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現代のプロメテウスとしてのAI(1)

本稿は「200年間読み継がれている小説の書き方」の続編にあたる記事です。(同記事が締切に間に合わなくて先送りされたパートとも言いますが😛)この記事では小説『フランケンシュタイン』が執筆された経緯を追って、この小説が「最初のSF小説」と呼ばれている理由、あるいは今やコモディティ化が著しい生成AIに潜む根深い闇を暴いている理由について語ろうとした記事です。特に本稿では、メアリー・シェリーが200年前に想像した悪夢から出発した空想の世界をその後、科学者たちがどのように現実のものにして行ったかを語ります。まずはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の話題から始めます。

我々が知るハリウッド映画では(何故か)開発した博士ではなく、死体から蘇った怪物が「フランケンシュタイン」と名付けられたように変更されてますが、もうひとつ非常に目立つ原作改変と言えば、死体に高圧電流を流すシーン。というのも、原作が書かれた1818年には、発電機は発明されてなかったからです。たぶん、これがクリーチャー(原作での怪物の名前)が死体から蘇生する様子が原作では描かれてない理由なのでしょう。

原作の序文に登場するガルヴァニズムという実験は、切り取ったカエルの足を電気で刺激すると(死んでいるにも関わらず)ピクッと痙攣するというものなのですが、この時に使われた電気は(ちょうど平賀源内のエレキテルのような器具で)静電気を起こしていたようです(両方とも18世紀末の出来事ですね)。この「脳から電気が流れて手足を動かす」という実験の様子を知ったエラズマス・ダーウィンは人間を一種の機械として捉える人間機能論、例えば「人間の体も心も、すべて機械のように、物理的な法則で説明できるのではないか?」といった問いを抱いていました。メアリーの夫、パーシー・シェリーが書いたとされる序文にある「この物語の基礎となっている出来事は、ダーウィン博士やドイツの生理学者たちによって、完全に不可能とはされていません」との文言はこういった意味で語っているのですけども、ハリウッドの手にかかると、この種の話が際限なく思いっきり誇張されてしまうものなんですね😛

が「真実は小説よりも奇なり」……この言葉、奇遇にもパーシーのお友達のバイロン卿の言葉なんですが……このガルヴァニズム実験が、実は我々が日頃使っている生成AIの起源だというから、じぃじも仰け反るくらい驚いてしまいました。正しく「真実は小説よりも奇なり」ですねぇ😳

網状説とニューロン説の仁義なき戦い

19世紀初頭の医学者にとってガルヴァニズム実験でもたらされた新しい知見は「神経の中を流れるのは気体でも液体でもなく、実は電気である」という事実でした。そこは謎を突き止めるためにカエルを数限りなく解剖する徹底的なリアリストの集まりである彼らのこと、「神経の中を電気はどうやって伝わるのか?」と疑問を持つのは当然だったのでしょう。こうして神経解剖学(ニューロアナトミー)なる学問が生まれたそうです。

前代未聞の修羅場が勃発⁉️

ルイージ・ガルヴァーニが「電気で刺激するとカエル足がピクッと反応する現象」を見つけたのは1786年と言いますから、徹底的なリアリスト達は実に19世紀を丸々をかけて、遂に身体の中で情報伝達を担う電気の通り道である神経系が、それぞれが独立した神経細胞(ニューロン)が繋がってできていることを明らかしました。この神経系の構造の発見に対し1906年ノーベル生理学・医学賞が授与されます。受賞者はカミッロ・ゴルジサンティアゴ・ラモン・イ・カハールの二人。講演は彼らの偉業を讃え、それを記念する晴れの場だったはずなのですが…あろうことか前代未聞の修羅場となってしまったのでした。

と、ここまで書いたところで…

見つけちゃいました‼️ 修羅場を解説した決定的な文献はこちらです。

How the 1906 Nobel Prize in Physiology or Medicine was shared between Golgi and Cajal
Gunnar Grant
Department of Neuroscience, Karolinska Institutet, Retzius väg 8, B2:5, SE-171 77 Stockholm, Sweden

ゴルジとカハールによる1906年ノーベル生理学・医学賞の共同受賞について
グンナー・グラント
カロリンスカ研究所 神経科学部門
Retzius väg 8, B2:5, SE-171 77 ストックホルム, スウェーデン

