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サステナビリティ関連記事に200スキがついた――誰が為にサステナは成る(なる)?

心からの感謝

 
先日書いた「サステナビリティ」の記事に、200件を超える「スキ」をいただきました。

読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。 

なぜ、このような記事を書いたか 


タイトルにもある通りですが、一言でいえば、あの記事の出発点はこの問いからです。

「サステナビリティ」は、
誰のためにあり、
何のためにあるのか。


「スキ」を押してくださった方の中にも、仕事や日々の生活の中で「サステナビリティ」という言葉に触れながら、どこか言い表しにくい違和感を覚えていた方がいたのかもしれません。

目的を曖昧にしたまま、外から求められる様式に応えることだけが先に立っていないか。

なんとなく良いことをしている、という感覚だけで、終わっていないか。
 

その違和感が、出発点であり、そして、ここに興味を持つというところが、私のクリエイターとしての人格なのです。

記事の公開から1か月半ほど経って、「スキ」が200件を超えました。

正直、当初思っていたよりもずっと反応があって、私も言い表しようのない想いで溢れています。(笑)

ここで、改めて読者の皆さんのことを想像してみました。

読者の皆さんは「サステナビリティ」という言葉をどう思っているのか――

例えば、仕事で直接サステナビリティに関わっていない方は、この言葉にどんな印象を持つか。


「高尚で私には縁遠いな・・・」
「専門的で私には難しいな・・・」
「横文字が多くて私には分かりにくいな・・・」


そう感じる方も、きっと少なくないはずです。
だから正直、あまり「スキ」は押してもらえないと思っていました。


「いやいや、物凄く重要な枠組みだ」
「すべての活動に必要不可欠な発想だ」
「既に私の生活様式の根幹となっている」
 


一方で、こう受け止める方もいるかもしれません。
この場合、何をいまさら頓珍漢なことを言っているのだと、あまり「スキ」は押してもらえないと思っていました。 


・・・少し極端な例を挙げてしまいました。

ただ、私が"本末転倒?私たちが勘違いしている「サステナビリティ」の本当の意味"で言いたかったことは、そうした息の詰まるような話ではありません。


繰り返しになりますが、言いたかったことは、たった1つです。


「サステナビリティ」は、
誰のためにあり、
何のためにあるのか。


試しに、「サステナビリティ」とWebブラウザで検索してみてください。
お使いのGemini やチャッピー(ChatGPT)、Claudeに聞いてみてもいいかもしれません。

検索上位やチャットで返ってくる情報は、それが誰のため、何のためにあるものだと語っているでしょうか。



もっと言えば、




自分自身や家族、仲間、
あるいは人でもない自然や生物にとって、
本当に有益だと
私たちは感じることはできるでしょうか。




それが、今の「サステナビリティ」のリアルです。




もし、そこで違和感をお持ちになっても、
「自分がおかしいのかな?」と消して思わないでください。

その違和感はとても人間らしく、自然なものだと私は思います。

人は一人で生きていくことはできません。
そして、組織は組織の都合だけで生きていくことはできません。

「サステナビリティ」という言葉の出自も、実はそうした人や組織の営みの中にある「development(開発)」から出発しているのです。[1]

そして、人も、自然も、お金も、それぞれとつながり合いながら「元手(資本)」を形成している――とされます。[2]

