ぼくの母校は赤珊瑚〜都立工芸高校物語〜
第五色:ペンより絵筆
クラスメートとの実力差に圧倒されていた4月、運動神経よりも画力技術力が必要な体育祭で優勝した5月、偶然から関わるようになったFと放課後遊び歩くようになった6月と、早いもので気づけば工芸に入学して3ヶ月が過ぎていた。
7月に入り、いよいよ夏休みが目前という時期になると工芸にも期末試験がやってきた。
意外かもしれないが、工芸といえども期末試験の科目数は(特に普通科の多い1年生は)一般的な普通科高校と遜色ない。それどころか、インテリア科を含む一部の学科では、専科にも座学が存在するので、その分科目数も増える。勉強したくないから工芸にきたという人はいなかったが、それでも工芸に入れば勉強量は少なくなると思っていた人は案外多い。
そんなわけで、夏休み目前でありながら浮き足立つわけでなく、来たる期末試験に向けてクラスからは絵の具と製図道具が姿を消し、試験一色になった。数学の課題は問題集のここからここまで。現代社会は毎年同じ問題だから過去問手に入れれば勝ち。古文がマズいー
クラスのみんなが試験勉強をしているなか、ぼくは一切試験勉強をしなかった。なぜならぼくは試験勉強しなくても良いほど頭が良かったから、などでは決してない。試験勉強“どころ”ではなかったのだ。(余談だが、試験勉強を完全にしなかったかといえばそうでもない。入学当初から試験週と課題提出が重なったら死ぬと思っていたぼくは、常日頃から勉強するにしていた。しかし、早くも5月には課題によって勉強する余裕がなくなった。ならばと、授業中に参考書を使って授業より早く内容を消化し、余った時間で課題をこなすという戦略をとっていたのだった。というかもはやそうするしか生存戦略はなかったのだ。)
Kの課題に限らず、工芸の課題は出せばそれで終わりというわけではなく合格してはじめて終了となる。試験勉強一色になっているクラスメートたちは数に差はあれど、課題は合格していた。一方のぼくはというと、道具やソフトの習熟を目的としたオリエンテーション課題以外は全敗だった。一学期が始まって4ヶ月が経ち、数多くの課題が出されているのにも関わらず、合格に達しているものはわずかに3つのみなのだ。
加えて中間試験であろうと期末試験であろうと、専科の課題は常に出される。例に漏れず、期末試験初日が提出期限の課題がKから出されていた。もしこの課題が受からなければアクリルは全て不合格になる。しかも夏休みは夏休みの課題が大量に出されるが、それに追加で、一学期の不合格課題の再提出が課されると予告されていた。
何としても一学期最後のアクリルは合格をもぎ取り、夏休みの課題をひとつでも減らしたい。そんなわけで、この時期だけはFと遊ぶこともやめ、みんながペンを握るなかぼくだけは絵筆を握っていた。絵の具の溶き具合、絵の具の飛び散りなど細心の注意を払い、睡眠時間を削りながら課題制作を続けた。そして提出日前日は徹夜をして何とか課題を完成させた。一学期で最も良い出来だった。

今となってみればコメントの通り大したことのない出来。
期末試験初日、課題を提出しヘロヘロになりながらも何とか試験をこなし、昼頃家に帰るとベッドに倒れ込んだ。試験2日目、どうも体調が悪いと思い体温を測ると38.9℃もあった。どうやらこの一週間無理をし過ぎていたらしい。しかし、もしここで休めば夏休みに補講を受けなければならなくなるが、何としてもそれは避けたい。高熱を出しながらも試験を受けることにした。(またまた余談だが、高熱を出しても感染症でなければ普通に試験を受けられるあたりが時代を感じさせる。)
試験最終日には体調も回復し、無事に3日間にわたる期末試験は終了した。今はどうなっているかわからないが、当時は期末試験終了後の1週間はほぼ専門教科だけの午前授業だったので、実質夏休みだった。ようやく夏休みが始まったのだと羽を伸ばした瞬間、待ってましたとばかりにKが課題の返却を始めた。ぼくの渾身の課題は不合格だった。そして、Kは課題の返却を終えると続け様に夏休みの課題のプリントを配り出した。しかも2枚も。

下の注意書きを見て笑っていられる人と
笑うしかない人の違いは実力差。

再提出にならない作品を提出と書いているが、
今回それを出して落ちたんだと心の中で叫んだ。
課題が出ることは周知の事実だったが、まさか2つも出るとは思わずクラス中がどよめいた。夏の高い青空に向かって羽ばたこうとした瞬間、ぼくはKからの集中砲火によって地面に叩き落とされた。
第六色へ続く。
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