ですから。コネクショニズムの研究者は、その進化をゆっくり待てる時間的な猶予があったことは幸運だったでしょう。
そう言えば…
先日、 ChatGPT の開発元である OpenAI の CEO サム・アルトマンが次のビデオで「AIの急速な進化を第二次世界大戦時に原子爆弾を開発したマンハッタン計画になぞらえて『私たちは一体何をしてしまったのか』と語った」そうですが…
何かにつけAGIにコミットしたがる、この悪趣味なコメントが彼の単なる思い上がりであること願うじぃじです。彼がマンハッタン計画を率いたロバート・オッペンハイマーのその後の人生を知らないとは思えないんですが…それにつけても200年前にヴィクター・フランケンシュタインの創造的な仕事への後悔として描いたメアリー・シェリーの洞察力には驚かされます。
次回は現在の生成AIを念頭に現代のプロメテウスは誰か考えてみます。
「現代のプロメテウスは誰か?」▶️
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