簡単に言うと、

財務資本が欠ければ、開発(≒事業)は続きません。
人的資本が欠ければ、組織は空洞化します。
自然資本が欠ければ、生産の基盤が成り立たないのです。

注:財務資本/製造資本/知的資本/人的資本/社会・関係資本/自然資本、これはIIRCという機関が提唱した広義の資本です[2]。

つまり、これらの資本は、人の活動を支える「元手」なのです。

そして、その元手が持続的につながっていくこと。

それが「サステナブル(持続可能)」の実体なのです。

自分は貧しくなるけれど、地球環境が救われるなら・・・

自分の生活は犠牲になるけれど、生きものにやさしくできるのであれば・・・

時々こうしたお考えの方にお会いすることがあります。

まったく否定はしません。その優しさは素敵ですし、意義あることです。

しかし、清貧や犠牲の上に成り立つ「サステナビリティ」は、本当に私たちにとって「サステナブル」なのでしょうか。

三方よし。共栄。Win-Win。
私たちが人と人との関係で使ってきた言葉を、少し広げて考えてみます。

財務資本にも、人的資本にも、自然資本にも、相互依存関係の相手として敬意を払う。

そして、その関係が壊れないように、実態を伴う行動を自ら起こす。

そうした行動で、各資本がそれぞれで連鎖し、そして目に見える、あるいは直接的に感じ取れる価値として巡り巡っていくのです。

清貧でなく、互恵関係。
自己犠牲でもなく、循環。
 

これが、「サステナビリティは誰のため・何のためなのか」に対する、私なりの答えです。

今の厳しい現実の話もしておきます。

原油価格は、直近5年で大きく上下しました[3]。
この先どう動くかについては、専門家の間でも見方が分かれています。
ただ、油価がほぼすべての産業の原価に影響することは確かです。

世界の金利は奇妙な動きをしています。日米欧の中央銀行の動きもそろっていません。[4] [5] [6]。
これにより資本コストの前提が、地域ごとに全く異なる特殊な時代です。

AI・半導体の世界では、同産業内の企業の売上が、ここ2年ほどで数倍に伸びています[7]。これまでと同じ業務体系で働けなくなるという論調も日に日に強まっています。

目には見えませんが、空の向こうには10,000機を超える人工衛星が地球を周回しています。通信衛星は通信インフラを根本から変え、観測衛星は気象観測や防災の精度を根本から変え、測位衛星は極めて高精度な位置情報をもたらしてくれます。既存の通信インフラが淘汰され、すべてが空から丸見えになりつつあります。

異常気象も、もはや一過性のものではなくなりました。「ニューノーマル(新しい日常)」として、世界各地で起き続けています。気温上昇を1.5℃未満に抑えると議論している間にも、身近な農作物・畜産物・水産物の内容が変わり、今までの生産品の品質低下・価格高騰が起きています。あるいは、私たちの誰かが夏に熱中症で倒れてしまうかもしれません[8]。

これらはすべて、私たちが今まで当たり前だと思っていた資本が消耗しているサインです。

これにより、来年どころか、半年後には、私たちはまったく違う景色を見ているかもしれません

そのような不確実な時代に、私たちはどうすれば自分たちのレジリエンス(持続可能性を守る力)を保てるのでしょうか。[9]

だからこそ、もう一度言います。

「サステナビリティ」は、
誰のためにあり、
何のためにあるのか。

この原点に立ち返るべきだ、と私は思うのです。


最後に

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コメント・DMも大歓迎です。
一緒に、「誰のためのサステナビリティなのか」を考えていけたら嬉しいです。
 

 


 
―――
参考文献・参照
[1] WCED, Our Common Future, Oxford Univ. Press, 1987(Brundtland報告書)。邦訳は環境省白書定訳。
[2] IIRC, International <IR> Framework, January 2013; revised January 2021(現IFRS財団管理)。
[3] U.S. EIA, Petroleum & Other Liquids Data, 取得日 2026-06-26。
[4] FRB, FOMC Statement, 2025-12-10。
[5] 日本銀行, 金融政策決定会合決定事項, 2025-01-24(0.5%誘導目標決定)。
[6] ECB, Monetary Policy Decisions, 2026-06-17。
[7] NVIDIA Corp., Form 10-K, FY2026 (SEC EDGAR)。
[8] 気象庁,「異常気象レポート2024」, 2024年公表。取得日 2026-06-26。https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/climate_change/2024/index.html
[9](注)「レジリエンス」:困難・逆境に直面した際に、押しつぶされることなく「しなやかに立ち直る力」「回復する力」を指す。

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