調剤薬局物語vol.2〜薬を飲まない理由〜(2352字あとがき含む)
🌿調剤薬局物語〜心をつなぐ処方せん〜
第二話:薬を飲まない理由
その日、川口トミエさんはいつものように、ゆっくりと薬局に入ってきた。
「ようけ薬、いつもすんませんなぁ。まだちょっと残ってるんやけどね。」
白石が処方内容を確認する。
血圧、コレステロール、糖尿病……内科の慢性疾患に、整形の薬も併せた定期処方。
「お薬、きちんと飲めていますか?」
「……まあ、飲んだり飲まんかったり、やね。
痛み止めはちゃんと飲んでるけど、内科のは……なあ。あんまり元気になっても困るから」
「困る……というのは?」
「いや、元気になって長生きしたら、孫に迷惑かけてまう。
寝たきりになったり、世話かけたりしたら、あの子がかわいそうやから。
せやから、ほどほどでええ思て……。
ポックリ、が一番ええやろ?」
白石は返す言葉を一瞬、失った。
——経験してきた中で、そういった理由でお薬を飲みたくない、と耳にしたのは初めてのことだった。そんな優しい思いから、健康を遠ざけるような選択が、今の社会に存在するということを初めて知った。
そして、そのやさしさを、真正面から否定するのもまた、難しい。
「……そう言わず、僕がまた、川口さんの元気なお顔見たいんで、ちゃんと忘れずにお薬飲んでくださいね。」
そう言って、白石は丁寧に薬を手渡した。
◇ ◇ ◇
数日後、トミエさんのお孫さん、翔太さんが、処方さんを手に薬局にやってきた。トミエさんの風邪に対する処方だった。
「こんにちは。ばあちゃん、車の中で寝込んでて……今日は僕が来ました」
いつもは車の中で待っている青年が、今日は初めてカウンターに立っている。
白石は風邪薬の処方を確認しつつ、尋ねた。
「トミエさん、食欲はありますか? お熱は?」
「昨日よりは落ち着いてきましたけど、まだぐったりしてて……。
ほんと、なかなか病院行きたがらないし、いつもの薬もちゃんと飲んでるか怪しいです」
心配そうな顔をしながら、翔太さんは続ける。
「僕、“ちゃんと飲んでる?”って、時々聞くんです。
でも“飲んだよ”って言いながら、薬残ってたりして。
だんだん忘れっぽくなってきてるんですかね。」
ふーっと少し息をつき、白石に目を向けた。
「でも、元気でいてほしいんです。ばあちゃんが家にいてくれるだけで、落ち着くし……
僕、小さいころからずっとばあちゃん子だったんで……まだまだ元気でいて欲しいんですよね。」
白石は、そのまっすぐな気持ちを、しっかりと受け止めていた。
◇ ◇ ◇
翌月、再びトミエさんが薬を受け取りに来た。
表情には元気が戻っており、歩き方もいつも通りだった。
「風邪、もうすっかり良くなったみたいですね。お孫さんのおかげですね」
白石は処方を確認しながら、静かに話しはじめた。
「この前、翔太さんと初めてお話ししましたよ。」
「こないだ風邪引いた時な。ほんまに優しい子や。誰に似たんだか。」
そう言って、トミエさんは明るく笑った。
「翔太さん、言ってましたよ。“薬を飲んでくれない”って。
とても心配してました。翔太さんはトミエさんのこと、大好きなんですね。」
トミエさんの表情が少し変わった。
「“元気でいてほしい”って、何度も言ってましたよ。
おばあちゃんがそばにいることが、自分にとってすごく大事だって」
トミエさんは、一瞬驚いたような顔をして、それから照れくさそうな、抑えきれない喜びがこぼれ落ちるような笑顔を見せてくれた。
「……あの子、そんなふうに思ってくれてたんか?びっくりや。
わたし、逆やと思ってた。手も痺れるし、膝も痛いし……
この間みたいに、あの子に世話かける事も増えてきて、迷惑ばっかりかけてるんやないかって、申し訳ない気持ちになってまうんや。」
白石は、やさしい声で言った。
「できることが減っても、そばにいるだけで、誰かにとっては安心になるんです。
翔太さんにとっては、川口さんがそばにいるってことが、まさにそうだと思いますよ」
トミエさんは、ゆっくりと薬を手持ちの袋にしまった。
「……そしたら、ちゃんと飲んでみようかな。
生きててもええかなって、ちょっと思いましたわ」
「川口さんが“元気でいること”が、翔太さんにとって大事な事なんです。川口さん、翔太さんのために、薬を飲まない、なんてもうおしまいです。翔太さんのために忘れずにお薬飲んでくださいね。」
「ふふ……翔太には、“ちゃんと飲んでるで”ってだけ言うとくわ。
理由は言われへんな。ちょっと照れくさいわ。」
「じゃあ僕のせいにしていいですよ」
「ほな、“白石さんが怖いから”って言うとこか」
2人の笑い声が、薬局の奥まで届いていった。
——家族を思う気持ちは変わらないのに、それが、「薬を飲まない理由」から「薬をちゃんと飲む理由」に変わった。
そんな場面に立ち会えることができた白石は、薬剤師であることの喜びを噛み締めていた。
〜あとがき〜
物語の中では、おばあちゃんとして書いてみましたが、実際にこれを言われたのはおじいちゃんでした。
長生きして家族に迷惑かけたくないから、あまりきちんと薬を飲みたくない、と聞いた時には、本当になんと言っていいのかわからなくなって、少しパニクった記憶があります。
そして、実際はお孫さんが来た、という訳ではないです。
元気になるから飲みたくない、と聞いた時には、言葉を失ってしまったのですが、それでも、大きな病気をしたり、身体的な不自由が出る方が、自分だけでなく、ご家族もその方がお辛いと思いますよ。といったお話をさせてもらったように記憶しています。
それにしても、これから私達自身もそうなのですが、安心して長生きできない社会は、どこか選択を間違えているではないか、と思ってしまいます。
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