要旨(Abstract)
1906年、カミロ・ゴルジとラモン・イ・カハールは、神経系の構造に関する研究業績が評価され、ノーベル生理学・医学賞を共同で受賞した。ゴルジの最も顕著な貢献は、1873年に発表された彼の方法(黒い反応)であった。この手法は、小脳、嗅球、海馬、脊髄の研究に応用された。これらの研究は、彼の以前の業績とともにまとめられ、1903年に出版された『Opera Omnia(全集)』に収められた。彼の方法はカハールからも高く評価された。しかし、ゴルジが固執した網状説(reticular theory)は、カハールによって反対された。カハールはすでに19世紀末に神経細胞説(neuron theory)を明確に打ち出していたのである。
カハールの卓越した神経系構造研究は、主にゴルジ法とエールリッヒのメチレンブルー染色法に基づいており、その成果は1897年から1904年にかけて刊行された三巻本『Textura del Sistema Nervioso de Hombre y de los Vertebrados(人および脊椎動物の神経系の構造)』にまとめられた。
ノーベル賞アーカイブの資料によれば、ゴルジとカハールを共同受賞候補として推薦したのは、ケリカー(Kölliker)、レティウス(Retzius)、フュルスト(Fürst)であった。ゴルジはまた、ヘルトヴィヒ(Hertwig)からも推薦を受けていた。一方、カハールはツィーエン(Ziehen)、ホルムグレン(Holmgren)、さらに共同受賞の代替案としてレティウスからも推薦された。
ノーベル委員会に提出する報告書の執筆を委嘱されたホルムグレンは、カハールがゴルジよりもはるかに優れていると結論づけた。別の評価を依頼されたスンドベルグ(Sundberg)は、ホルムグレンよりもゴルジの業績を肯定的に評価した。ガデリウス(Gadelius)はホルムグレンの見解を支持した。最終投票では、共同受賞案が多数を占めた。授賞式と両者の講演については、カハールの自伝の中で詳細に記述されている。

How the 1906 Nobel Prize in Physiology or Medicine was shared between Golgi and Cajal

これはエルゼビア(Elsevier)という(これまた19世紀から続く)出版社が発行する「Brain Research Reviews」という神経科学に関する学術雑誌に掲載された論文のようです。要旨からも読み取れるように、ゴルジとカハールのノーベル生理学・医学賞の共同受賞の選考も含めた経緯をレポートしてますが、この種の学術論文は原則有料なのでじぃじも全文は読めてません😛 
ここでは(無料で読める)セクション抜粋の翻訳を掲載しておきます。

ノーベル賞に関する文書 ― ゴルジとカハール
1901年から1906年までのノーベル賞関連文書を調べると、ゴルジはノーベル賞の初年度である1901年から候補に挙げられていたことがわかる。その後、1906年にカハールと共同で受賞するまで、毎年名前が推薦リストに上っていた。その1906年には、ゴルジには4人の推薦者がいた。すなわち、ベルリンの比較解剖学教授オスカー・ヘルトヴィヒ、ヴュルツブルクの解剖学教授アルベルト・ケリカー、ストックホルムの元解剖学教授グスタフ・レティウス、そしてカール・マグヌス・フュルストである。

ゴルジ染色法
ゴルジに関しては、彼の神経解剖学への最大の貢献が「黒い反応(reazione nera)」と呼ばれる方法であることは間違いない。彼はこの方法を、1873年8月にイタリアの学術誌『ガゼッタ・メディカ・イタリアーナ-ロンバルディア』に掲載された短報「脳の灰白質の構造について(Sulla struttura della sostanza grigia del cervello)」の中で初めて記載した。

ゴルジ染色法の応用
発見後の数年間、ゴルジはこの方法を用いて小脳や嗅球を研究し、いくつかの重要な観察を行った。例えば、小脳分子層にある平行線維が顆粒層から起こると考えられることを指摘した。また、分子層の神経細胞を記述し、従来よりも詳細にプルキンエ細胞を描写した。特に、彼が「原形質突起(protoplasmic processes)」と呼んだ突起の分枝構造を詳述した。

ゴルジ、カハール、ニューロン説
ゴルジは神経系研究に画期的な方法を提供し、多くの重要な観察を行ったものの、最大の誤りは網状説(reticular theory)への固執であった。これは、ニューロン説(neuron theory)と正反対の立場であり、神経系の研究者のほぼ全員が神経細胞説を受け入れた後でさえ、彼はこれを曲げなかった。最大の反対者はカハールで、カハールは19世紀末にはすでに自身の研究の中で神経細胞説を明確に打ち出していた。

カハールの並外れた貢献
カハールの三巻本『Textura del sistema nerviosa del Hombre y de los Vertebrados』は、1897年、1899年、1904年に刊行され、全1,800ページ、897枚のオリジナル図版を含んでいた。その後1909~1911年には、これを拡張したフランス語版『Histologie du Système Nerveux de l'Homme et des Vertébrés』(二巻、1,900ページ以上、1,000枚以上のオリジナル図版)が出版された。これは神経解剖学史上、最も重要な書物とされている。

ノーベル委員会の作業
1906年にエミール・ホルムグレンが作成した詳細な報告書は、タイプ原稿で約50ページに及び、両候補者の功績を丹念かつ広範に分析し、相互に比較して評価したものであった。ホルムグレンの結論は次の通りである(G.G.によるスウェーデン語からの翻訳):
「神経系の研究におけるゴルジとカハールの業績を考えると、最終的にカハールがはるかに優れているという結論を避けることは正当ではない。」

