専門家ほど「構造」から語り始めてしまうことがある――何が省略されているかを見る視点
組織の問題について話していると、ある種の説明に繰り返し出会う。
「これは個人の問題ではありません」
「構造の問題です」
「制度設計の課題ですね」
「組織として改善が必要です」
落ち着いた口調で語られ、理論的に整理され、客観的にも聞こえる説明である。
社会学、経営学、組織論。
分野が違っていても、語られる内容や結末は驚くほど似ている。
そして同じ説明は、自己啓発書籍やビジネス書の中でも繰り返される。
そして巷に波及する
コンサル
経営者
管理職•役職者
一見すると合理的で、成熟した分析のようにも見える。
だが現場にいた人間ほど、ある違和感を持つことがある。
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1.構造分析そのものは誤りではない
最初に確認しておく必要がある。
「構造」という視点自体は、本来重要な分析手法である。
社会学や組織研究では、
• 個人だけに原因を帰さない
• 再発するパターンを見る
• 制度や権限配置を分析する
ために構造という概念が用いられる。
実際、多くの問題は個人だけでは説明できない。
同じ問題が繰り返されるなら、そこには仕組みが存在する。
ここまでは正しい。
問題が生じるのは、その次である。
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2.構造は自然に発生しない
まず確認しておきたいことがある。
組織構造というものは、自然現象ではない。
評価制度。
意思決定。
権限配置。
運用ルール。
これらはすべて、
誰かが決め、
誰かが維持し、
誰かが運用している。
つまり、構造とは、
人間の判断の積み重ねによって生まれた結果である。
しかし問題が発生した瞬間、多くの場合こう説明される。
「構造の問題です」
その言葉が出た瞬間、議論は急に抽象化される。
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3.抽象化が起きる瞬間
本来確認されるべき問いは単純である。
• 誰が判断したのか
• なぜその運用になったのか
• 修正する機会はなかったのか
• 指摘は存在していたのか
だがそれらは次第に、
• 制度上の課題
• 組織文化
• 構造的問題
という言葉へ置き換えられる。
ここで起きるのは分析の進展ではない。
抽象度の上昇である。
そして抽象度が上がるほど、別の現象が起きる。
行為が見えなくなる。
判断が見えなくなる。
結果として責任も見えなくなる。
この状態は、社会学や組織論の文脈では
de-personalization(主体消去)に近い現象と言える。
本来は特定の判断や行為によって生じた問題が、抽象的な「構造」という言葉の中に吸収され、主体が見えなくなるのである。
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4.なぜこの説明が広まりやすいのか
興味深いのは、この説明が極めて広く受け入れられる点である。
これは専門家だけの問題ではない。
社会の中で説明が流通する過程に理由がある。
構造説明には特徴がある。
• 個別事情を知らなくても語れる
• 衝突を生みにくい
• 誰も直接否定しない
• 組織内で安全に共有できる
つまり、
社会的に成立しやすい説明なのである。
研究の世界では多様な議論が存在していても、
社会に出てくる段階で説明は安全化される。
結果として残るのが、
「構造の問題」という一見、万能に見える言葉になる。
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5.思考停止が起きる場所
ここで問題になるのは構造分析ではない。
構造で思考が止まることである。
「なるほど、組織の問題か」
この理解した空気が生まれた瞬間、次の工程が省略される。
検証。
時系列確認。
判断過程の分析。
責任主体の確認。
説明は整う。
だが現実は動かない。
結果として広まるのは、
中身は動かないが、賢そうに見える説明になる。
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6.なぜ経営者や役職者に好まれるのか
特にこの種の言説を求めやすい立場がある。
経営者。
人事。
役職者。
管理職層。
構造を語れば分析しているように見える。
制度を語れば改善を考えているように見える。
しかし具体に踏み込まなければ、現実の検証は始まらない。
その結果、問題は整理されたように見えながら、実際には残り続ける。
本来であれば、自身の頭で考えなければならない領域でもある。
しかし実際には、そこまで考えようとしない場面が多い。
整った説明が提示された時点で理解したものとして扱われ、そこで思考が止まる。
検証も行われない。