授賞式
授賞式は12月10日、アルフレッド・ノーベルの命日に王立音楽アカデミーで行われた。カハールは自伝(p. 550–551)でこの式について次のように書いている:
「賞の授与式は華やかで、最高の理想主義を体現したものであった。慣例に従い、目的のために特別に飾り付けられた王立音楽アカデミーの大広間で執り行われた。」

ノーベル講演
授賞式から数日後、受賞者による講演が行われた。ゴルジは12月11日、カハールは12月12日に講演を行った。両者とも講演はフランス語で行われ、ゴルジの題目は「La Doctrine du Neurone(神経説)」、カハールの題目は「Structure et connexions des Neurones(神経細胞の構造と接続)」であった。ゴルジの講演内容は、多くの参加者にとって意外なものであった。カハールは『私の生涯の回想』(1989年版、p. 552)の中でこれについて次のように書いている:
「予想に反して…(以下略)」

受賞者たちの帰国
数日後、ゴルジとカハールはストックホルムを離れた。ゴルジはノルウェーからグスタフ・レティウス宛に、感謝と無事を知らせる電報を送った。一方、カハールについてはレティウスは心配していた。その年の賞金額は138,536スウェーデンクローナで、現在の約700万クローナ(約100万米ドル)に相当した。カハールはその半額を持ち帰ったが、レティウスは、カハールが…(以下略)。

謝辞
ノーベル生理学・医学賞委員会より、ノーベル賞アーカイブ資料の提供を受けたことに感謝する。

How the 1906 Nobel Prize in Physiology or Medicine was shared between Golgi and Cajal

もし1906年のノーベル生理学・医学賞の顛末を深掘りしたいならこのレポートが必須でしょう。が、カハールとゴルジの共同受賞についてザックリ把握したいのなら、慶應大学医学部の「神経学の歴史」の次の脚注がコンパクト短い解説記事になってます。

1906年,カハールとゴルジは,第6回ノーベル生理学・医学賞を共同受賞した.ともに神経組織の構造を明らかにした業績に対する受賞であったが,この時点ではそのいずれが正しいか不明で,全く対立する見解をもつ複数研究者の同時受賞は,その後も例がない.受賞会場で,二人は全く言葉を交わすことがなかったという.当時既にカハールのニューロン説が大勢を占めつつあったにもかかわらず,ゴルジは受賞記念講演の冒頭で「最近は衰微しつつあるニューロン説」と前置きしてニューロン説を徹底的に攻撃した.後にカハールは自伝の中で「ここまで性格の異なる二人が,シャム双生児のように同席しなくてはならないことは大きな皮肉だった」「これほど自説に固執し,変わりゆく周囲の状況に耳を閉ざすゴルジを理解しかねる」と述べている.ちなみに,小脳皮質の分子層にはカハール細胞,その深部の顆粒層にはゴルジ細胞があって,互いに連絡している.

神経学の歴史 ー 慶應義塾大学医学部放射線科学教室

…と、いずれの文献でもノーベル賞がニューロン説にお墨付きを与えたかのよう書かれてますが、実は二人がノーベル賞を受賞した時点ではニューロン説もまだ仮説の状態でした。光学顕微鏡の精度では確認が不十分ってことで、そこを見てとったのかゴルジの一矢報いる虚に出たのでは?医学は完全に素人のじぃじから下世話な一言添えておくと…カハールはゴルジより10歳くらい若く、さらにゴルジがイタリア人で、カハールはスペイン人。サッカー好きのじぃじに言わせると「見栄っ張りのイタリア人なら立場が怪しくなったら、敢えてそれくらいやるでしょう」かと😛

最終的にニューロン説で確定するためには、さらに50年後の電子顕微鏡の登場を待たなければならなかったそうです。1955年、サンフォード・L・パレイ (Sanford L. Palay)と ジョージ・E・パラーデ (George E. Palade)は個々の中枢シナプスの非常に鮮明な電子顕微鏡像を発表し、神経細胞上の軸索終末、前シナプス膜と後シナプス膜の明確な区別、シナプス小胞の存在などを明確に示したそうです。これでめでたくニューロン説が確定しました。次は論文のリンクです。

ここで強調しておきたいのは「ニューロン(神経細胞)は直接繋がっておらず、シナプスという隙間が空いている」ってことです。これについては後でまた触れるので覚えておいてもらえると嬉しいです。

結局…こんなに大騒ぎになるのであれば、(別記事で書いたように)『フランケンシュタイン』をナレ誕300で終わらせることにしたメアリー・シェリーが賢明だったのでしょうねぇ😛

◀️「現代のプロメテウスとしてのAI」

「キャリアが迷走する心優しき男の話」▶️

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