確認もされない。
その結果、巷に溢れた定説だけが共有され、現実は置き去りになる。
定説を理解したことと、実際の状況を理解することは本来別である。
だがその区別は、しばしば行われない。
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7.なぜ問題が残り続けるのか
ここで一つ、本来の役割を確認しておく必要がある。
経営者や役職者、管理職の仕事とは、本来何か。
組織の中で起きている事象を整理し、
判断し、必要であれば修正すること。
つまり、
何が起きたのかを具体的に把握し、
責任の所在を明確にし、
運用を改善すること自体が業務である。
だからこそ、本来であれば抽象的な説明で止まることはないはずだ。
「構造の問題」と言った時点で終わるのではなく、
では、その構造は
誰の判断によって生まれたのか。
そこまで踏み込むことが求められる。
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8.なぜ定説では改善されないのか
もう一つ見落とされがちな点がある。
組織で起きている問題は、本来すべて個別である。
意思決定の経緯。
関与した人物。
過去の判断。
運用の積み重ね。
これらは組織ごとに異なる。
同じ会社は存在しない。
にもかかわらず、多くの場合、問題は定説によって理解される。
組織論。
成功事例。
一般化された改善論。
だが、それらは状況を説明しているように見えて、実際には置き換えているに過ぎない。
定説を理解したとしても、
その組織で何が起きたのかを確認しなければ改善にはつながらない。
本来必要なのは一般論ではなく、実際の状況に沿った思考と検証である。
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9.本当に見るべきものは「何が語られていないか」
組織の説明を聞くとき、多くの人は内容に注意を向ける。
だが重要なのは別の部分にある。
何が語られていないか。
説明の中に、
• 判断主体
• 時系列
• 修正可能性
• 実際の行為
が存在しない場合、その説明は動いているようで結果を生まない状態になる。
機械で言えば、アイドリングし続ける状態に近い。
現場は動いているから組織は停止していない。
現場で動いている人がいるから完全には壊れてもいない。
しかし目的動作は発生していない。
時間・燃料・寿命だけが消費される。
抽象度が上がるほど、説明としては安全になる。
誰も否定されない。
誰も特定されない。
衝突や摩擦も起きない。
だが同時に、現実も見えなくなる。
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10.「正しそうな説明」に出会ったとき
こうした言説が、あたかも正解であるかのように語られることがある。
そのとき、無理に反論する必要はない。
否定する必要もない。
ただ一つだけした方がいい。
頭の中で注釈を入れることだ。
この説明では、何が語られていないのか。
それだけで十分である。
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11.思考を止めないために
整った説明は安心を与える。
理解できた気になるからだ。
しかし、説明が滑らかであることと、
現実を説明していることは同じではない。
注釈を入れるという行為は疑うことではない。
思考を止めないための保留である。
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12.最後に
構造という言葉自体が悪いわけではない。
問題は、それがどのように使われているかだ。
問題を理解するためなのか。
それとも問題から距離を取るためなのか。
構造を見ることと、
行為を見失わないことは本来両立する。
だがその両立が失われたとき、説明だけが残る。
その時、違いはいつも同じ場所に現れる。
語られていない部分である。
そしてそこを見る習慣を持たない限り、
同じ説明は何度でも繰り返される。
問題もまた、繰り返される。
整った説明によって議論が終了したように見える場面でも、
思考を止めないことが重要になる。
なぜなら、「構造の問題だ」と説明された瞬間、
問題が理解されたわけではないにもかかわらず、
理解が完了したかのような錯覚が生まれるからである。
しかし、
問題が整理されたように感じたとしても、
状況そのものが変わったわけではない。
改善が起きない状態が確認されているのであれば、
距離を取ること、
関与を減らすこと、
あるいは離れることもまた判断の一つになる。
思考を止めないということは、
状況を見極めることであり、
合理的でない場所から撤退するという判断に至る場合もある。
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